君はあの唄を歌えるか

 秋空になると急に肉まんが食べたくなる。私はお昼どきのコンビニに入って、秋の味覚肉まんを買うためにレジの行列に並んでいたところ、私の前の客で流れがつっかえた。

 つい最近、入ってきたばかりの新人店員だったのかレジ打ちでミスをして、もたついてしまったらしい。客は「急いでるんだから早くしろよ。」とつぶやいた。

 コンビニでバイトをしていたことのある私は「よくあるよねぇ。」と心の中で独り言ち、うだつの上がらない店員だった私とその店員を重ね合わせていた。

 パニックになってしまったのかなかなかレジ打ちができす、「スミマセン、スミマセン!」と片言の日本語で謝る店員を見て、客はしびれを切らして、こんなことを言った。

 「日本語のできるひとに替わって!」

 客の大きな声と長い行列に気付いたのか、流暢な日本語が喋れるであろう日本人の店員に替わって、トラブルは「解決」した。

そんなやりとりがあったあと、私が念願の「肉まんひとつ。」を言うためにレジへ行くと替わってと言われた店員が戻ってきて、レジの前に立った。
 交通費をケチるために自転車を乗り回している私だが、このときは肉まん以外にもコロッケを買って、店の外に出た。

そして、私はかつて聴いたことのあるあの歌を想い出しながら肉まんとコロッケを秋空の下で頬張っていた。

 何年前かの紅白歌合戦で美輪明宏さんが『ヨイトマケの唄』を真っ黒な髪に真っ黒な衣装で力強く歌っていた。

そんな姿を観て、隣にいた父は号泣していた。きっと祖母のことを思い出していたのだろう。
 旦那が働かず、苦労して働いたという在日のおばあちゃんたちはよくいる。彼女たちから話を聴くと「あのひとがお金を持っていかなければマンションの1つでも建てられたわよ。」と語る。
 父方の祖母も彼女たちとまったく同じだった。父方の祖父は「フーテン」のようなひとで、そんな祖父の代わりに働いて、家族を養っていたのは祖母だった。あるときは幼かった父とともに近くにできた団地へゴム靴を売りに行き、あるときは「ヨイトマケ」のようなことをし、あるときは料理が苦手なのに親戚の焼肉屋へ働きに行った。

文盲だった彼女は文字が読めないことを同じ店で働く人たちや客になじられたこともあった。しかし、それでも子供たちのために働きつづけた。

その努力が実ったのか、彼女は自分の店を持つことができた。
 私が幼いとき、祖母の店までよく行っていた。赤いエプロンをして、店に立っている祖母の背中はいまでも忘れられない。

 店をたたんだあと、気が抜けてしまったのか、働いていたころの祖母とはうってかわって、小さな老婆になってしまった。苦労したことを何も語ることなく、私が小学6年生のときにひっそりと亡くなった。
 ゾラ・ニール=ハーストンの『騾馬とひと』のなかで、昔のことを尋ねられた黒人のおばあさんが「私は騾馬なのよ。」と語る場面がある。ただの労働力としてしか見なされない奴隷であったおばあさんのことばは私の祖母の生き様を思い出させる。

 そして、その生き様はかつてアメリカで黒人差別が今以上に激しかった時代を描いた人類誌だけではなくて、現代日本のコンビニでも出会うのだ。

   私が財布の紐をちょっとだけ緩くして、コロッケを買ったのは客からあんなことを言われた店員が祖母と重なって見えたからだ。せめて、私のお金が彼のポッケに多く入ってほしいと思うが、結局は安い給料で雇われているのだろうと店に貼ってある店員募集のポスターを見て思う。

 いま、政府が法律を変えて、外国人労働者を増やそうとしているが、そんな過去と現在を知っている私からしたら、安く雇って、気に入らないことがあれば、なじる存在を増やしたいだけなのかと感じる。
 この国にとって外国人とは「騾馬」なのか。

 外国人労働者を騾馬としか考えられないひとたちに『ヨイトマケの唄』を歌うことはできるのか。

 少なくとも、私は彼らよりも歌える自信がある。

 「僕をはげまし慰めたばあちゃんの味こそ、世界一」と。