やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

梅毒なみに怖れられていた凶悪な「オナニーの害毒」について、また社会秩序からみた性病とオナニーの背景にあるもの

 

 かつてオナニーはおそろしい害をもたらすと信じられ、怖れられていた。
 18世紀のローザンヌの医者であるティソの『オナニスム マスターベーションが引き起こす病気について』(1760)は、オナニーを「科学的に糾弾」する時代の扉を開いた。それまでは、オナニーはたしかに致命的な罪ではあったが、教会で告解すればどうにか消し去ることのできる罪であった。だが身体に根拠をもつ疾病となると、もはや告解では解決しない。
 『オナニスム』の次のようは記述は、のちにずらずらと出てくる類書にも見られる、典型的なものだ。ここで犠牲になるのは「十七歳まではすこぶる健康だった」時計職人の少年。だが彼は不幸なことにオナニーに熱中し、毎日行い、ときには一日三回に及ぶこともあったという。そして一年が経つと……

 

 このころ私は一度会ったことがあるのだが、まず受けた印象は、生きている人間よりは死体に近いというものだった。体を動かすこともできない、鼻からは血が出ている、ひどい口臭、下痢をしていて藁のベッドは糞尿まみれなのにそれも気にならない様子、精液も出っぱなし、目は空ろ、脈も弱い、呼吸も苦しそう、心も体と同様に不調、頭の中には何もない、記憶もできず、二つの文をつなげることもできない。そうして感じるのは痛みだけ。*1

 

 こうして少年は1757年6月に死亡したのであった。
 盛っていないか? あるいは実際に見たままを記しているとして、それは本当にオナニーが原因だったのか(サルモネラ感染症ではないのか)? という疑問が当然湧いてくる。あるいは別の青年はオナニーするたびに必ず癲癇の発作を起こしていたのだが(癲癇だったのではないか?)、「ある朝、ベッドの下に落ちて血塗れになって死んでいるのが発見された」という。ティソは「マスターベーションに起因するてんかん様痙攣」で死亡したと即断する。

 

オナニーによって衰弱死しかかっている男性。THE FATAL CONSEQUENCES OF MASTURBATION.(1830)

 

 『オナニスム』の内容は長いあいだ信じられ、1905年まで版を重ねた。我々はもう忘れてしまったが、20世紀中頃までオナニーは「なんとなく罪悪感がある」というレベルの話ではなく、実際に心身に害をもたらすと考えられていたのである。

 それにしても類書による記述はあまりにも似通っている。実際、それらの描写には共通したコードがあった。*2つまりテンプレが確立されていたわけだ。そして、それらはより重大な病気――時には身体的障害や知的障害、そして道徳的障害の観察記録を援用したものであった。たとえばピエール・ガルニエによる次の記述も典型的なものとされている。

 

 マスターベーションは、素人目にもすぐ見てとれる。顔色は蒼白くくすみ、目は凹み、周りには隈ができ、表情には、羞恥と悲哀と不安が混然となって現れている。*3

 

オナニーで病気になった男。R.&L.Perry and Co:The Silent Ffriend.(1853)

 

 素人目にもすぐ見てとれますかねえ。電車に乗っていて「あっあの人はオナニーしてるな。顔は蒼白いし目は凹んでるし」と感じたことは、正直なところ一度もない。
 もう一つ例を挙げると、『ラルース十九世紀大百科事典』(1866-1873)にはオナニーについて、次のような文言がある。

 

 マスターベーションが非常に多くの病気の素地となることは、全ての医師が認めている。事実、歯止めなくこの行為にふける者は、すぐに全身衰弱状態に陥る……結果として特に、衰弱を伴う肺病の発病が見られ、また神経系にさまざまな障害が現れる……
 (中略)
 想像力と同時に感情も弱まる。全てに倦み、極めて簡単なことを考えるのも厭う。最低限の知的労働もできなくなる。心身の衰えを自覚しても、それを改善するために必要な精神的エネルギーは、既にない……極度の憂鬱感とヒポコンデリーに襲われる。時として、昔の自分の姿を思いだし、将来の姿を予想することで、人生のあらゆる喜びに対する嫌悪感に満たされ、悲しみに沈んで自殺に至る場合がある。*4

