2010年 01月 01日
「Land of the Setting Sun」? |
2009年は、ウォールストリートにとって「金融危機処理」の年であり、このブログでも、関連した話題を多く取り上げました。しかし世界全体に目を向けてみると、昨今欧米で広がっている別の大きなテーマに、「中国への関心の高まりと、日本への無関心の広がり」があります。
このトレンドは、恐らく日本で報道されているレベルを遥かに上回るものであり、ニューヨークでは、文字通り一般家庭にまで、中国への関心が広がっているように思います。これを、バブル前の日本への関心と同様だと考える向きもあるでしょうが、2010年に上海万博を控えた中国政府は、成長持続とバブル抑制の政策を次々と打ち出しており、足元の好調トレンドは、すぐには変わりそうもありません。
そんな中国に関する話は、欧米のメディアにかなり氾濫していますし、2010年は日本にとって、バブル崩壊後20年という節目の年でもあります。と言うわけで今回は、年末年始休暇を利用して、日本への無関心がなぜ広がっているかについて、少々書いてみたいと思います。
日本への関心度の低下を如実に示しているのは、株式市場の動向です。株式投資に関わっている人であればご存知の通り、2009年の外国人投資家による日本株のウェイト(保有レベル)は、歴史的ともいえる低水準にまで下がっています。
投資家のウェイトは頻繁に変わるものなので、これだけでどうこう言うのは難しいですが、欧米の投資銀行でも、今まで日本株はアジア株と独立したチームであったのが、最近はアジア株の中に統合されつつあるという話を、以前にも書いたと思います。東証は売買高で既に上海市場に抜かれていますが、これで更に、欧米の投資銀行の日本へのコミットメントレベルが本格的に下がり出すようだと、大きなトレンドの変化と言えるかもしれません。
日本株への関心が下がっている理由は色々ありますが、グローバルファンドからよく聞かれる理由には、以下のようなものがあります。
1.円高進行と輸出先(欧米)経済の落ち込みにより、主力企業の利益が大幅に落ち込んで、P/E(株価収益率)で見ると株価が諸外国に比べて割高に見える
2.企業のバランスシートは比較的健全で、P/B(株価純資産倍率)では株価は一見割安に見えるが、日本企業はバランスシートを有効活用せずROEも低いので、妥当である
3.日本企業は世界でも独特の(収益最大化を一義としない)企業文化を持っており、今後もその傾向に変化が起こるようには見えないため、「投資先」として魅力的でない
4.バブル後20年経っても不景気から抜け出せず、国内経済はますます停滞して、現実的成長ビジョン策定における政治のリーダーシップも見えない
5.同じアジアでも中・韓の躍進は目覚しく、積極的に日本を買う理由が見当たらない
確かに円高や欧米の消費低迷は輸出依存の日本経済には打撃であり、それは国内労働市場への悪影響を通じて、内需にも深刻な影響を与えています。また、従業員と技術開発を重視した独特の企業文化は、企業全体として競争力を維持できていない現状においては、個別企業の利益成長はもちろんのこと、経済全体の成長の重しにも、なってしまっている気がします。
政治面では、長らく続いた自民党政治の制度疲労を修正すべく、民主党政権が誕生しましたが、そうした後ろ向きの改革(無駄削減)では実績をあげている反面、10年の参議院選挙をにらんでか、経済成長や企業、財政規律を軽視したバラマキ的な政策が、多いように見受けられます。
それに対して中国や韓国は、国家としてかなり明確な成長ビジョンを打ち出しており、それを五カ年計画のような形で発表したり、産業界の再編に介入したりして実践しています。そのおかげもあってか、経済成長のメンタリティは国民にも広くシェアされているようで、昨今の為替安にも助けられて、両国経済は今のところ順調な発展を遂げているように見えます。
このような情勢下において、日本経済の「相対的な地位の低下」は、恐らく国内で思われているより遥かに深刻なものになっているのですが、日本では生活実感としてこの問題が感じられないせいか、日本から来る人に対してこの話をアメリカ在住の友人と一緒にすると、大抵とても驚かれます。
