2016年 10月 04日
Not Kabe But Kage..!
以前にもお話ししたある出来事は、まさに象徴的ともいえます。
まぁ、自分でも「撮影対象は主に何ですか?」と尋ねられても、相手を納得させるような返答もなかなかできない有様ですから、かくなる評には喜んで甘んじるくらいです。
ただ、撮影中の私を見かけた時には、「壁を撮っている」ではなく、せめては「影を撮っている」くらいには思っていただけないものかと訴えたいのであります。
f6.3 1/250 Kodak Ektar100
それではいったい、何が対象なら不思議に思われないのでしょうか?と問いかけてみたいものです。
べつに「壁」だろうが「影」だろうがなんら奇異な事とは思わないのですがね(私は)。
先日、作業着といいますか、いかにも「市」の職員が着ていそうな作業着ですね。それを着て小脇にはボード付きの書き込み用紙。そしてカメラで、なにやら道沿いの何かを撮り歩きしている者を見ました。
きっと何かの調査だなっと思いますよね。ああいうスタイルなら「調査」というのが対象で、、、なんてどうでしょう。
... ですが、私も他者からそのように思われているかもしれないですね。yy2828yy さんのお写真に触発されて、少しでも自分の写真に影響を受けれたら嬉しいと思っています。
このショットも素晴らしい光の捉え方…ため息モノです。
かつての西洋絵画では、絵のジャンルによって格付けのようなものがありました。
そのランク一位は宗教画で、風俗画や単なる風景画などないに等しく、あっても価値のないものとされたようです。
バルビゾン派や印象派と年代の近い写真は、さすがに風景や風俗が主たる対象となったかも知れませんし、何よりも人物を捉える点では絵画の代わりとなりました。
とまれ、今なお「何々を取りに何処其処へ行く」ことが分かりやすいんでしょうね。
ただ、如何に人目をごまかせても「作業着を着て外を歩く」というのは私の辞書にありませんので、あきませんねぇ...。
昔に比べてカメラというモノに対する外部からの視線は厳しくなった反面、撮影するということはより当たり前になったかもしれませんね。
原因はいうまでもなく、携帯電話の撮影機構ですが、その分、「カメラをワザワザ持ち出してこの人何してるの?」と思う人が増えた、と。
半ば私は開き直っていますが、如何にスマートにカメラを扱っているように見えるか、に日々腐心しているように思います。
まぁ、開き直れば往来で腹這いにだってなります。
そう、変なおじさんでいいと。
だけど、カメラには恥をかかせたくないから、カメラのメンテナンス、そして扱い方は飽くまでも優雅で洗練されたように...を心がけるわけです。