 

 ラルースはこの後もなかなかオナニーに対して保守的な態度を改めなかったようで、1923年の版でもまだ「オナニスムはしばしば非常に重大な障害をもたらす」と書いている。*5まあ19世紀版については、当時の医学じたいがこの水準だったので情状酌量の余地はあるにしても。

 こうした医学的見解の背景には、宗教的道徳観がべったり貼り付いていたことは言うまでもない。すなわちオナニーという大罪を犯したからには、それなりの重い報いを受けなければ道理が通らぬのである。*6医師でありかつ、道徳神学の権威であったドゥブレイヌ神父の次のような記述は19世紀としてはオーソドックスなものであった。

 

 この不幸で恥ずべき情念の犠牲となった若者たちは、多かれ少なかれ記憶力と知能を失う。そして愚かで間抜けでバカで陰気で陰鬱で憂鬱で心気症で内気で怠惰で卑怯で無気力になる。恐ろしい衰弱と、身の毛がよだつほどのもうろく状態に陥る。
 (中略)
 この者は神に背き、自然に背き、自らに背いたのだ。創造主の教えを踏みにじり、自らの内にある神の姿をゆがめ、けだものの姿に変えてしまったのだ。*7

 

 ところで、往年の人気ブログ「ちゆ12歳」で紹介されていた、林ひさお氏の『憧憬』という昭和のエロマンガには、まだ少しそうした世界観が残っているように思う。

 

 

 

tiyu.to

 

 ……だがここで、ちょっと気にかかることがある。というのも、どうも時によってオナニーの害悪が梅毒のイメージに接近する場合があるらしいのだ。
 かたや売春婦などの不特定多数とのセックスと結びつけられていた梅毒と、かたや寝室や人目に隠れて一人でするものであったオナニーの病相が、たまに急接近するかのように見えるのは何故なのか。その理由までは解き明かすことが出来ないかも知れないが、今回の記事ではそこを見てゆきたい。

 

 *

 

 梅毒。これもまた、恐ろしげなイメージという点では上に挙げた「オナニーの害」と双璧をなす。しかも、こちらは「オナニーの害悪」のような想像上のものではなく現実である。

 ペニシリンのような効果的な治療法がなかった時代の梅毒というのは、進行すると骨にまで達するゴム状の腫瘍によって顔はもとより全身が醜く歪み、よく聞くように鼻が落ちることもあり、脳・脊髄・神経の麻痺性痴呆が起こり、最終的には衰弱死に至るというおそろしい病であった。

 ヴォルテール『カンディード』のなかに、カンディードの旧師であるパングロスという哲学者が出てくるが、彼は再会したとき乞食のようなやつれた姿で梅毒をわずらっていた。ちょっとした火遊びが原因だったのだが、そのさまは次のようなものだったという。

 

 からだじゅう吹出物だらけで、目には生気がなく、鼻先は崩れ、口はひん曲り、歯は真黒で声はしゃがれ、ひどい咳に苦しんで、気張るたびに歯を一本ずつ吐き出さんばかり*8

 

1498年の医学書に描かれた梅毒患者

 

 この時点すでに「あれ? オナニー患者についての描写となんだか似てないか?」と思ったのだがとにかく話を進めよう。

 さてペニシリンやサルバルサン以前の伝統的な梅毒の治療法といえば、水銀を使ったもので、水銀燻蒸法や水銀軟膏が知られている。騎士にして桂冠詩人、ルター思想の強力な実践者であったウルリヒ・フォン・フッテン(1488-1523)の死因はwikipediaには「病死」としか書かれていないが、裏面史では彼の女好きはよく知られており、晩年は梅毒を患っていた。死因はあくまで不明だが、おそらく梅毒がらみであると見做されている。

 フッテンは水銀療法の恐ろしさについて、自著『癒瘡木による治療とフランス病とについて』(原題De morbo Gallico On the French disease.1519)に記している。

 

