うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

2024年に一年間グッドタイム日誌をつけて気づいたこと、耳学問のこと

今年は一年間グッドタイム日誌をつけた初めての年になりました。

2020年の緊急事態宣言の間にたまたま見つけたパンチのあるBan.doの日記帳をきっかけにその効用に気づいてはいたのですが、2022年と2023年はその混沌からの動きの時期。だったのかな・・・。日記は2021年まででやめていました。

 

2024年もこの感じで行ったら一年が溶けていくと思い、一日50文字くらいの日記をつけはじめました。それをきっかけに見えてきたものがありました。

結論からいうと他人への親しみの感情が増しました。

毎日書くのではなく2~4日にいっぺんまとめて書いていて、「覚えてない」と書いている日もたくさんあります。

 

左が2024年の日記帳。ウィークリーで毎日少ない文章を書けるものです。

右が2025年に使おうと思っているもので、表紙の文字はホログラフィでキラキラ。中はピンク色の無地の粗雑な紙。罫線も日付の区切りもない紙の束です。機能性よりも気分がラブリーであることだけを重視したチョイスです。

そういえば「気分がラブリー>機能性」という自分の優先順位に気づいたのも、Ban.doの日記帳がきっかけでした。

 

 

今日の話は、はてなブログの<今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」>に沿って書いています。

 

 

短い文章の効用を感じるきっかけがあった

前に「BOOK MEETS NEXT 2023」という新宿紀伊國屋書店で開催されていた講演で、作家の川上未映子さんが短歌の効用をものすごくおもしろく関西のおばちゃん口調で話されていて、そうか、短歌というのは絵のようなものかと思ったのを記憶しています。

「諳んじることができる」ということの偉大さ、短文凝縮の技術の素晴らしさをそこで知り、マントラと同じだなと思ったのでした。

 

わたしは旅の楽しかった瞬間をたまにイラストにするのですが、絵については「凝縮」と思うのに文章はそう思っていなかったことに気がつきました。

 

 

記憶の保存へのおかしな執着

いい話を聞いたらそのままの熱量で保存したいと考える自分の癖にも気がつきました。

だけど上記の「諳んじることができる短歌の効用」に感動したことで、そうか、内容も熱量も流れ落ちてしまうけれど「聞いた」ということが残ればいいのだと思うようになりました。グッドタイム日誌の効用が、わたしの場合はここにありました。

自分が欲張りなことまではわかっていたけれど、どう欲張りなのかわかっていませんでした。

 

ここ数年で、いろんな人の話を聞くのがとてもおもしろく感じるようになったのは、「いい話を聞いたからといって、いい話を聞いた熱量で保存できなくてもいい」という感覚が身についたからで、

 

 

  いま伝えたことは全部忘れてオッケーなんです。

  大切なことは身体が覚えていますから。

 

 

と、自分がヨガクラスで言っていることがブーメランとして返ってきました。

 

 

耳学問という言葉を知ってスッキリした

今年読んだ高峰秀子さんの著作物に何度も「耳学問」という言葉が出てきて、わたしはこの言葉を繰り返し見たことが良かったな、と思っています。

こんなふうに出てきます。(以下は『わたしの渡世日記』より)

 

 わたしは五歳で、いきなり大人の世界に放り込まれた雑草人間である。耳学問だけで育ったから、少しこみ入ったことになると迷路に入って、どっちへ行ったらいいのか、てんで分からなくなる。だから私の中には、常に二人の私がいて、「ああでもない、こうでもない」とやかましい。一人の私はケチでズルくてバカで、うまいメシ食って、一日寝ていたい、という怠けものである。もう一人の私は、そういう私を叱咤激励、なんとか帳じりを合わせようと、ムチ振りあげて私をおいまわす、サーカス団長のような私である。

(上巻/ふたりの私 より)

わたしはこの記述がすごく好きなんですよね。

義務教育を受けて一般的な仕事をしているわたしでも、すごくうなずく。

 

 

 私が演出専用車に乗る最大の楽しみは、何と言っても博識な山本嘉次郎のお喋りから得る「耳学問」であった。

(上巻/馬 より)

20代までは何度も耳学問で幸せな気持ちになってきたのに、いつの頃からか「よく知らないオッサンオバサンから武勇伝を聞かされる」というネガティブな思考のほうが先に発動するようになっていたな、ということに気づくきっかけでした。

 

 

 映画界に入って二十余年、ぶっ続けに仕事をしていれば、それ相当に演技だけの引き出しとやらはたまる。「人気女優」というその名の通り、人気もあれば収入もある、という結構なご身分の私が、とつぜん心境に異変をきたしてガリ勉をはじめたのにはレッキとした理由があった。昭和二十五年度の新東宝作品「細雪」で、文豪谷崎潤一郎を知り、「宗方姉妹」で、名匠小津安二郎を知ったことで、人間の可能性の見本をみるような気がしたからであった。

(下巻/キッチリ山の吉五郎 より)

この本は20代後半で高峰さん自身のポリシーや思想が立ち上がり始めるあたりからが、すごくおもしろいです。

 

 

 私は二十七歳のそのときまで、酒を呑んだことがなかった。なぜならば、私は酔っぱらいが嫌いだったからである。映画のロケーション撮影や、アトラクションの仕事で地方へ行くと、必ずといっていいほど土地の実力者などとの宴会がある。私は盃をやりとりする献酬という習慣が不潔で嫌いだったし、酒で乱れた席も嫌いだった。素気ないと言われても、愛想がないと憎まれても、私は酒席にだけは頑としてつき合わず、盃を手にしたこともなかったのである。

(下巻/ZOO より)

必要な時期が来たらポリシーや生き方を変え、それまで嫌だった理由も否定しない。

当たり前だけどポリシーは共存できるんですよね。人間は複雑にできているから。

 

 

 いったい人間にとって、食べること、眠ること、着ることの他に、必要なことは何だろう? それはふだんは何気なくみすごされている「人間同士の会話」ではないだろうか? 人間は、自分の意志を何らかの方法で常時発散させていなければ、退屈や淋しさ、物足りなさ、不愉快さを消すことができない。

(下巻/夕日のパリ より)

『わたしの渡世日記』は、高峰さんが排他的な関係意識を構築しかけた時期にパリ放浪を経てこういう結論を得るまでの話として読んでも印象に残る、「会話」から学ぶことの多さを教えてくれる本でした。

 

 

わたしのグッドタイム日誌には他者の言葉が多い

今年の日誌をパラパラめくって見てみると、○○さんにおかえりと言われたとか、あの店のオーナーのこだわりがいいとか、他人の言葉からの影響が多く残されています。

映画を観た後の印象だけ書いてある日もあります。「ドーンときた」とか「しんどかった」とか。読み終えた本のタイトルも書いてありました。

胃と食べものの関係性で失敗したことも多く書いてあり、「またやっちまった」と明るい調子です。グッドタイム日誌には、日常を楽観的にさせる効果があるみたい。

 

日誌ノートは持ち歩かずに、家に置きっぱなしです。

旅行にも持って行かず、思い出せたら書く感じ。

このくらいのゆるさでも、続けるとポジティブな効果があるもんだなというのがわかってきました。

「自分はなにをうれしいと感じるか」って、日々のこういうことから見えてくるんだなというのが、何よりも大きな発見でした。

来年も続けたらどうなるか。この先が楽しみです。