IDEスクエア
コラム
[インタビュー連載]シリコンバレーのアジア人企業家
シリコンバレーの活力の源は、人々が持つアイディア・技術・人的つながり・資金が、国境や世代の垣根を越えて引き寄せられ、組み合わされ、新しい事業へと結実するプロセスにある。
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第11回 連載の終了にあたって / 川上 桃子 連載「シリコンバレーのアジア人企業家」には、筆者が2014年から17年にかけて行った在米台湾人10人へのインタビュー記事がおさめられている。 2019/08/14
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第10回 シネックス創業者Robert T. Huang氏の歩み / 川上 桃子 ロバート・ファン氏は1945年、台湾生まれ。1968年、九州大学工学部卒業後、米国ロチェスター大学にて工学修士号、MITスローン・ビジネススクールにて経営学修士号(MBA)を取得。1980年に半導体大手のAMDから独立して半導体・ITハードウェア流通・販売のコンパック・マイクロエレクトロニクス社(1994年にシネックス・コーポレーションに改名)を創業。同社を世界第3位のITディトリビュータ、全米総収入上位500社ランキング(「フォーチュン500」)の328位(2008年)にランクインする大企業に育て上げた。この間、2003年にニューヨーク証券市場への上場を果たした。2008年のCEO退任後は、日本への関わりを深め、丸紅インフォテック社(現・シネックスインフォテック)の買収をはじめ、多数の日本企業への出資・経営支援に携わっている。若い世代の起業教育にも関心が強く、2010年には氏の寄付を元に、九州大学にロバート・ファン・エンタープレナーシップ・センターが設立された。 2017/09/07
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第9回 共同創業が拓くシリコンバレー・アジア人技術者の起業への道:Chia-Chee Kuan氏の歩み / 川上 桃子 Chia-Chee Kuan(管家琪)氏は1961年、台北市生まれ。台湾大学を卒業後、スタンフォード大学でコンピュータ・サイエンスの修士号を取得。シリコンバレーのネットワーク技術のスタートアップ企業での勤務経験を積んだのち、2001年に、友人のマイルス・ウー氏、ウー氏の事業パートナーであったディーン・アウ氏とともにワイヤレスネットワークの測定・診断・トラブルシューティングのソフトウェアを手がけるエアマグネット社を創業し、Fortune100のなかの75社を顧客にするなど、高い技術力で成功をおさめる。2009年に同社をFluke Networks社に売却したのち、2013年に再びウー氏、アウ氏とネットワーク仮想化技術のUila Networksを創業。 2016/01/06
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第8回 技術者が起業家になるとき:アンバレラ(Ambarella Inc.)創業者Fermi Wang氏の歩み / 川上 桃子 Fermi Wang(王奉民)氏は1963年、台北県生まれ。台湾大学電機系を卒業後、コロンビア大学で博士号(電子工学)を取得。在学中に指導教授とともに取得した画像圧縮技術(MPEG2)の特許では、コロンビア大学に推定1.2億ドルの収入をもたらした。大学院修了後、シリコンバレーの複数の半導体ファブレス企業での勤務を経て、1999年にプロセッサー・ベンダーのAfara Websystemsを創業。同社の売却後、2004年にAmbarella Inc.を創業(2012年に株式公開)。同社は傑出した高精細画像処理技術をもつトップランナーとして半導体業界で広く知られており、近年は車載カメラ、監視カメラ向けに加えてドローン向けにも画像圧縮システムを提供しており、広く注目を集めている。 2015/11/06
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第7回 「創業之神」と呼ばれた台湾人起業家 Wufu Chen(陳五福)氏の歩み:技術のジグソーパズルづくりとしての連続起業 / 川上 桃子 Wufu Chen氏は1950年、台北生まれ。1972年に台湾大学を卒業し、フロリダ大学、カリフォルニア大学バークレー校でコンピュータサイエンスを学ぶ。東海岸の複数のハイテク企業での勤務を経て、1986年に最初の共同創業を経験。以後、ネットワーク技術のイノベーションの波に乗り、多数のハイテクスタートアップの起業に参加し、在米台湾人のあいだで「創業之神」と呼ばれる存在になる。2000年代以降はシリコンバレーで台湾人連続起業家らとともにベンチャーキャピタルAcorn Campusを設立し、投資家として後進の支援に力を入れている。 2015/09/05