 患者は日に一度か数度にわたってこの軟膏のマッサージを受け、常時高温に保たれている発汗室に閉じこめられた。このような療法が二〇日から三〇日の間続いた。その治療のために患者は衰弱しはじめた。巨大な腫れをともなう潰瘍がいくつか咽喉や口に現れた。歯茎が腫れ、歯はぐらぐらしてそれから抜け落ちた。吐き気を催させるような涎が口からだらだらと流れ出してくる。大部分の患者たちはほとんど百人中一人しか治らないようなこうした野蛮な手当よりも死ぬ方がいいと思っていた。*9

 

水銀燻蒸法

 

 なにやら梅毒じたいも恐ろしいが水銀治療も似たり寄ったりで、フッテンはこうしてさんざん苦しんだあと、それに比べればつらくはない癒瘡木(ユソウボク)の効能を激賞している。

 フッテンの本の影響で癒瘡木による治療が人気を博し、これを扱う貿易業者、とくにフッガー家のアウグスブルグの金融会社は大繁栄した。その荒稼ぎのもようについては、「一六世紀に法王をも支配するまでにのしあがったドイツの財閥フッガー家の富の一部は、梅毒によってきずかれたものであった」*10とまで云われている。

 

ユソウボクによる梅毒治療。医者の服がたいへん豪華であることが指摘されている。

 

 だが残念ながら、フッテンにそれほどの医学的知識があるわけではなかった。*11結局フッテンもほどなく死に、のちに癒瘡木には言うほどの効果がないことを暴いたのは1529年のパラケルススの論文であった。*12そこでフッガー家はパラケスルスに圧力をかけて論文の出版を停止させたが、やがて癒瘡木の人気は翳り、16世紀末にはフッガー家は癒瘡木の交易事業から撤退することとなった。

 ……とそのくらい水銀治療は極力避けたい悲惨なものであったが、さらに患者に追い打ちをかけたのは、水銀治療を受けていることが誤魔化せないことであった。

 

 水銀は、発熱、唾液過多、腺の肥大、歯の緩み、体の悪臭などを招く。つまり、最も身近で親愛な人物に、自分が梅毒の治療を受けていることを隠しておくのは不可能だったのである。*13

 

 梅毒については水銀にしろあるいは断食や瀉下にしろ、治療法じたいが罪にたいする罰だと理解されていた。この傾向は、18世紀以降、中産階級の勃興とともに顕著になったといわれる。*14これは19世紀に入ってもそうで、宗教関係者によれば、梅毒は神罰である以上、予防だとか効果的かつ苦痛の少ない治療法といったことを考える必要などなく「梅毒に感染するかもしれない」という恐怖こそが人々を規律と倫理的生活に導くと考えられていた。*15。同様の考えから、教皇レオ12世は1826年にコンドームの使用を禁止した(おい!)。*16こうした発想は、ドゥブレイヌ神父らのオナニー観とまったく同じではないか。

 そんなありさまだったので、梅毒に感染したとわかると悲観して自殺する若者が後を絶たなかった。そして彼らは、水銀療法を免れ、身近な者からそれを隠すことができるならどのような代替医療にも飛びついた。

 

 *

 

 以上をふまえて、話は「オナニーの害毒」(と想像されていたもの)に戻るのだが、19世紀になっても相変わらずオナニーの害を脅す『男性の活力』とか『結婚の哲理』、『医学評論・男らしさ』といったインチキ医学書は山ほど出版されていた。いわく「男性の早老の原因と治療について。神経的、肉体的衰弱、記憶および筋力の減退、腰痛、ならび不快にして命を縮める疾病の治療法」*17うんぬん。

 すでに幾つか引用したが、どうも扇情的なものが多くて引用したくなってしまうのでもう一つ。

 

 そしてまた、墓から抜け出してきた幽霊のようにあの生ける屍がさまようのをみたことがない者など、いるだろうか。眼はどんよりとし、口は微笑むこともなく、顔はすっかり色を失いうらぶれて、もはや喜びや幸福の光を浴びて花開くこともない。手足は鈍重になり、簡単な動作ひとつさえ、苦労してやっとのことでしかできない。*18

 

「呼んだ?」

 

「呼んでねえよ…帰るぞ」

 

「はい……」

 

