うちの街みたくなればいいのにな

ヒジャブを被ったひとがキムチ屋の前を通るいつもの光景は素敵だと話した。こないだあったお祭りで近所のおじいちゃんたちと呑んでいるときに。だれかが「そこにいれば街の一員なんだよね」 といっていた。 この街に引っ越してきてよかった。ただ「いる」だ…

国や民族はただの暴力なのかもしれない

北朝鮮「帰還事業」 “継続的な不法行為” 東京高裁が差し戻し 2023年10月30日 19時13分 昭和30年代以降、在日韓国・朝鮮人と日本人の妻などが北朝鮮へ渡った「帰還事業」で過酷な生活を強いられたなどとして日本に逃れた人が北朝鮮政府に賠償を求めた裁判の2…

まだ夜羽音さんは生きている

デモ後の食事会が山本夜羽音さんとの初対面だったはずだ。到着するなり彼の姿が目に入った。アメフトキャップに髭ヅラ、スカジャンで隠せない大きな腹。ビール片手に大声で話してる。思わず、仰け反ってしまった。気持ちを悟られまいとふつうの顔で自己紹介…

森喜朗発言を読んで-排除と選別にNOを-

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会委員長である森喜朗氏が非難されている。2月3日に開かれたJOCの臨時評議員会での発言が原因だ。 マスコミやSNSで「女性蔑視」と反応するのは当然だと思う一方、なにか抜け落ちているような違和感を感じた。 この…

「先生」と呼ばれたとき

「お話を聴いていただき有難うございました。」 ある場所のトークイベントで、出版した本についての話を1時間ほどした。 「これから質疑応答に移らせていただきます。質問のある方はいらっしゃいますか?」 司会が会場に問いかけると、数名が手を挙げた。 「…

わたしもおっさんになった

スピーカーから『河内のオッサンの唄』が流れると父は「これは在日のおっさんを歌ったと思うんだ。」という。酒を飲ませたがったり、疎遠になった身内の様子を聴いたり、ギャンブルにはまっている感じが「在日っぽい」ということらしい。 父の話を聴いて、私…

ぢっとお札を見る

埼玉にはだれもが知っているような「偉人」がいないせいか、名の知られている偉人がちょっとでも関係あれば「埼玉とゆかりのある偉人」として無理矢理紹介する。 先日、埼玉の観光サイトを読んでいると太宰治が「埼玉とゆかりのある偉人」であることを知った…

いま大切なのはこういうことばさ

朝からTwitterを眺めるなんてどうかしてるかもしれないがこれがわたしの日課だ。 この日もいつものようにわたしのタイムラインを眺めているとこんなツイートが現れた。 女性が自分の姓に固執するのは自由ですが、そういうのは個人間で済ませるもので、国家が…

土下座してほしいわけじゃなくてね

ある日、学校指定のバッグに防弾少年団のキーホルダーをぶら下げた女子高生たちが新大久保のスーパーで「情」とパッケージに書かれたチョコパイを買っているのを見かけて、「時代が変わった」と感じた。 1991年生まれの私にとって「韓国」といえば、ドラマで…

ゴッドファーザーが好きな理由

昨年の12月に入管法改正があったからなのか、日本に住む「移民」を取り上げる記事や番組が増えたように思う。 「こうやって取り上げてくれるのはなにかが変わりつつあるからなのかな?」と思いながら、こうした記事や番組を読んだり、観たりしていると「とう…

社会のことなんか考えられないよ

ついつい飲みすぎてしまって終電を逃した私は24時間営業の居酒屋に入って、酔いさましのためにウーロン茶を頼み、ちびちび飲みながら、入管法改正案が参議院で可決された様子を店内のテレビで観ていた。 同席していたひとはテレビを観ながら、「はぁ。」とた…

あのスラッシュはまやかしだった

小さいころに通っていた公文の教室で学習図鑑『日本の歴史』と出会ってから私は日本史オタクになった。 「どんな時代が好き?」と訊かれると小さい私は決まって「戦国時代」と答えていた。多分、父が借りてきてくれた日本史のビデオが「徳川家康」だったから…

君はあの唄を歌えるか

秋空になると急に肉まんが食べたくなる。私はお昼どきのコンビニに入って、秋の味覚肉まんを買うためにレジの行列に並んでいたところ、私の前の客で流れがつっかえた。 つい最近、入ってきたばかりの新人店員だったのかレジ打ちでミスをして、もたついてしま…

まぁ、いいや、そこにいろい。

談志師匠を好きになったのは若いころに演じていた『源平盛衰記』をYouTubeで聴いたのがきっかけだった。 私が聴いた回では談志師匠がいきなり客席に向かって「立っているのは大変だなぁ。」と語りかける。どうやら、このときのひとり会は満員札止めで立ち見…

「統一された祖国」よりも

韓国を旅して回っていたころ、貧乏留学生だった私はいつもチムジルバンに泊まっていた。 チムジルバンとは24時間営業のサウナだ。 その昔、詩人の田村隆一さんが「平日昼間の銭湯の幸せを味わったらカタギに戻れない。」と書いていたが、チムジルバンもまっ…

