「平成」という言葉を探して

   私は平成3年に生まれた。生まれたときの日本はすでにバブルが終わっており、混迷の時代が始まっていた。

   私が一番、古く記憶しているニュースは阪神淡路大震災だ。小さい頃からテレビっ子だった私はいつも観ていた教育チャンネル(3番)で眉毛の長いおじいさんが何かを喋っていたのを憶えている。

のちにこのおじいさんが村山富市首相だったことは小学生か中学生のときの社会科の授業で知った。

   そのときからテレビ画面で観る日本はいつも混乱していた。不況や就職難であったことに加え、残酷な殺人事件も起きたし、テロや戦争も起きた。政治の世界はと言うと、大人たち曰く「何かが変わった。」らしい。

   テレビ画面の向こうのできごとを観ながら、いつの間にかこれは私とは別の世界のできごとであり、全く関係のないことだと思うようになっていた。

ようやくディスプレイの向こうが自分のことであると認識したのは大学に入学する年に起きた3・11だ。あのとき、未曾有の大災害の前で普段、偉そうにしている大人たちが慌てふためいているのを見て、私は彼らの地のようなものを見せつけられたように思う。

   そんな平成を観てきた私にとって物凄く印象的な人が2人居る。

それは小泉純一郎元首相と麻原彰晃元死刑囚だ。

   「自民党をぶっ壊す!」

「聖域なき構造改革」

そんなキャッチフレーズとともに出てきた小泉元首相は政治のことなんか分からない小学生の私ですら印象的だった。ニュースや政治の番組を観ているとまるでスポーツのようで、世間が小泉純一郎一色だったと思う。多分、私が大学時代、政治学を専攻していたのはこのときの印象が頭の中でこびりついて離れなかったからかもしれない。

  しかし、私が大学受験をするあたりから小泉元首相のやってきた政策の歪みが少しずつ見えるようになった。私は1年間浪人をしているのだがそれは経済的なことが原因だった。そんな事情を抱えていたのは私だけではない。周りを見渡してみるとそうした境遇の同級生が4、5人居ただろうか。彼の言った「改革」が生み出した格差社会を私はこうやって経験した。

   そして、もうひとりは麻原彰晃だ。彼がテレビで取り上げられていたとき、私は幼稚園ぐらいだったがはっきりと記憶している。

初めて彼の顔を見たとき「こいつ、なんだかヤバい。」と幼心に感じた。事実、彼は様々なテロ事件を起こし、本気で日本国を転覆しようとしていたのだ。テレビで観る彼の率いていた教団は奇妙だった。信者はヘッドギアをつけているし、胡座をかいて空を飛ぼうとしている。

「カルト」という言葉を私が知ったのはこの頃だ。クリスチャンである私が教会で牧師の説教を聴くたびにオウムの話が出ていたと思う。教会の外へ出てみると事件の影響からなのか「宗教」を持つ人間に対しての偏見が出来上がっていた。何かの弾みで「クリスチャンです。」みたいなことを言うと「えっ!オウムみたいな怪しい団体じゃないよね?」と言われたこともあった。教会は胡座で空を飛ぶところではないはずなのに(苦笑)

確かにあれだけマスコミに出て、インパクトのあることをし続けたからそう思うのも無理はないかもしれない。

私はテレビで流れていた尊師マーチは忘れられない。今でも歌うことができる。

  この2人を挙げた理由は両人ともにマスコミによって自らを作り上げていたと思うからだ。センセーショナルに報じれば報じるほど彼らは社会の中に深く浸透していった。私はマスコミ批判をしたいわけじゃない。彼らは私たちの欲望を敏感に察知しているだけなのだ。それを考えるとこの2人は私たちの欲望の塊なのかもしれない。

   今朝、麻原彰晃の死刑が執行されたというニュースを観た。テレビにあった「執行予定」という文字はやはり「平成」を象徴していると思った。私たちはまだ消費し続けるらしい。

   今日、このニュースを観ながら平成生まれが平成を語る番が来たと感じた。昭和生まれから昭和天皇の崩御のときを聞いたことがあるがどこか他人事だった。それは時代が終わるという感覚を想像できなかったからだ。

だが、今、ひとつの時代の終わりを生きる人間としてこの常軌を逸した「平成」という時代をどう語るべきなのかを試されている。

だが、この雰囲気をどう伝えればいいのかまだ言葉が見つからない。まだこの空気は生きているんだから。