 ほとんどホラー小説の描写めいたこうした文献は、ロジェ=アンリ・ゲランによれば「こういう筆致の文献を集めて、立派な選書を作ろうと思えば作ることもできるくらい」巷間にあふれていたそうである。選書はきついが、一冊のアンソロジーにまとめてもらえるなら読んでみたい気もする。

 そうしてさんざん恐怖を吹き込まれた情弱の若者は――もっとも当時の情報環境で情弱はやむを得ぬことなのだが――診察を受けるか、尿の試料を郵送するように求められる。だがそうしたが最後十中十が「重篤な病いの兆候がある」と診断されるのだった。

 こうして怪しげな治療器具を通販で買わされるのはまだ優しいたぐいだ。*19だがその程度では済まない場合、破滅に至るオナニー病の「唯一の」療法として提示されるのは――そう、水銀であった。ヤングソンとショットいわく、こうして「患者の心の中に、自分の症状と梅毒との間の明白な結合を形成するのである」。

 次の場面はなんというか絶品だと思うので、ぜひお読みいただきたい。

 

 相談は無料だと説得されて、いかさま医者と直接面談におもむいた患者は、水銀療法が人の容貌に及ぼす恐るべき影響を微に入り細にわたって示した模型を見せられることになる。その上で、もう一つ別の「黄金の」治療法がある、だがきわめて高くつく、と言い渡される。
 「おいくらですか?」と患者は苦悶にあえぎながら云う。その目の前には恐怖の模型がある。腫れ上がった歯茎、かつては歯があった黒い孔、ひび割れて液がにじんだ皮膚、梅毒で崩れかけた鼻。
 「こうなる前は若い方だったんですよ」といかさま医者は言う、「あなたとそう変わらない、やはり男前でね」。
 若者は涙を流さんばかりに、「おいくらで?」と問う。いかさま医者は溜息をつき、声にならない声を立てながら計算するふりをする。
 「ご病気はかなり進んでおりますので五百ポンドかかりますな」。五百ポンドは大金で、若者には払いきれるものではない。治療は受けられない。若者は泣く。
 いかさま医者は、よい考えがあると言わんばかりに客を慰める。今は前金だけいただいて、残りは分割払いに願いましょう、固定利率で。若者はその利率が四百パーセント近いことを知らされる。*20

 

人体標本の展示、倫理と公共利益の間で ウィーン博物館 写真28枚 国際ニュース:AFPBB News

 

2022新春伊豆合宿3 まぼろし博覧会 その1 : 休日自衛隊ライブドア基地 JHSDF livedoor base

 

 19世紀イギリスは物価が安定しており比較的計算しやすいと言われるが、1ポンドがだいたい6~8万円とのことであり、したがって500ポンドというのは今でいえば3000~4000万円になる。これを年利400%で返済するというのは尋常ではない。当時はいまよりはっきりと階級が分かれていたので、中産階級以上の子女ならなんとか払えたのかも知れないがそれにしてもひどい、というか地獄に堕ちろ。

 

 *

 

 しかし、そういう時代に決まった相手がいる者はともかくとし、いわゆる「非モテ」は性欲処理をどうすればよいのだろう?
 現代なら「非モテはオナニーしとけ」と言うのが定番だろう。だがオナニーですら梅毒並みのおそろしい病に罹る(と信じられていた)時代には、睾丸を精子でぱんぱんにしながら、オナニーに繋がる刺激をひたすら避け、時に怪しげな通販のベルトに頼ったりしつつも意志の力で耐えろということなのか。

 

Jonas E.Heyserの特許によるオナニー防止ベルト。20世紀初頭

 

 実際、ウィリアム・アクトン(1813-1875) のような当時の水準ではかなりリベラルな医師――彼は売春を根絶するのは非現実的だとし、国家による待遇改善を訴えていた――でさえ、オナニーの害悪を逃れるために重要なのは「自制」であるだと説いていた。

 

 本当の自制とは「自分の力をわきまえ、自分の持続的な意志力がなければ、欲望に身を委ね、それに耽ってしまうであろう人間によってなされる、すべての情念に対する完璧なコントロールである」と彼は言う。もちろん、彼はそれが試練、辛くきびしい試練であることをよく知っている。自制とは、言わば、十九世紀の核心的な観念である「義務」の一ヴァリアントなのである。*21

