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2010年6月7日月曜日

ウガンダの旅エジプト寄り道編 [diary]

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今回のウガンダの旅はエジプト経由だったのだが,帰りは乗り継ぎの待ち時間が8時間もあった.その時間を空港で潰すのはあまりに気が滅入る.「だったらピラミッド見に行こーぜー」ということで,空港でエジプトビザを取得し,街に繰り出した.


まずは定番,ギザのピラミッド.
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…でかい.気の利いた表現ができないのが歯痒いが,とにかく「でかい」という言葉しか出てこない.とても人間が作ったとは思えない.


そしてスフィンクス.
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昔フジテレビの「トリビアの泉」で,

スフィンクスが見つめる先には…

ケンタッキーフライドチキンがある

という,しょーもないトリビアがあった覚えがあるが,

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一応本当だった.


そしてエジプトのナイル川.
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地図で見れば当たり前の話だが,ウガンダでその源流を見たナイル川が,遠く離れたここエジプトでも悠々と流れている様は,妙に感動的だった.

Peace Pipe: ウガンダの旅 2010
Flickr photos: ウガンダの旅 2010


2010年6月6日日曜日

ウガンダの旅ホームステイ編 [diary]

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以前インドを旅した時に,こんなことを書いた.
Peace Pipe: Daily Festival of Human Existence - インドの旅最終回 [diary]

私には,旅について1つの信念がある.文化も風習もまったく違う国に行くことで,私はまったく新しい経験を得られるだろうが,同時に私という文化も風習もまったく違う人間に触れることで,今までそこにいた人々も新しい経験が得られるのだ.つまりそのインタラクションこそ旅の本質であり,ただの観光だけで終わってはおもしろくない.旅は旅人だけではなく,それを受け入れる側にとっても何かを与えるはずである.

人が人に出会うという事が,人生で一番大切なんだと思う.


今回ウガンダで世話になっている友人が,「興味があれば,ウガンダの家庭にホームステイできるように頼んであげる」と提案してくれた.これほどありがたく,そしてエキサイティングな話はない.もちろん断る理由など,どこにもなかった.


ここが私がホームステイした家.裏の空き地で,子供達が丸めたビニール袋をボールにしてサッカーをしていたのが印象的だった.
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そして彼女がこの家の「ママ」である.周囲からも「ママ」と呼ばれる,とてもパワフルな女性だ.ママというより「肝っ玉かーちゃん」の方がしっくり来る.それでいて,なんとも言えない包容力を持っている.
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彼女は,(もちろん良い意味で) 私を一切客人扱いすることなく,家に着くなり夕食の準備の手伝いを割り当て,それが終わると小銭を持たせて買い物に行かせた.34歳にしてウガンダで経験する,「はじめてのおつかい」である.

そんな彼女が作ってくれた家庭料理は,
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もう,涙が出るほど美味かったよ.


冒頭に続いてまたも自分の昔のエントリーの引用で恐縮だが,
Peace Pipe: ディズニーランドとは,つまり「死」の体験である [diary]

人は誰でも心の中に扉を持っていて,子供から大人に成長する過程で少しずつこの扉を閉めてきた.

例えば小さい子供が,坂道で「地面が少し傾いている」だけで楽しくてしょうがなくて,ゴロゴロ転がって遊んでいる.そこに父親がやってきて,「服が汚れるだろ!」と叱りとばす.少しずつ自分の心の扉を閉じると同時に,そのうち「地面が傾いている」ことなんかは当たり前になり,楽しむ為には「カネ」「車」「女 (男)」みたいなものが必要になっていく.

--中略--

大人になってからこの扉を開けるということは,地位や名誉を脱ぎ捨てた自分の本質と向き合うことであり,成長の過程で切り捨ててこなければいけなかった自分との再会であり,それはつまりあらゆる種類の「死」の体験なのだ.すなわち「エゴの死」や「嘘の死」「間違った考えの死」そして「飾ってきた自分の死」である.

私がこの家庭で感じたこと…ビニール袋で夢中にサッカーをする子供達や,初対面にも関わらず昔から一緒に住んでいる家族のように扱ってくれた人々は,一種の死の体験だったように思う.

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ナイル川は実に雄大だった.サファリの大自然には震えるほど感動した.首都カンパラの喧騒には圧倒された.それでも,Rainbow House の子供達しかり,この家庭の人々しかり,私にとって「アフリカの旅」といって思い出されるのは,人間の表情ばかりなのだ.