しかし、そのようなトレンドを象徴する記事が、11月にEconomist誌に、掲載されていました。目次に載っていた記事のタイトルは「Japan As Number One(世界一の日本)」で、おっと思ってページをめくってみたのですが、副題は「Land of The Setting Sun(日沈む国)」でした。
内容は、ハーバード大のEzra Vogelが「Japan As Number One」という物議を醸した書物を出版した頃は、日本は不況にあえぐアメリカにとって多くを学ぶべき存在であったが、資産バブル崩壊後は、護送船団に慣れた企業は自己変革が柔軟にできず、当局の不良債権処理の遅れも重なって、経済がすっかり停滞してしまった、という話です。
そうした指摘は的を射ているので仕方が無いですが、残念だったのは、この記事の結論が、「では日本はどうすればいいか」ではなく、「あれだけ好調だった日本も失敗したのだから、『中国』は、今の経済成長に安穏としていてはいけない」というものであったことです。このような結論で締めくくり、日本を「日沈む国」と呼んでいるこの記事は、世界の関心が今どこにあるか(ないか)を、如実に表している気がしました。
もちろん、Economistに何を書かれようとも、中国経済の好調さも日本経済の低迷も、このまま延々と続く保証は「全く」ないと思います。それぞれ強みと問題点を抱えていますし、世界の経済情勢も常に変化していますので、2010年の終わりには、現在と全く逆転した状況になっているかもしれません。
しかし、日本がかつて明確な国家戦略(と強い国民意志)を持ち、米国を製造業で追い抜かしたように、韓国や中国が日本を絶対に追い抜かせないと考えるのは、間違いかもしれません。よって日本には、80年代にアメリカがそうであったように、自らの問題点を謙虚かつ徹底的に検証して、外国の良いところは積極的に取り入れるような柔軟な姿勢が、必要であるように思います。
日本経済の問題点
もう少し踏み込んで、日本経済の問題点は何かということまで考えてみたいと思いますが、それは簡単に言えば「環境変化への未適応」と「ビジョンと柔軟性の欠如」である気がします。
ここで言う環境とは、世界情勢、または世界経済秩序とも言えるかもしれませんが、バブル後の日本は、その変化にうまく適応できていないように見える、という意味です。また後者は、現状への対応が出来ていない上に、将来性を示すビジョンも、またその為に外国の良きを認める柔軟性も、なくなっているように思うという事です。
近代日本は開国以来、「文明開化」「富国強兵」「戦後復興」「所得倍増」と言ったように、比較的分かりやすいビジョンを持ち、独自の文化を維持しつつも、欧米列強から良い事は学び、あわよくば欧米を追い抜かしてやろうと言った姿勢があったとされます。これらは単なる精神論や感情論ではなく、時代に応じて考えられた国家戦略であり、その為の人材育成も、欧米留学などを通じて積極的に行われていたと思います。
また、世界情勢の変化への対応という点については、欧米列強が植民地化を推し進めた帝国主義時代には、その趨勢を敏感に感じ取って開国と近代化に踏み切り、欧米の軍事力を導入して「武力」で対峙するという道を選択しました。また戦後の冷戦時代には、圧倒的強国となったアメリカに軍事的には依存することで、経済復興と国民生活の改善に集中して、「経済戦争に勝利した」と言われるほどの、奇跡の高度成長を実現したと思います。
しかし1980年代の後半に、世界秩序が「冷戦終結」と「経済のグローバル化」という大きな変化を遂げた際、ちょうどバブル経済の熱狂と、その崩壊による混乱の真っ只中にいた日本は、外的環境の変化に適応する変革を行う機会を逸したように見えます。政治は政界再編を繰り返して混乱し、行政はマスコミや国民から徹底した突き上げを受けて威信を喪失し、経済界も概ね80年代までの流れを継続して、今日に至ってしまっているように思えます。
90年以降のグローバル経済のキーワードは、簡単に言えば、「国際ルール」「国際分業」「情報化(英語化)」であると思います。これらを推進するのは国際政治力であるため、超大国となったアメリカが最も有利な立場に立ち、それに対してEUが結束して対応していると言った、二極化のような状況になっているように見受けられます。