 

 アクトンによれば夢精や遺精ですら強い意志の力があれば防げるという。なんとなれば、意志力によって夢の内容をコントロールすることは可能だからである。本当かよ。

 さておき現実的には、「さっさと結婚しろ」というのが唯一の時代が与えた解決策であった。*22ただし結婚すれば万事解決でもないらしく、アクトンの議論にもう少し付き合うならば、出産を経ることによって夫婦とも性欲が平和裏に減退してゆく、というのが彼が描く理想の終着点であり、夫婦でもやりすぎると独身者のオナニーと同じような衰弱を起こす、と彼は論じている。*23

 つまり結婚よりも「出産」に眼目が置かれていたわけだ。なるほどたしかに、「子作りでないセックスは本質的にオナニーの側」だという論理が背後にあると考えれば、この論理はスムーズに理解できる。*24これは産めよ殖やせよ的な富国強兵とも結びつく、国家にとってもまことに理に適った解決策だったのであり*25、また「出産に差し障るもの」として性病と自慰は社会から双頭の竜のような敵と見做されていたのではないか……という構図もおぼろげに見えてくる。

 性病と出産=富国強兵という観点から、アラン・コルバンは当時の20世紀初頭のフランスの性科学者の言説を次のようにまとめている。

 

 性病はまた――とりわけ――といってよいだろうが――種族をおびやかす。というのも、それは女性を不妊症にし、流産の危険を著しく増加させ、純潔な乳母を襲い、奇形やくる病患者や精神薄弱者を増やすからというわけだ。ここでは、性病学者の言説には、以前にもまして、フランスにおける出生率低下を察知して嘆く者たちすべてがいだく不安に通ずるところがある。*26

 

 また、より直接的には、

 

 生殖力を衰弱させることによって、この病気は国家から未来の兵士を奪ってしまう。「この一年で梅毒が殺すことになる子どもの半分か三分の一は、思うに、二十年後にはそれだけの数の徴兵適齢者になっていたのではないでしょうか」と、アルフレッド・フルニエは風紀規制の院外委員会のメンバーに問いかけている。*27

 

 またコルバンは同論文のなかで、20世紀に入って性病(とくに梅毒)予防という観点から、スポーツや野外運動、農作業、トレッドミルによる運動、知的作業といったさまざまな性欲をまぎらわすための処方箋が提案されたことについて詳述しているが、さきほどのアクトンのオナ禁的な議論も、「禁欲による性的問題の解決」という観点から大いに共通点が見出せるであろう。

 

19世紀のトレッドミル。運動で性欲を昇華しよう!Penal treadmill - Wikipedia

 

 *

 

 さて、だいたい書きたいことは書いた。以下は付録として20世紀におけるオナニーのノーマライゼーションについてまとめてみたもので、興味のない方は読み飛ばしていたただいてかまいません。

 

 まず個人的な見解を述べておくと、20世紀に入ってオナニーのノーマライゼーションが進んだ理由としては、結婚しない生き方もあるとか、離婚だってしてもいい、というような個人主義にもとづくライフスタイルの多様化が進み、オナニー有害説一辺倒では無理が生じてきたこと、また二度の大戦によって、より現実志向の医学が要請されるようになったことが背景にあると思われる。

 20世紀前半に最も影響力のある性科学者であったマグヌス・ヒルシュフェルト(近年、彼の『戦争と性』が宮台真司の解説をつけた復刊で話題になりましたね)は、1917年に刊行された『性病理学』のなかで「オナニーの害について書かれたものはすべて捨てるべきだ」と宣言している。オナニーの害、それはほんとうの意味で証明されたことは一度もないのだ、とヒルシュフェルトはいう。

 また、オナニーのノーマライゼーションについてはハヴロック・エリスの存在を抜かすことはできない。彼の『性の心理学的研究』(1897-1928)の画期的な点は、性について「あるべき姿」――自然な、本来的な、あるいは神が定めた――といった前提をいっさい排除し、いまあるがままの性の形態を論じたことだと金塚貞文は指摘している。エリスは「芸術や詩という正常な現われの一要因であるところの、また人生全体を多少とも彩っているところの抑圧された性活動」の諸変形の現れを《オート・エロティスム》と呼び、オナニーもその一つであるとした。*28