Peace Pipe: ウガンダの旅 2010
Flickr photos: ウガンダの旅 2010


2010年6月5日土曜日

ウガンダの旅 Kampala 編 [diary]

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今日はウガンダの首都,カンパラにやって来た.ものすごい熱気とエネルギーだ.アフリカといっても,都市部に来ればちょっとした街である.
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ところで,ウガンダでは車は右ハンドルである為,日本で廃車になった車が多く運ばれてくるそうだ.実際街では,日本語が書いてある車をよく見かけた.
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大自然もいいが,独特の街の雰囲気もこれはこれでいいものだ.

Peace Pipe: ウガンダの旅 2010
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2010年6月4日金曜日

ウガンダの旅サファリ編 [diary]

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2泊3日でサファリに繰り出した.

サファリまでは車で丸1日かかる.初日と3日目はほぼ移動に費やし,現地で2日間テントに泊まるというスケジュールだ.

テントといっても平和なキャンプ…というわけにはいかない.まわりには野生のイノシシがうろついている (特に襲われるような心配はないが).夜はテントの中に入って来ないようにランプを灯し,もしトイレに行く途中にイノシシがいたら,別のトイレに方向転換しなければならない.
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サファリには野生の動物がわんさかいるもの,だと思っていた.
実際はそこまでではなかったし,運が悪ければほとんど動物に遭遇しないこともあるそうだ.

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…動物が見たいなら,動物園に行けばいいのだ.

ここには,リアルに野生の動物が生活を営む「社会」がある.人間の社会に置かれた動物を見るのではなく,動物の社会を人間が垣間見ることこそ,サファリの醍醐味なのだと悟った.

そして,例え動物に出会えなかったとしても,この大自然を目の当たりにしただけで私は満足していただろう.とても言葉にはできない.

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2010年6月1日火曜日

ウガンダの旅ナイル川編 [diary]

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世界最長の川であるナイル川は,実はウガンダからはじまっている.今日はナイルの源流がある Jinja という街にやってきた.

最上流だけあって川の水はとてもきれいで,景色も圧巻だ.

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ここではラフティング (川下り) に挑戦した.約 30km を4時間かけてボートで下る.流れが穏やかなところではボートの上で日向ぼっこをしたり,川に飛び込んでライフジャケットを着たままプカプカ浮かんだり.激流では何度もボートがひっくり返る.実に気持ちよかった.下の写真は別のボートのスタッフ (カメラマン) が撮ってくれたもの.

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ラフティングなんて日本でもできる…のは確かだが,「ナイル川でラフティング」というのはオツなものである.

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2010年5月31日月曜日

ウガンダの旅 Rainbow House 編 [diary]

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私には,自分の友人はみんな呆れるぐらい最高の連中であるという,自負と確信がある.そんな中の1人が,ウガンダでボランティア活動をしている.ひねくれ者の私は,彼女に出会うまでボランティアを偽善とかポーズとか自己満足のようなものだと考えていた.だがまるで太陽のような人柄の…とでも言えばいいだろうか,彼女の信念と情熱に触れてからは,そう考えていたこと自体が恥ずかしくなるようだった.私の尊敬する,自慢の友人の1人である.今回私達は,彼女を訪ねてウガンダにやって来たのだ.

今日は,彼女が働く施設に足を運んだ.エイズにより親を亡くした孤児に勉強を教える学校である.教室で自己紹介をすると,子供達は私達にウガンダの名前をつけてくれた.

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おそらくパッと見の第一印象でつけているのだろうが,私の名前は Kibuka (チブカ).Sheep (羊の部族) の言葉で,意味は "bright" だそうだ.


子供達は,よく笑う.
とにかく,よく笑う.
そしてがむしゃらに勉強している.

この世界は平等ではないのだ.生まれながらにして手足が不自由な人もいれば,目が見えない人もいるだろう.そしてエイズにより親を亡くして,学校に通えない子供がいる.

「運命」と言えばそれまでだ.
「運命」で片付けることは簡単である.

ただなんとなく,ボンヤリと感じたことは,幸せや不幸せというものは,他人と比較して感じるものではないということ.誰かと比べて,「ほら俺の方が恵まれているだろう?」「ほら私の方が惨めでしょう?」と決めるものではないと思う.

だから人は,幸せになる為に,誰か他の人になる必要はないということ.
誰にでも「今の人生から逃げ出したい」と思ったことがあるでしょう?「1日でいいから,自分ではない誰かになって全てを忘れたい」と願ったことがあるでしょう? でも,与えられた自分のままで,幸せになれると思うのだ.

私も,ここで学ぶウガンダの子供達も,せっかく地球に生まれてきた.死ぬまでこの地球に笑い声を聞かせてやらないことには,どうしたって気がすまない.

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Peace Pipe: ウガンダの旅 2010
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