国際ルールには、貿易や金融取引に関わるものが多くありますが、中でも88年制定のBIS規制(自己資本比率規制)は、BSを膨らませて世界の時価総額の上位を独占していた邦銀にとって、大きな打撃になったと思います。
また、国際分業による労働コストの低下は、製造業に依存する日本の労働市場には厳しいものですし、インターネットに代表されるIT技術は、軍需技術の転用であることが多いことから、日本は不利と言えるかもしれません。
このように考えると、昨今の景気低迷は一時的なことではなく、表面的な対応(リストラや官僚組織の無駄の排除)では、解決できない気がします。
日本経済は復活するか
このように、1990年前後を境にして、世界の政治経済秩序が大きく変化したという認識に立つと、日本がそれに本格的に適応し、経済成長を復活させようと思ったら、それこそ明治維新や戦後復興並みの意気込みで、変革を行う必要があるのかもしれません。
国民全般が比較的裕福な日本では「現状維持でよい」という意見もあるようですが、世界の経済が成長している以上、最近の対中関係で明らかなように、現状維持は「相対的衰退」を意味します。また、莫大な借金を抱える日本において、経済成長(=税収拡大)を諦めることは、即信用低下を引き起こす恐れがあり、致命的行為であると思います。
では具体的に何をすべきかと言うと、極めてべたな話ではありますが、力強い経済成長を実現させるための、国際競争力ある産業の育成、企業体力の強化(規模の拡大)、そして英語教育の徹底などではないかと思います。
日本の基幹産業である製造業は、相変わらず素晴らしいクオリティの製品を作っていますが、市場も製造現場も国際化し、技術もデジタル化によって匠の技術が生かしにくくなった今、強い事業を徹底して強化しつつ規模を拡大してコストを削減し、世界市場で売れるモノを造り出すことが欠かせないように思います。このような改革には、個別企業の努力のみならず、中国や韓国のように、政財界の強いリーダーシップが求められるかもしれません。
また、サービス業の中核を成すと言える金融業界も、本格的に国際競争力を得るためには、ドイツ、スイス、フランスの金融機関が行っているように、英語による経営の徹底と、積極的な海外進出が、必須なように思います。(それを自社だけで行うことが困難であれば、M&Aを積極的に活用すればよいと思います。)
「金融ビッグバン」や銀行再編は、競争力強化に有用ではあったものの、国際競争力をつけるというまでには至っていないように思います。また、民業圧迫を解消する目的の「郵政民営化」も、政策ビジョンが国民に対して不明確であったためか、現政権下では逆進してしまって、欧米では「日本は改革の意思を持たない」と、失望の声が上がっています。
英語教育の強化については、反対の声もあるようですが、日本独自の文化や国語の維持と、実用性に応じた外国語教育の強化が全く矛盾しないことは、日本が過去から、漢文やオランダ語を取り入れて海外から多くを学んで来た事からも、明らかな気がします。(残念ながら、そもそも感情論でどうにかなるほど、世の中も日本が置かれている現状も、甘くないように思います。)
日本経済は、上記のような産業競争力の問題以外にも、政府負債の肥大化や、国内労働市場の空洞化、高齢化の進展(労働人口の減少)など、色々な問題を抱えています。そんな中メディアでは、格差問題や厳しい労働環境など、生活に直結しそうな話が中心的に取り上げられているようですが、そうした各論や、後ろ向きの悲観論では、全体的な打開策は見出せない気がします。
むしろ、日本が置かれている状況と抱える問題が、上記のようにかなり特定化されていると考えれば、今の厳しい状況は、絶好の変革のチャンスと捉えることができるかもしれません。グローバル経済は、日本にとっては厳しい環境であるかもしれませんが、そうは言っても過去の帝国主義時代のように、国家の存亡を賭けて綱渡り外交を強いられるというほどではないと思います。
現在の日本で変革を国民がどれくらい必要と感じ、またその実践にどれくらい時間がかかるかは分かりませんが、根本的な国力を考えれば、全然不可能ではないように思います。政財界が成長ビジョンや世界情勢に応じた柔軟な戦略策定でリーダーシップを発揮し、また若い人材がどんどん海外に出て様々なノウハウを吸収することなどで、いずれまた日本が欧米メディアに「Land of the Rising Sun(日出ずる国)」と書かれるような国に復活することを、期待したいと思います。
