岸田政権の功罪

 「岸田政権の功罪」というタイトルにしましたが、どうしても「功」が思いつきません。「岸田政権の大罪」というタイトルに変更します。申し訳ありません。
さて「大罪」となると、よりどりみどり、いくらでも挙げられますが、一推しはやはりこれでしょう。長文ですけれども『週刊金曜日』(№1484 24.8.9/8.16)から引用します。

岸田政権とは何だったのか 安保大転換 対米追従、防衛産業との癒着 国民を闇に引きずるブラック・ホール 半田滋

 安保関連法は「密接な関係にある他国」にあたる米国が攻撃された事態を存立危機事態と認定すれば、自衛隊が地理的な制約なくどこまでも出撃し、米軍とともに戦うことができる。しかし、自衛隊は防御力に優れる一方、攻撃力は不足していて十分な働きができない。その欠落した機能を岸田氏が「敵基地攻撃能力の保有」として補い、米国製や国際の長い射程のミサイルを山ほど買い込み、自衛隊が「米軍の2軍」として米国のお役に立つ態勢を整えた。
 そればかりではない。米政府から購入する米国製兵器の契約額は、第2次安倍政権で急速に増え、19年度は7013億円を記録したが、岸田氏は、この契約額を23年度の1兆4768億円とケタ違いに増やした。日本の富を米国に付け替える努力を惜しまない岸田氏はバイデン氏の目に打ち出の小槌に見えたことだろう。(p.43)

 国賓待遇として訪米した4月の日米首脳会議は「指揮統制の連携強化」を打ち出した。敵基地攻撃が解禁されたとはいえ、海外における武力行使を想定せず、専守防衛でやってきた自衛隊は、敵の基地がどこにあるか知る術さえない。敵の位置情報を米軍に依存するだけでなく、「その(攻撃)能力をより効果的に発揮する協力態勢を構築する」(安保関連3文書の国家防衛戦略)のに必要なのが「指揮統制の連携強化」である。
 自衛隊と米軍が連携すれば、情報力、攻撃力ともに圧倒的に勝る米軍の指揮下に入るほかない。岸田氏は4月18日の衆院本会議で「米軍の事実上の指揮統制の下に自衛隊が置かれることはない」と断言したが、ウソをついているか、軍事知識が欠落しているかのどちらか、もしくは両方だろう。
 現代戦のロシアによるウクライナ侵攻の戦場では両軍によって人工知能(AI)がフル活用され、攻撃目標はほぼ瞬時に決まる。日米の指揮系統が分かれていれば、調整する時間が必要になり、敵に移動したり、攻撃したりする機会を与えることになる。
岸田氏は同本会議で「自衛隊のすべての活動は主権国家たる我が国の主体的判断のもと、憲法、国内法令に従って行なわれる。自衛隊と米軍がそれぞれ独立した指揮系統に従って行動する。これらに何ら変更はない」とも述べた。
 だが、日米で「指揮系統の連携強化」を実行すれば、「主権国家たる我が国の主体的判断」は失われ、「憲法、国内法令」は無視される。つまり、憲法は空文化し、安全保障政策は米国に乗っ取られ、米軍と自衛隊は完全に一体化することになる。
 訪米中、岸田氏は上下両院合同会議で演説する機会を与えられた。日本の首相としては安倍氏に続いて2人目だ。声を張り上げたのは「米国は独りではない。日本は米国とともにある」と訴えた部分だった。議場は万雷の拍手に包まれ、照明が消えても首相は立ち去ることなく議員らと握手を続けた。
 大歓迎されるのは当たり前である。日米安保条約第5条は「米国による対日防衛義務」を規定し、憲法の規定から米国を守る戦いができない日本は第6条の「対米基地提供義務」で応えてきたが、安保関連法で対米支援を確実にした安倍首相に続いて、岸田首相が攻撃力の保有を決めたことでその対米支援に命を吹き込み、基地提供義務に加えて対米防衛義務まで背負い込んだ。事実上の条約改定である。それを「『専守防衛』は何ら変わらない」と言い放ち、閣議決定だけで実現してみせた。
 南シナ海の島嶼部をめぐり、中国との間で領有争いを続けるフィリピンのマルコス大統領を含めた初の日米比首脳会議が岸田訪米に合わせて行なわれ、日本はフィリピンへの軍事支援まで引き受けることになった。本来なら米比相互防衛条約を締結している米国が果たすべき役割の一端を日本が担う。「日本は米国とともにある」との言葉には「米国の名代」になるとの約束が込められている。
 おわかりだろうか。岸田氏は憲法解釈の変更にも等しい安全保障政策の大転換を一方的に決めた。その手法は閣議決定だけでなく、米議会における演説で示した対米公約も含まれる。
議会制民主主義を踏みにじり、中国や北朝鮮、ロシアに代表される権威主義という呼び名の独裁に近い政治手法。日本の国柄が大きく変わるのにメディアの関心は自民党の裏金事件やマイナ保険証の問題にとどまり、安保政策の大転換を詳報していない。踏み込んだ論評もないので知識を欠く私たちは賛否の声を上げようがない。(p.43~4)