私がこの人と本を出そうと思った理由

去年の今ごろだっただろうか。 私のTwitterアカウントにある人からダイレクトメールが届いた。読んでみると送り主は埼玉にある小さな出版社の編集者で、ブログに書いた文章をその人が出しているコミュニティー雑誌に掲載したいので会いたいとあった。 私はと…

そういう「日本人らしさ」はもういらない

今年のサッカーワールドカップ日本代表は「訳の分からない」チームだった。 「訳の分からない」ままハリルホジッチが解任され、西野が新監督になり、 「訳の分からない」ままワールドカップでベスト16に残り、 「訳の分からない」まま森保が代表監督として、…

さようなら、純血日本人。

私の身の周りにいる在日コリアン1世たちは日本語が上手だった。 母が祖父を日本人だと勘違いしていたぐらいに祖父は日本語が上手だったし、祖母たちも訛りがきつい日本語ではなくて、とても綺麗な日本語を喋っていた記憶がある。 小さいころ、教会で訛りのき…

関東大震災後の虐殺事件で犠牲になった全ての方々とその子孫たちへ

関東大震災後の虐殺事件で犠牲になったすべての方々に哀悼の意を表します。 関東大震災から95年目の今年も小池百合子都知事は追悼文を出しませんでした。昨年、私は来年こそは必ず出してくれるだろうと思い、自らの言葉で追悼文を書きました。しかし、その期…

人にやさしく

先日、上野駅前のマルイでとある人と待ち合わせをしていたところ、隣で笑いながらゆで卵を剥いているアメリカ人観光客らしき人たちを見かけた。ゆで卵を笑いながら剥いている理由は分からないが、「この人たちなんだろう。近寄らないでほしい。」と思って、…

日本人よりも働かなければいけない

私の母方の祖父は忠清南道の田舎の生まれだった。周りには山と痩せた田畑しかなかったそうだ。私が韓国留学をしていたとき、祖父の出身地を訪ねたのだが今でも山と田畑しかないような場所で、思わず、祖父がこの土地を出るのも当然だと思ってしまった。 かつ…

人柱を立てても災害は治まらない

本題に入る前に私がこのブログを書く上で信条としていることを書く。まだひよっことは言ってもひとりの物書きとして、同じネタで同じようなことを書くのは嫌だと思うものだ。読者から「それしかネタがないの?」と思われてしまうし、書く側も同じネタだと飽…

「平成」という言葉を探して

私は平成3年に生まれた。生まれたときの日本はすでにバブルが終わっており、混迷の時代が始まっていた。 私が一番、古く記憶しているニュースは阪神淡路大震災だ。小さい頃からテレビっ子だった私はいつも観ていた教育チャンネル(3番)で眉毛の長いおじいさん…

靴を脱いで、お辞儀をして

最近、寄稿したHAFU TALKや蕨で作っている途中のココシバなど、私の周りではクラウドファウンディングに挑戦する人たちが多い。 とある人からあるクラウドファウンディングページを教えてもらった。そのページとは『スラム街の暮らしを肌で感じたい』と題さ…

終わらない戦争を語ろう

68回目の6月25日はとても晴れている。あの戦争が起きたときもこんな青空だったのだろうかと思いながら私は朝ご飯を食べて、自転車で図書館に行く準備をしていた。きっとあのときも人々は普通に過ごしていたに違いない。そんな日常が失われてから今日で68回目…

ロックンロールは生きている

私は高校生の頃から忌野清志郎が好きだった。最初に清志郎を知ったのはタイマーズの曲がきっかけだった。今まで聴いていた曲に何か物足りなさを感じていた私は過激なスタイルで暴れまわる清志郎に魅了された。そんな私が次に好きになった曲は『君が代』だっ…

懐かしのチョコパイ

「懐かしさを感じるお菓子は?」と誰かに尋ねられたら私は迷わず、「チョコパイ」と答えると思う。 我が家は4代続くクリスチャンで、教会に行くことが日課だった。私が小学生のときは、韓国からやってきた牧師さんが牧会を担当する韓国系の教会に通っていた…

名もなきサラダ

我が家には謎のサラダがある。キャベツやにんじん、きゅうりの千切りが酸っぱいドレッシングで和えられていて、最後に粗く挽かれた唐辛子の粉を振りかける。暑いこの時期にはさっぱりしていて美味しい。 小さいころからこのサラダを食べているのだが、どうや…

我が愛しの日本代表に捧ぐ

ふとスマホを覗くと画面には「代表メンバー23人が発表」というニュースの見出しが踊っていた。 そうか。今日はロシアワールドカップの代表メンバー発表の日か。 そう思って、私はスマホをズボンのポケットにしまった。 以前だったら、その場で代表メンバーを…

変わってほしい

私が通っていた大学はとても大きい大学だった。学部ごとにキャンパスが存在していて、私は法学部だったので、東京都心に存在するビル型キャンパスに通っていた。違う大学の友人を訪ねるためにほかの大学に行ったとき、所謂、大学らしいキャンパスを見てとて…