このトレンドは、恐らく日本で報道されているレベルを遥かに上回るものであり、ニューヨークでは、文字通り一般家庭にまで、中国への関心が広がっているように思います。これを、バブル前の日本への関心と同様だと考える向きもあるでしょうが、2010年に上海万博を控えた中国政府は、成長持続とバブル抑制の政策を次々と打ち出しており、足元の好調トレンドは、すぐには変わりそうもありません。
そんな中国に関する話は、欧米のメディアにかなり氾濫していますし、2010年は日本にとって、バブル崩壊後20年という節目の年でもあります。と言うわけで今回は、年末年始休暇を利用して、日本への無関心がなぜ広がっているかについて、少々書いてみたいと思います。
日本への関心度の低下を如実に示しているのは、株式市場の動向です。株式投資に関わっている人であればご存知の通り、2009年の外国人投資家による日本株のウェイト(保有レベル)は、歴史的ともいえる低水準にまで下がっています。
投資家のウェイトは頻繁に変わるものなので、これだけでどうこう言うのは難しいですが、欧米の投資銀行でも、今まで日本株はアジア株と独立したチームであったのが、最近はアジア株の中に統合されつつあるという話を、以前にも書いたと思います。東証は売買高で既に上海市場に抜かれていますが、これで更に、欧米の投資銀行の日本へのコミットメントレベルが本格的に下がり出すようだと、大きなトレンドの変化と言えるかもしれません。
日本株への関心が下がっている理由は色々ありますが、グローバルファンドからよく聞かれる理由には、以下のようなものがあります。
1.円高進行と輸出先(欧米)経済の落ち込みにより、主力企業の利益が大幅に落ち込んで、P/E(株価収益率)で見ると株価が諸外国に比べて割高に見える
2.企業のバランスシートは比較的健全で、P/B(株価純資産倍率)では株価は一見割安に見えるが、日本企業はバランスシートを有効活用せずROEも低いので、妥当である
3.日本企業は世界でも独特の(収益最大化を一義としない)企業文化を持っており、今後もその傾向に変化が起こるようには見えないため、「投資先」として魅力的でない
4.バブル後20年経っても不景気から抜け出せず、国内経済はますます停滞して、現実的成長ビジョン策定における政治のリーダーシップも見えない
5.同じアジアでも中・韓の躍進は目覚しく、積極的に日本を買う理由が見当たらない
確かに円高や欧米の消費低迷は輸出依存の日本経済には打撃であり、それは国内労働市場への悪影響を通じて、内需にも深刻な影響を与えています。また、従業員と技術開発を重視した独特の企業文化は、企業全体として競争力を維持できていない現状においては、個別企業の利益成長はもちろんのこと、経済全体の成長の重しにも、なってしまっている気がします。
政治面では、長らく続いた自民党政治の制度疲労を修正すべく、民主党政権が誕生しましたが、そうした後ろ向きの改革(無駄削減)では実績をあげている反面、10年の参議院選挙をにらんでか、経済成長や企業、財政規律を軽視したバラマキ的な政策が、多いように見受けられます。
それに対して中国や韓国は、国家としてかなり明確な成長ビジョンを打ち出しており、それを五カ年計画のような形で発表したり、産業界の再編に介入したりして実践しています。そのおかげもあってか、経済成長のメンタリティは国民にも広くシェアされているようで、昨今の為替安にも助けられて、両国経済は今のところ順調な発展を遂げているように見えます。
このような情勢下において、日本経済の「相対的な地位の低下」は、恐らく国内で思われているより遥かに深刻なものになっているのですが、日本では生活実感としてこの問題が感じられないせいか、日本から来る人に対してこの話をアメリカ在住の友人と一緒にすると、大抵とても驚かれます。
しかし、そのようなトレンドを象徴する記事が、11月にEconomist誌に、掲載されていました。目次に載っていた記事のタイトルは「Japan As Number One(世界一の日本)」で、おっと思ってページをめくってみたのですが、副題は「Land of The Setting Sun(日沈む国)」でした。