 恐れ入谷の鬼子母神。よくぞまあ日本の安全保障体制をここまで激変させたものです。しかも"安全保障"というよりも"アメリカの鉄砲玉となって矢面に立つ"、危険極まりない変貌です。「指揮統制の連携強化」と言い逃れがらも事実上アメリカの指揮下に入り、アメリカが指定する相手国に対してアメリカから爆買いし日本の軍需企業を肥らせた長射程のミサイルを撃ち込み、反撃のための相手国のミサイルが沖縄を中心に日本全国のミサイル基地や弾薬庫に雨霰と降り注ぐ。当然、一般の市民に多大なる犠牲が出るでしょう。
 これは想像上の武力紛争ではありません。不測の状況やヒューマン・エラーやメカニック・トラブルによっていつ起きても不思議ではない事態です。そう、明日起こるかもしれません。しかもこれほど重大な安保政策の転換を、国民や国会による議論の俎上に乗せず、閣議決定と米議会への公約だけで決めてしまう。わたしたち有権者のなめきっています。なめられる有権者にも責任があるのですが。
 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」「恒久の平和を念願」「平和を維持し」「全世界の国民が(略)平和のうちに生存する権利を有する」(以上日本国憲法前文)「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」(第9条1項)といった日本国憲法の崇高な理念を弊履のごとく踏みにじり恬として恥じない岸田政権。まるで「背広を着た関東軍」です。これ以上の大罪があるでしょうか。
 さてその岸田政権が自民党のイメージを一新して選挙に勝つために退陣するようです。責任をとったかのように見せかける退陣と、自民党が生まれ変わるかのように見せかける総裁選には、絶体に騙されないようにしましょう。
 何度でも言いましょう、誰が自民党の新総裁になるかという「政局報道」にはうんざりです。石破氏がカップ麺を食べているところなど見たくもありません。私たちが必要としているのは「政策報道」です。メディアのみなさん、ジャーナリズムとしての矜持があるのならば、総裁選候補者が出そろったところで、その方々が考える政策についてぜひ報道してください。安全保障体制、気候危機対策、核(原子力)発電のあり方、核兵器の廃絶、少子高齢化、憲法改正/改悪の是非、格差と貧困、ジェンダー・ギャップを含めたさまざまな差別、防災教育、医療、年金、福祉、つっこみどころには事欠かないでしょう。

 総裁選候補者の方々に、自民党を変える気があるのか、はたまたないのか。しっかりと見極めて、次の衆議院選・参議院選では有権者の力を思い知らせましょう。

 なめるな

by sabasaba13 | 2024-08-22 06:49 | 鶏肋 | Comments(0)
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