 20世紀の両大戦間には、青少年のオナニーに害はないという性教育が有志によって行われるようになった。一例を挙げるとソルボンヌの倫理学正教授アルベール・バイエやフリーメーソン団員たちがそれであったが、彼らの活動にはフロイト主義の影響があった。この時期になるとオナニー有害派からも「撤退戦」的な言説が散見されるようになる。いわゆる「やりすぎはよくない」派である。アルバート・モルやイワン・ブロッホ、1929年の『医学知識百科事典』がこういった立場を採っている。やりすぎた場合の害というのはだいたい勃起不全であったり陰鬱、無愛想、利己主義に陥るといったもので、これらは現代のインターネットポルノ中毒にまつわる言説に、より洗練されたかたちで継承されている。だがそれはそれとして「やりすぎはよくない」派もきびしい批判にさらされ、頻度にかかわらずオナニーに害はないという説が有力となった。*29

 フロイトは幼児期の多型倒錯的なセクシュアリティを再発見した。彼の理論は完全なオナニー無害論にはなりきっていない過渡期的なもので、幼少期のオナニーを普遍的なことをしつつも、思春期を超えてオナニーを続けることには些かの問題があるとした。*30だがそれは、オナニーに伴う空想が神経衰弱やヒステリー、不安神経症の源泉になるという論理であってオナニー自体の害は重視されていない。またフロイトとその弟子たちは、青春期の異性愛関係を禁じる社会の不寛容さに強く反対した。

 一方でこの時代にオナニー害悪説の牙城となったのはもっぱらカソリック教会であった。1926年の『カソリック神学辞典』では、男色や獣姦と並んで、遺精とオナニズムが、十戒の六番目の戒律に反するものとして依然として大きく扱われている。*31

 1930年代頃には、オナニーには心身に対する害がまったくないことがおおむね医学界の共通了解となった。その決定打とされているのがホルトの論文『子供の病気』(H.Holt,L&Howland:Diseases of Infancy and Childhood,1940)であり、これによってオナニーが有害か否かという議論自体がすでに決着がついたものとされた。50年代になるとキンゼイ『男性の性行動』(1948)および『女性の性行動』(1953)が出てきて、実際に男女とも圧倒的多数の者が思春期にオナニーをしていることがあきらかになった。いまや「それをしないことが怪しまれ、神経症の嫌疑をかけられる」時代となったのである。*32だがキンゼイの時点でも男性の約4分の1はオナニーに罪悪感を感じ、何らかの治療が必要と考えていたという。

 

 ……それ以後も今日まで、揺り戻し的にオナニー有害説は散見される。それらが医学的な影響力を持つことはもはやないが、いわば草の根言論としてはそれなりに指示を獲得した。*33

 インターネットポルノは新しい課題であり、オナニー有害説により洗練されたかたちで光芒を当てるものである。これについては以前、下の記事で些かの検討を加えたことがある。

 

visco110.hatenablog.com

 

 そういえば最近も、「オナ禁で頭がシャキっとする」とか「イケメンになる」とか「宝くじに当たる」といった言説を見かける。それらは古代から存在し、ティソの『オナニスム』も踏襲しているところの「精液=エネルギー説」の末裔であるとも取れる。

 

現代の「オナ禁」言説。ちょっとググっただけでこの何倍も出てくる。

 

[特別読切] オナ禁エスパー - 竜丸 | となりのヤングジャンプ

 

 インチキ療法にしてもオナニー有害説にしても、いまだに局地戦は続いている、といったところか。まあ興味本位というか気分転換というか、そういうので軽くやってみるのはいいんですけどね。
 では今日はこんなところで(・ω・)ノシ

 

 

 

 ※本文が煩雑になるのを避けるために註の体裁をとりましたが、本稿は論文ではなくあくまで文化史的エッセイなのでそのてんにつきご了解ください。

*1:石川弘義『マスタベーションの歴史』

*2:ディディエ=ジャック・デュシェ『オナニズムの歴史』

*3: Pierre Garnier:Le mariage dans ses devoirs,ses rapports et ses effects conjugaux,(1890)、同書