内容は、ハーバード大のEzra Vogelが「Japan As Number One」という物議を醸した書物を出版した頃は、日本は不況にあえぐアメリカにとって多くを学ぶべき存在であったが、資産バブル崩壊後は、護送船団に慣れた企業は自己変革が柔軟にできず、当局の不良債権処理の遅れも重なって、経済がすっかり停滞してしまった、という話です。
そうした指摘は的を射ているので仕方が無いですが、残念だったのは、この記事の結論が、「では日本はどうすればいいか」ではなく、「あれだけ好調だった日本も失敗したのだから、『中国』は、今の経済成長に安穏としていてはいけない」というものであったことです。このような結論で締めくくり、日本を「日沈む国」と呼んでいるこの記事は、世界の関心が今どこにあるか(ないか)を、如実に表している気がしました。
もちろん、Economistに何を書かれようとも、中国経済の好調さも日本経済の低迷も、このまま延々と続く保証は「全く」ないと思います。それぞれ強みと問題点を抱えていますし、世界の経済情勢も常に変化していますので、2010年の終わりには、現在と全く逆転した状況になっているかもしれません。
しかし、日本がかつて明確な国家戦略(と強い国民意志)を持ち、米国を製造業で追い抜かしたように、韓国や中国が日本を絶対に追い抜かせないと考えるのは、間違いかもしれません。よって日本には、80年代にアメリカがそうであったように、自らの問題点を謙虚かつ徹底的に検証して、外国の良いところは積極的に取り入れるような柔軟な姿勢が、必要であるように思います。
日本経済の問題点
もう少し踏み込んで、日本経済の問題点は何かということまで考えてみたいと思いますが、それは簡単に言えば「環境変化への未適応」と「ビジョンと柔軟性の欠如」である気がします。
ここで言う環境とは、世界情勢、または世界経済秩序とも言えるかもしれませんが、バブル後の日本は、その変化にうまく適応できていないように見える、という意味です。また後者は、現状への対応が出来ていない上に、将来性を示すビジョンも、またその為に外国の良きを認める柔軟性も、なくなっているように思うという事です。
近代日本は開国以来、「文明開化」「富国強兵」「戦後復興」「所得倍増」と言ったように、比較的分かりやすいビジョンを持ち、独自の文化を維持しつつも、欧米列強から良い事は学び、あわよくば欧米を追い抜かしてやろうと言った姿勢があったとされます。これらは単なる精神論や感情論ではなく、時代に応じて考えられた国家戦略であり、その為の人材育成も、欧米留学などを通じて積極的に行われていたと思います。
また、世界情勢の変化への対応という点については、欧米列強が植民地化を推し進めた帝国主義時代には、その趨勢を敏感に感じ取って開国と近代化に踏み切り、欧米の軍事力を導入して「武力」で対峙するという道を選択しました。また戦後の冷戦時代には、圧倒的強国となったアメリカに軍事的には依存することで、経済復興と国民生活の改善に集中して、「経済戦争に勝利した」と言われるほどの、奇跡の高度成長を実現したと思います。
しかし1980年代の後半に、世界秩序が「冷戦終結」と「経済のグローバル化」という大きな変化を遂げた際、ちょうどバブル経済の熱狂と、その崩壊による混乱の真っ只中にいた日本は、外的環境の変化に適応する変革を行う機会を逸したように見えます。政治は政界再編を繰り返して混乱し、行政はマスコミや国民から徹底した突き上げを受けて威信を喪失し、経済界も概ね80年代までの流れを継続して、今日に至ってしまっているように思えます。
90年以降のグローバル経済のキーワードは、簡単に言えば、「国際ルール」「国際分業」「情報化(英語化)」であると思います。これらを推進するのは国際政治力であるため、超大国となったアメリカが最も有利な立場に立ち、それに対してEUが結束して対応していると言った、二極化のような状況になっているように見受けられます。
国際ルールには、貿易や金融取引に関わるものが多くありますが、中でも88年制定のBIS規制(自己資本比率規制)は、BSを膨らませて世界の時価総額の上位を独占していた邦銀にとって、大きな打撃になったと思います。
