2025年 01月 03日
音の記憶 |
親戚の家に行く道中でラジオをつけたら、慣れ親しんだ曲が聞こえてきた。スクリャービンのエチュード Op42 No.5。アシュケナージの演奏だった。
あぁ懐かしいと思って耳をすませていたのが、次第に居心地が悪くなった。別に演奏が下手だったわけではない。ピアノの調律があっていなかったわけでもない。ただ、聴き慣れていた演奏とタイプが全然違ったのだ。これじゃない、こうじゃない、もっと違う演奏が聴きたい、そんな気持ちが募っていった。
わたしが聴き慣れているOp42 No.5はホロヴィッツのものだ。かつて付き合っていた相手がアマチュアながらかなりピアノを弾く人で、その人経由でこの曲が好きになり、「この演奏がベスト」と聴かせてもらったホロヴィッツがわたしの原点になってしまった。刷り込み、みたいなものだ。
もどかしい思いで家に帰り着くのを待ち、それからいそいそとホロヴィッツを引っ張り出して聴いた。久しぶりに聴いてみると、最初は「あれ?」と思った。なんかこれ、ちょっとごつごつしてない?これが好きだったのかな?でも、聴いているうちに蘇ってきた。そうだ、この人の演奏には物語があるのだ。難易度の高い練習曲で指はひっきりなしに忙しく動いているのだけれど、その忙しない運動に緩急を入れて情熱とか甘さとかエレガンスを醸し出してくる、それがホロヴィッツのOp42 No.5。
いろんな人の演奏を聴いて回り、またホロヴィッツに戻り、また他の人を聴き、ここ2、3日、わたしの頭の中では絶えずこのOp42 No.5が鳴っている。スクリャービンのエチュードといえばOp.8 No.12が有名だけれど、わたしは断然Op42 No.5が好き。途中に2回出てくる叙情的な旋律っぽい部分がそれは美しく、次いで荒々しく鳴らされる低音にも痺れる。
ただひとつなんとなく引っかかるのは、この曲に必ず特定の人の記憶がつきまとうことだ。完全に気持ちを清算した相手だから未練は残っていないし、その人のことを思い出すのが今一緒にいる夫に対して申し訳ないというのでもない。本人はもういないのにつけていた香だけが残っているような、そんな感覚。ちょっと落ち着かない。
これが噂のホロヴィッツのOp42 No.5。
こんなのが自分で自在に弾けたら楽しいだろうなぁ。
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by poirier_AAA
| 2025-01-03 20:03
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