2009年 12月 23日
投資の成否は「運」次第? |
先日のエントリーへのコメントの中で、ウォールストリートへの批判的ご意見として、投資銀行が行っていた自己取引について、以下のような趣旨のご意見を頂きました。
本来仲介役であるべき投資銀行は、人のお金(レバレッジ)を使って自己の投機的取引を行い、失敗して破綻した際には経済全体を混乱に陥れた。そんな金融機関に働く人が「優秀」であるはずはなく、投資運用の成功者は、サイコロで連続して1の目を出し続ける人が確率的にいるのと同様に、運が良いだけである。
このようなウォールストリートで働く人への能力批判は、高額給与批判とも合わさって、アメリカでも良く聞かれるものなので、個人的見解を少々書いてみたいと思います。
まず最初に、投資運用の成功者を「確率的に単に運良く生き残った人」だとする学者がこちらにもいます。私は学者でも何でもありませんが、その議論には賛同できません。
その理由は、サイコロであれば結果は完全に運次第で、20回連続でぞろ目を出しても特殊能力では無いのに対して、投資運用の世界では、「サイコロを誰が振るか」で結果が変わってくると思うためです。
もちろん投資には、確率や運の要素が大きく関わって来るため、その事について理解をすることは、極めて有益だと思います。しかし結果が完全に運次第であるサイコロ振りと異なり、投資は、経験やノウハウ、判断力などによって、結果をかなりの程度でコントロールできるものだと思います。その意味で、両者はまさに「似て非なるもの」であり、例えが適切ではないかもしれませんが、ラスベガスのカジノにあるスロットマシーンと、日本のパチンコ屋にあるパチスロマシンの違いのようなもの、だと言えるかもしれません。
単なる投機と投資が違うことは、George SorosやJulian Robertson(Tiger Mgmt)、Robert Rubin(GSPS)と言ったヘッジファンドの大御所や、Peter LynchやBill Miller (Legg Mason)のような投資信託業界の成功者について書かれた本の中で説明される、彼らを成功に導いた思考方法を検証したり、彼らの部下がそのノウハウを引き継いで今も活躍している事などからも、ある程度確認できる気がします。もちろん彼らにも失敗はありますが、その原因も非運だけでないことが、分かるのではと思います。
投資結果はあくまで運で決まる、といった趣旨の議論を展開して有名なのは、名著「ウォール街のランダムウォーカー」や、「まぐれ」、「ブラックスワン」などの著者達であり、例えば株価は短期間の値動きを見れば上げ下げの確率はほぼ半々であり、それを当てるのはギャンブルに等しい、というコメントなど、彼らの主張には共感できる部分も多くあります。しかし、数量的分析を重視し過ぎると、どうしても機械的、表層的になってしまい、人間が営む投資活動の結果を導く「なぜ」の部分の分析が、不十分になってしまう気がします。
関連した話として、「過去数年間、サイコロで1を出し続けたからと言って、今後もそうできるとは限らない」と言ったように、運用者の過去の運用成績(トラックレコード)を見ても将来のパフォーマンスは分からない、という批判も良く聞かれます。そのような議論は、誠にもっともだと思います。と言うのは、本当に重要なのは「結果」ではなく「原因」であると考えるためです。
投資信託などを購入する際、運用者の将来の成績を占いたいのであれば、結果の数字だけを見て判断するのではなく、「何故成績が良かった(悪かった)のか」と言う投資プロセスを分析することが、重要だと思います。一流と言われる機関投資家や、ヘッジファンドへの投資を専門にするFoF(ファンド・オブ・ファンズ)、ヘッジファンドリサーチ会社などは、そうした分析ノウハウを有していて、リターンの「再現性」の分析に注力しているようです。
話が少々それてしまいましたが、将来の成功が過去の実績だけでは推し量れないのと同様に、ウォールストリートが一度大失態を犯したからと言って、「それまでの成功は運であり、投資を成功させる能力はない」という結論には、必ずしも結びつかない気がします。それよりも重要なのは、「何故大失敗を犯したか」であり、その問題への対策を早々に練ることではと思います。
「人のお金でアンフェアな勝負をしていた」という部分も、世界には年金や保険といった巨額の運用資金が存在し、その資金が常に有利な投資先を求めていることや、当時は世界中がクレジットバブルのメリットを謳歌していたことを考えると、全てアンフェアであったとは言えないかもしれません。金融危機の犯人は誰かというエントリーも、昔書いたことがありますが、当時は米国市民や日本も例外なく利益を受けていたと言えると思います。
とは言え、金融インフラの機能を果たすべき巨大金融機関が、その強固なバランスシートを利用してリスクの高い取引を行い、破綻して経済を混乱させたことについて、当局や経営者に言い逃れの余地はなく、その反省を受けて、今後様々な形で安全対策が強化されるものと思います。アメリカでは、そうした投資機能を分離すべきだと主張する人もいますし、ヨーロッパで叫ばれる「銀行分割論」も、その一つの案と言える気がします。
また、投資銀行の従業員が、リスク量に拘らず単年度のパフォーマンスを最大化するインセンティブが働くような報酬制度になっていたことも、強い批判に晒されており、これについても規制や自己規制が検討されています。例えばCredit Suisseでは、ボーナスを複数年の業績に連動させ、一度払われたボーナスも、将来の業績によっては払い戻しを求められるようにすると言った方策を、既に導入しているようです。
ちょっと長くなってしまいましたが、今回の金融危機によって、ウォールストリートの能力云々が判断されるべきではなく、何故失敗をしたかを検証して、その対策を打つことこそが、求められている気がします。毎回同じ結論になってしまいますが、規制産業であるウォールストリートにとっては、そうした規制環境の変化は非常に重要なので、引続き成り行きを注目していたいと思います。