また、国際分業による労働コストの低下は、製造業に依存する日本の労働市場には厳しいものですし、インターネットに代表されるIT技術は、軍需技術の転用であることが多いことから、日本は不利と言えるかもしれません。
このように考えると、昨今の景気低迷は一時的なことではなく、表面的な対応(リストラや官僚組織の無駄の排除)では、解決できない気がします。
日本経済は復活するか
このように、1990年前後を境にして、世界の政治経済秩序が大きく変化したという認識に立つと、日本がそれに本格的に適応し、経済成長を復活させようと思ったら、それこそ明治維新や戦後復興並みの意気込みで、変革を行う必要があるのかもしれません。
国民全般が比較的裕福な日本では「現状維持でよい」という意見もあるようですが、世界の経済が成長している以上、最近の対中関係で明らかなように、現状維持は「相対的衰退」を意味します。また、莫大な借金を抱える日本において、経済成長(=税収拡大)を諦めることは、即信用低下を引き起こす恐れがあり、致命的行為であると思います。
では具体的に何をすべきかと言うと、極めてべたな話ではありますが、力強い経済成長を実現させるための、国際競争力ある産業の育成、企業体力の強化(規模の拡大)、そして英語教育の徹底などではないかと思います。
日本の基幹産業である製造業は、相変わらず素晴らしいクオリティの製品を作っていますが、市場も製造現場も国際化し、技術もデジタル化によって匠の技術が生かしにくくなった今、強い事業を徹底して強化しつつ規模を拡大してコストを削減し、世界市場で売れるモノを造り出すことが欠かせないように思います。このような改革には、個別企業の努力のみならず、中国や韓国のように、政財界の強いリーダーシップが求められるかもしれません。
また、サービス業の中核を成すと言える金融業界も、本格的に国際競争力を得るためには、ドイツ、スイス、フランスの金融機関が行っているように、英語による経営の徹底と、積極的な海外進出が、必須なように思います。(それを自社だけで行うことが困難であれば、M&Aを積極的に活用すればよいと思います。)
「金融ビッグバン」や銀行再編は、競争力強化に有用ではあったものの、国際競争力をつけるというまでには至っていないように思います。また、民業圧迫を解消する目的の「郵政民営化」も、政策ビジョンが国民に対して不明確であったためか、現政権下では逆進してしまって、欧米では「日本は改革の意思を持たない」と、失望の声が上がっています。
英語教育の強化については、反対の声もあるようですが、日本独自の文化や国語の維持と、実用性に応じた外国語教育の強化が全く矛盾しないことは、日本が過去から、漢文やオランダ語を取り入れて海外から多くを学んで来た事からも、明らかな気がします。(残念ながら、そもそも感情論でどうにかなるほど、世の中も日本が置かれている現状も、甘くないように思います。)
日本経済は、上記のような産業競争力の問題以外にも、政府負債の肥大化や、国内労働市場の空洞化、高齢化の進展(労働人口の減少)など、色々な問題を抱えています。そんな中メディアでは、格差問題や厳しい労働環境など、生活に直結しそうな話が中心的に取り上げられているようですが、そうした各論や、後ろ向きの悲観論では、全体的な打開策は見出せない気がします。
むしろ、日本が置かれている状況と抱える問題が、上記のようにかなり特定化されていると考えれば、今の厳しい状況は、絶好の変革のチャンスと捉えることができるかもしれません。グローバル経済は、日本にとっては厳しい環境であるかもしれませんが、そうは言っても過去の帝国主義時代のように、国家の存亡を賭けて綱渡り外交を強いられるというほどではないと思います。
現在の日本で変革を国民がどれくらい必要と感じ、またその実践にどれくらい時間がかかるかは分かりませんが、根本的な国力を考えれば、全然不可能ではないように思います。政財界が成長ビジョンや世界情勢に応じた柔軟な戦略策定でリーダーシップを発揮し、また若い人材がどんどん海外に出て様々なノウハウを吸収することなどで、いずれまた日本が欧米メディアに「Land of the Rising Sun(日出ずる国)」と書かれるような国に復活することを、期待したいと思います。
by harry_g
| 2010-01-01 08:51
| 海外から見た日本