*4:ジャン・スタンジェ/アンヌ・ファン・ネック『自慰』

*5:デュシェ、同書

*6:G・スタンリー・ホールは『青年期』(Adolessece,1904)のなかで、1820~30年代のシモンやラルマンといった医師の言説は「科学と言うよりは道徳律の要請にそったもの」であったと指摘している。このホールのコメントについて石川は「古典的マスタベーション観からの離反を物語るもの」としている。ただしホールもまた過渡的であり、彼はオナニーを「悪習」と呼んではばからなかったし、ティソに対しても一定の敬意を示していた。

*7:P.J.-C.Debreyne:Essai sur la theologie morale consideree dans ses rapports avec la physiologie et la medecine.(1844) デュシェ、同書

*8:ヴォルテール/吉村正一郎訳『カンディード』

*9:クロード・ケテル『梅毒の歴史』

*10:立川昭二『病気の社会史』

*11:『病の文化史 下巻』所収、ピエール・テェイユ「伝染病の世紀」

*12:濱田篤郎 『疫病は警告する』

*13:ロバート・ヤングソン/イアン・ショット『危ない医者たち』

*14:H.E.シゲリスト『病気と文明』によれば、それまでは王侯貴族や騎士の病とされ「キュピットの矢」「ヴィーナスの投げ槍」といった瀟洒な仇名がつけられていた梅毒が、18世紀に入って、性的に厳格であり家庭の神聖を強調するブルジョアが力を持つことによって激しく非難されるようになったという。ちょっと興味深いのは、しかし王侯貴族に流行する前、まだ主に庶民のあいだで流行していた16世紀半ばまでは、やはり梅毒患者に対する厳しい道徳的批判があった(立川)ということだ。つまり梅毒患者への非難は、いったん緩和されたあとで再び厳しくなったことになる。

*15:スティーヴン・マーカス『もう一つのヴィクトリア時代』

*16:Heinrich Zimmern:Hethitische Gesetze aus dem Staatsarchiv von Boghazkoi,1922/シゲリスト、同書

*17:ヤングソン/ショット、同書

*18:Les vices du Peuple:suivis de l'histoire et du traitement des maladies veneriennes(1888)/『愛とセクシュアリテの歴史』所収、ロジェ=アンリ・ゲラン「マスターベーション糾弾!」

*19:思えば僕が学生の頃には、男性雑誌の後ろのほうのページによく包茎を治すリングとかちんこをでかくするパンツなんかが、高いけれど若者がギリギリ買えるような値段で売られていた。あれはこうしたいかさま商法の末裔だろう。

*20:ヤングソン/ショット、同書

*21:マーカス、同書

*22:ホールは前掲書のなかで「結婚年齢が上がったことによって文明人は野蛮人よりもマスターベーションの悪習に陥りやすい」としている。

*23:マーカス、同書

*24:ここでオナニーとマスターベーションの微妙な語義の違いに注目してもよい。マスターベーションは専ら《手》manusで《淫する》sturpareことを指すが、オナニーは性行以外のさざまな手段での射精を意味する言葉である。

*25:モッセ『ナショナリズムとセクシュアリティ 市民道徳とナチズム』によれば、近代の反オナニーを含むセクシュアリティ統制にはナショナリズムの台頭が影響しているという。

*26:『現代思想 特集=〈流行病〉のエピステーメ』所収、アラン・コルバン「性病の脅威」

*27:同書

*28:金塚貞文『オナニスムの秩序』。余談だがエリスの『性の心理学的研究』の邦訳、『性の心理』全7巻はおそらくゾッキだったのだろう、全国の古書店で安価に見られ、なんとなく蔑視されているがそのじつ凄い本なのである。こういう微温的な蔑視はフックスやシュトラッツなど性科学書全般に見られるが一体なんなのか。小汚い中年男性の独居暮らし連想させる、とでも言うのだろうか。

*29:スタンジェ/ネック、同書

*30:フロイト『セクシュアリティの理論に関する三つのエッセー』

*31:デュシェ、同書

*32:デュシェ、同書

*33:本稿では詳しく取り上げないが、デュシェやゲランの文献に載っているので興味のある方は参照してください。