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第6回 シリコンバレーの「無名の巨人」ソレクトロンを率いた台湾人経営者 Winston Chen氏の歩み / 川上 桃子 Winston Chen(陳文雄)氏は1941 年、台北市生まれ。成功大学を卒業後、1965年に渡米、ハーバード大学大学院にて工学博士号を取得。IBMでの勤務を経て、1978年にシリコンバレーの小さな電子メーカーであったソレクトロンに出資し、オーナー経営者となる。1995年までソレクトロンのCEOを務め、同社を世界最大の電子機器受託製造サービス(electronics manufacturing service:EMS)企業へと育て上げた。同社は2007年に、フレクトロニクス社に買収された。 2014/10/05
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第5回 シリコンバレーと台湾の架け橋として:「台湾ベンチャーキャピタルの父」徐大麟氏の歩み / 川上 桃子 徐大麟氏(Dr. Ta-Lin Hsu)は1943年、中国重慶市生まれ。幼少時に父母とともに台湾に渡る。1964年、台湾大学物理学科卒業。1970年、UCバークレーにて電子工学の博士号を取得。IBMに入社後、台湾政府が在米華人と連携しながら進めたハイテク産業の育成策に深く関わる。1985年、台湾初のアメリカ型のベンチャーキャピタルHambrecht & Quist Asia Pacificの設立に参加し、以後、ベンチャーキャピタリストとして活躍する。台湾のパソコン、半導体メーカー等への出資のほか、アジア向けの投資にも広く参与し、台湾ベンチャーキャピタル産業の立役者としてのみならず「アジアのベンチャーキャピタルの父」と呼ばれる。 2014/09/05
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第4回 シリコンバレーの製薬ベンチャー起業家:Sam Chow(周三郎)氏の歩み / 川上 桃子 Sam Chow(周三郎)氏は1941年、台北県生まれ。台北医学院卒業後、留学のため渡米、1978年にWayne State Universityで薬学博士号を取得。大手製薬企業を経て1992年に友人らとインディアナ州Elkhartで製薬企業を創業するものの、経営破綻。その後、複数の製薬企業での勤務を経て、2000年に、友人とともに製薬ベンチャーのBioKey社をシリコンバレー(フリーモント)で創業し、現在にいたる。 2014/05/06
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第3回 シリコンバレーの「メンター型CEO」:連続起業家Hsing Kung氏の歩み / 川上 桃子 Hsing Kung(龔行憲)氏は1945年、中国・重慶市生まれ。1946年に家族とともに台湾に移る。成功大学電機系を卒業した後、テキサス大学オースチン校で修士号、カリフォルニア大学バークレー校で電子工学の博士号を取得し、1974年にHP社に入社。1983年にHP社を退職し、高出力半導体レーザーダイオードチップのメーカー、Spectra Diode Labの創業に参加した。同社を退職した後は、シリコンバレーの若いエンジニアらが起業したハイテクスタートアップ、LuxNet社とPine社のCEOを務めた。 2014/05/06
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第2回 留学生からコモディティ化革命の挑戦者へ:シリコンバレーの台湾人起業家James Liao氏の歩み / 川上 桃子 James Liao(廖春毅)氏は1968年、台中市生まれ。台湾大学卒業後、スタンフォード大学でコンピュータサイエンスの修士号を取得。メインフレーム大手のTandem社、ネットワーク技術系のスタートアップ企業での勤務を経て、2009年に、SDN(software-defined networking)とよばれる新たなネットワーク制御技術のスタートアップ企業Pica8社を創業した。先に紹介したChun Chiu氏(川上[2014])と同様、Liao氏も、大学院留学のために渡米し、米系の大企業で働いたのちに創業するというシリコンバレーの台湾人起業家の典型的なキャリアパスをたどってきた。 2014/02/05
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第1回 連続起業家からエンジェル投資家へ Chun P. Chiu(邱俊邦)氏のシリコンバレー40年 / 川上 桃子 サンフランシスコ湾岸エリアの南に位置する「シリコンバレー」と呼ばれる地域は、世界のハイテク・イノベーションの中心地である。ここでは、過去半世紀のあいだに、半導体、コンピュータ、インターネット、ソーシャルメディア、バイオテクノロジーといった新産業が次々と立ち上がり、膨大な数のスタートアップ企業が生まれてきた。 2014/01/05