なぜそれが正しいのか? マイケル・サンダル「これからの『正義』の話をしよう」(2)

巨額な年収、極端な格差社会、妊娠中絶、委託出産、臓器売買、安楽死、刑務所や戦争の民間委託、徴兵制に代わる志願兵制度、移民の制限、同性愛者の結婚、先祖の犯した犯罪に対する現世代の責任、、
ハーヴァード大学の講義ではあるがケーススタデイの事例はアメリカだけの問題ではない。
人みなそれぞれの意見や感想をもっている。
その意見や感想はいったいどういう思想的根拠・価値観にもとずくのか?
単なる直感?好み?
まさか、テレビのコメンテーター(ちょっとカッコイイ)が言ってたからとか、話題になっている人物の物いいが気にくわないから反対だ、有名な学者が書いていた意見だから、、ってことはないだろう、ね?(自問)。
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(三茶で、イワシの梅煮)
サンデル教授は大きく分けて正義に対する考え方に三つあるといい概説する。
第一は、正義は功利性や福祉を最大限にすることー最大多数の最大幸福ーを意味する。
第二は、正義は選択の自由の尊重を意味する。
第三は、正義は美徳を涵養することと共通善についての判断が含まれる。

物事を深く考えないと功利主義や自由主義が魅力的で事実その熱烈信者も多い。
だがサンデル教授が提出するさまざまなケースに当たって考えてみるとその二つでは限界があるようだ。
正義と権利を計算の対象にする(功利主義)のは無理だ。
さらに人間のあらゆる善をたった一つの統一した価値基準に当てはめ、平らにならして、個々の質的な違いを考慮しないのもおかしい。
公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。
公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。
ベンサム、ミル、フリードマン、ハイエク、ルソー、カント、アリストテレス、、西洋の政治哲学の巨人たちが現代の問題にどう立ち向かうのか、なるほど”白熱教室”だ。
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(お初。ちょっとだけ買いました)

私利、必要性、欲望、選好、生理的要求を満たそうとするあらゆる動機からなされる行為はたとえ利他的な行為であっても道徳的な価値をもたない。
全体の福祉のために人間を利用するのは人格を貶めている。
われわれという人格は、誰かが定めた目的を達成するための道具ではない。
自分が定めた法則に従って自律的に、その行動自体を目的とする、そういう義務の観念で行動するときに初めてその行動は道徳的に評価される。
カントの考え、こうして結論だけを書くとチンプンカンプンかもしれないが教授の話を聴いていると少しは分かった気になる。

14000人を超す履修者数を記録したこの講義があまりにも人気があるためにハーヴァード大学は建学以来初めて講義の一般公開をして、その模様はNHK教育テレビで放映された。
功利主義や自由主義の花盛りのアメリカでこういう講義にこれだけの注目が寄せられること自体に功利主義と自由主義の行き詰まりが現れているのではないか。

もっとも巨象アメリカを動かす一握りのエリートや富裕階級は興味もないし、たとえ聴いても戯言としか思わないかもしれない。
しかし次代のエリートたちがあれほど目を輝かして聴いていたことはわずかながら救いだ。
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(昨夜の晩飯、これもお初)
ケネデイとオバマが突出した政治思想の持ち主であることも分かった。
オバマが大統領選期間中にした演説、9・11のあとブッシュ大統領のやったことを批判して
奉仕を求められる代わりに、われわれは買い物に行くように言われた。犠牲の共有は求められず、その代わり、アメリカ史上まさにはじめて、戦時に、最も裕福なアメリカ人を対象に減税が実施された。
オバマの健闘を祈る。
Commented by otayori at 2010-06-27 11:46
あの教室の、人の話を聞く時の、きちんとした姿勢に感心しました。と同時に、国会議員の下品な様子が頭に浮かびました。
不完全であることを恐れずに、きちんと意見を述べられるというのはいいですね。
島国に育ち、角が立つことを好まない私たち日本人(全部では無いでしょうが)、、、、を意識しました。
そして、国会での討論ていうのは、たんに相手をやりこめたいだけで、議論じゃないよな、と。
Commented by saheizi-inokori at 2010-06-27 12:39
otayori さん、私は英語が聞き取れないのでテレビの通訳にはついていけないところが多かったのです。
本もところどころ翻訳が(私の頭が?)分かりにくいところもありましたが遥かに分かりました。
論理的に話をすることが、むしろ嫌われる空気はありますね。
面倒になると「どうせ君は勉強してるからな、かなわんよ」みたいに受け流して結局は上司の言いなりか何もしようとしない。
Commented by c-khan7 at 2010-06-27 14:45
答えが出ない事を話合うのは、他人の言葉に耳を傾け、考える行為ですよね。こういったディスカッションは日本人は苦手だろうなぁ。
Commented by saheizi-inokori at 2010-06-27 15:17
c-khan7 さん、誰かに決めて貰う方が楽ですからね。
後で陰口きいてうっぷん晴らし。
Commented by cocomerita at 2010-06-27 18:14
Ciao saheiziさん
ああ―おいしそうなお皿の数かず
イワシの梅煮 こういうものを見ると、日本に帰りたくなる とほほ
サクランボを買ってるsaheiziさんを想像して、可愛いなあと微笑む
正義ってさ、ホント難しい 定義するのが
ただ言えることは、儲けたいと言うケチな根性とかいい格好したい。とか言う安っぽい見栄とか
ちやほやされればよいとか言う愚かな性癖とかそういった自分の欲をなるたけ、どんどん取っていくと、正義に近くなる そんな気はします。
確かに功利主義も自由主義も行き詰まり、もうすでに古臭い誇りの匂いがしています。

ああ、このお蕎麦おいしそうだな――

なんでさ、がちがち欲の皮を突っ張らせないで暮らせないかな?
清涼な心で食せば、どんなごはんもおいしくいただけるのに
Commented by k_hankichi at 2010-06-27 20:09
saheiziさん、この大学の学生たちの真摯さは、すばらしいものがあると思います。この授業に出ている時点では、だれもが、真剣に耳を傾け、思考し、議論をしていると思うのです。そこが、彼らの凄さだと思います。徹底的に、論理の展開をしていく。怠らない。思考実験をくどく進める。そして、何らかの納得いく帰結を、各自が得られるようにしていく。

でも、彼らが社会に出たあとにどうなるのか・・・。そこは、日本人の僕らには、考えが及ばないほどのことになっているとは思います。ですが、それは、日本や中国とておなじでしょう。あまりいろいろいい立てはできません。
Commented by saheizi-inokori at 2010-06-27 20:37
cocomerita さん、カントの言ってることはそれに近いような気がしますよ。
義務を動機とせよ。たとえ人のためになることであってもそのことを自分の愉快な気持ちのためにやるのでは価値がないというのですよ。
Commented by saheizi-inokori at 2010-06-27 20:40
k_hankichi さん、今、日本の学生はどうなんでしょうか。世の中に出る前から功利主義や自由主義の塊になっているんじゃないかと、そんなことはないかな。
Commented by saheizi-inokori at 2010-06-27 20:41
鍵コメさん、なんかよく分かりませんがどうぞ遠慮なくお立ち寄りください。
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by saheizi-inokori | 2010-06-27 11:33 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(9)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori