うちの街みたくなればいいのにな

 ヒジャブを被ったひとがキムチ屋の前を通るいつもの光景は素敵だと話した。こないだあったお祭りで近所のおじいちゃんたちと呑んでいるときに。だれかが「そこにいれば街の一員なんだよね」 といっていた。

 この街に引っ越してきてよかった。ただ「いる」だけでいいから。わたしが日本国籍を持っている在日コリアンであるとか、 政治犯のガキであるとか、 日本人のクオーターであるとかの説明は不要。何者か問われないし、問わなくて済んでいるおかげで心身ともに穏やかになった。

 そういえば、エドワード・サイードも「 ニューヨークに住むのは何者か問われないからだ」 みたいな話をしていた。 世の中の基準とすこし違うひとは背景を超えて、 似た気持ちになるのだろうか。

 帰りのバスから観える風景は暗いだけだからスマホを観てしまう。たまたま開いたTwitterはミス日本にウクライナ出身の椎野カロリーナさんが選ばれたと教えてくれた。5歳で来日した彼女は2022年に日本国籍を取得したらしい。違うけれど似た境遇だと近く感じる。

 記事に受賞コメントがあった。

 

「夢のよう。人種の壁があり、なかなか日本人として受け入れてもらえないことも多くあった中で、今回、日本人として認められたと感謝の気持ちでいっぱいです」

 

 「日本人として認められるとかどうでもよくない?」とツイートしそうになった。アメリカ国籍の科学者を「日本人ノーベル賞受賞者」にしたり、大坂なおみ選手に「結果を出さないあいつは日本人選手と認めない」なんて書き込むやつがいたり、日本のためになるならないでしか判断してない。だけど、わたしが椎野さんに物申すのは違う。だれかの素直な気持ちをかき消すなんて暴力だと思うから。つぶやきたい気持ちは肚に収めた。

 「日本らしさはどこ?」

ミス日本の写真といっしょに流れてきたことばは「純粋な日本人」でない彼女がなぜ選ばれたのか「疑問」を呈していた。知人のサンドラ・ヘフェリンさんや日本国籍を取ったアンさんが「彼女は日本人です」と引用リプライする。2人のコメントに数えきれないひとがさらに意見をかぶせていった。いったいいくつRTされたんだろう。

 

 「何者か問うのはおかしい。だけど、曖昧で勝手に決まってしまう「日本人」と断言するのも妙だ。ただ、「ふさわしいからミス日本になった」ではダメなのか?何者か問われるし、問わなくちゃいけないし、説明しなくてはいけないのがおかしいんだから」

 

 なんてツイートするよりザワザワする気持ちを収めたい。Twitterを閉じたとき、最寄りのバス停に着いた。

 ネットもわたしの住んでる街みたくなればいいと歩きながら思った。ヒジャブを被ったひとがきょうもキムチ屋の前を歩く。わたしも彼女も生きている。