本来仲介役であるべき投資銀行は、人のお金(レバレッジ)を使って自己の投機的取引を行い、失敗して破綻した際には経済全体を混乱に陥れた。そんな金融機関に働く人が「優秀」であるはずはなく、投資運用の成功者は、サイコロで連続して1の目を出し続ける人が確率的にいるのと同様に、運が良いだけである。
このようなウォールストリートで働く人への能力批判は、高額給与批判とも合わさって、アメリカでも良く聞かれるものなので、個人的見解を少々書いてみたいと思います。
まず最初に、投資運用の成功者を「確率的に単に運良く生き残った人」だとする学者がこちらにもいます。私は学者でも何でもありませんが、その議論には賛同できません。
その理由は、サイコロであれば結果は完全に運次第で、20回連続でぞろ目を出しても特殊能力では無いのに対して、投資運用の世界では、「サイコロを誰が振るか」で結果が変わってくると思うためです。
もちろん投資には、確率や運の要素が大きく関わって来るため、その事について理解をすることは、極めて有益だと思います。しかし結果が完全に運次第であるサイコロ振りと異なり、投資は、経験やノウハウ、判断力などによって、結果をかなりの程度でコントロールできるものだと思います。その意味で、両者はまさに「似て非なるもの」であり、例えが適切ではないかもしれませんが、ラスベガスのカジノにあるスロットマシーンと、日本のパチンコ屋にあるパチスロマシンの違いのようなもの、だと言えるかもしれません。
単なる投機と投資が違うことは、George SorosやJulian Robertson(Tiger Mgmt)、Robert Rubin(GSPS)と言ったヘッジファンドの大御所や、Peter LynchやBill Miller (Legg Mason)のような投資信託業界の成功者について書かれた本の中で説明される、彼らを成功に導いた思考方法を検証したり、彼らの部下がそのノウハウを引き継いで今も活躍している事などからも、ある程度確認できる気がします。もちろん彼らにも失敗はありますが、その原因も非運だけでないことが、分かるのではと思います。
投資結果はあくまで運で決まる、といった趣旨の議論を展開して有名なのは、名著「ウォール街のランダムウォーカー」や、「まぐれ」、「ブラックスワン」などの著者達であり、例えば株価は短期間の値動きを見れば上げ下げの確率はほぼ半々であり、それを当てるのはギャンブルに等しい、というコメントなど、彼らの主張には共感できる部分も多くあります。しかし、数量的分析を重視し過ぎると、どうしても機械的、表層的になってしまい、人間が営む投資活動の結果を導く「なぜ」の部分の分析が、不十分になってしまう気がします。
関連した話として、「過去数年間、サイコロで1を出し続けたからと言って、今後もそうできるとは限らない」と言ったように、運用者の過去の運用成績(トラックレコード)を見ても将来のパフォーマンスは分からない、という批判も良く聞かれます。そのような議論は、誠にもっともだと思います。と言うのは、本当に重要なのは「結果」ではなく「原因」であると考えるためです。
投資信託などを購入する際、運用者の将来の成績を占いたいのであれば、結果の数字だけを見て判断するのではなく、「何故成績が良かった(悪かった)のか」と言う投資プロセスを分析することが、重要だと思います。一流と言われる機関投資家や、ヘッジファンドへの投資を専門にするFoF(ファンド・オブ・ファンズ)、ヘッジファンドリサーチ会社などは、そうした分析ノウハウを有していて、リターンの「再現性」の分析に注力しているようです。
話が少々それてしまいましたが、将来の成功が過去の実績だけでは推し量れないのと同様に、ウォールストリートが一度大失態を犯したからと言って、「それまでの成功は運であり、投資を成功させる能力はない」という結論には、必ずしも結びつかない気がします。それよりも重要なのは、「何故大失敗を犯したか」であり、その問題への対策を早々に練ることではと思います。
「人のお金でアンフェアな勝負をしていた」という部分も、世界には年金や保険といった巨額の運用資金が存在し、その資金が常に有利な投資先を求めていることや、当時は世界中がクレジットバブルのメリットを謳歌していたことを考えると、全てアンフェアであったとは言えないかもしれません。金融危機の犯人は誰かというエントリーも、昔書いたことがありますが、当時は米国市民や日本も例外なく利益を受けていたと言えると思います。
とは言え、金融インフラの機能を果たすべき巨大金融機関が、その強固なバランスシートを利用してリスクの高い取引を行い、破綻して経済を混乱させたことについて、当局や経営者に言い逃れの余地はなく、その反省を受けて、今後様々な形で安全対策が強化されるものと思います。アメリカでは、そうした投資機能を分離すべきだと主張する人もいますし、ヨーロッパで叫ばれる「銀行分割論」も、その一つの案と言える気がします。
また、投資銀行の従業員が、リスク量に拘らず単年度のパフォーマンスを最大化するインセンティブが働くような報酬制度になっていたことも、強い批判に晒されており、これについても規制や自己規制が検討されています。例えばCredit Suisseでは、ボーナスを複数年の業績に連動させ、一度払われたボーナスも、将来の業績によっては払い戻しを求められるようにすると言った方策を、既に導入しているようです。
ちょっと長くなってしまいましたが、今回の金融危機によって、ウォールストリートの能力云々が判断されるべきではなく、何故失敗をしたかを検証して、その対策を打つことこそが、求められている気がします。毎回同じ結論になってしまいますが、規制産業であるウォールストリートにとっては、そうした規制環境の変化は非常に重要なので、引続き成り行きを注目していたいと思います。
by harry_g
| 2009-12-23 06:59
| ヘッジファンド・株式投資