自動車絶望工場のさらなる絶望

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 昔々、某大学の先生が、鎌田慧の『自動車絶望工場』を自著に取り上げるべく英訳していた時のこと。日本の自動車メーカーから一通の手紙が届いた。

 手紙は非常に丁寧かつ慇懃な英語で書かれていて、その内容は「先生のような立派なお方が、『自動車絶望工場』などという出自の怪しい本など取り上げずとも」云々というものだった。

 先生はびっくりした。だって、『自動車絶望工場』を訳しているなんて、周囲の少数しか知らないはずのことだからだ。

 びっくりしたついでに、自著の前書きに「この本を執筆中に日本の自動車メーカーからこのような手紙が寄せられた」と、丸ごと掲載してしまったそうな。

 

 

 その先生とは、多分ロナルド・ドーアなんだろうが、とにかく日本の自動車メーカーが現在のような威容を得るまでには、ずいぶんいろいろやらかしてきたのだろう、ということが窺えるエピソードである。

 かつて「世界最優秀の産業スパイ」「情報収集能力はCIA以上」と言われた日本企業も、昔日の面影なくガラパゴスとなるばかりである。

 

 ただ、いたずらに慌てる必要はない。携帯端末の世界では、スマートフォンがいわゆる「ガラケー」に取って代わるのに10年もかからなかったが、車の動きはもっとゆっくりだろう。

 米金融大手のゴールドマン・サックスは2040年時点でも世界の新車販売におけるEVの比率は32%にとどまり、エンジン車の45%を下回ると予測する。

 

 こういう自分に都合のよい情報だけにすがりつき、歩を進めることをいかに怠るかに心を砕く、というのが現状である。

 

 日本でも「脱エンジン」の加速で、一部の自動車部品メーカーなどが痛みを被る恐れはある。

 

 その予測も大甘である。トヨタが潰れかねない、くらいのことは考えておいたほうがいい。

 

 日本のメーカーは、変革に弱い。

 特に、これまで積み重ねてきた実績を投げ捨てることについては、ゴミ屋敷を守らんとする老人のごとしだ。

 もはや若者すらも、何やら物分かり良くなり、変革に対して冷笑的態度をとっている。

 希望は、100m走で10秒切った、ということくらいだろうか?

 

幻滅 〔外国人社会学者が見た戦後日本70年〕
 

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