fc2ブログ

エピソード/父ちゃん

エピソード
03 /15 2017
羊飼いの少年


一人きりの静寂な時間が好きだった私は、
小学5年ともなると、薪小屋の2畳ほどのスペースで寝てました。
ボロ屋ながら家はあったのですが、六畳二間と台所、
あとは豆腐屋家業の作業所という環境だったので、
父に頼んで小屋に台座を造って畳を入れてもらい、
念願のプライバシー空間を確保したというわけです。

しばらくして、捨て犬に遭遇。
よちよち歩きの子犬の可愛さに圧倒され、小屋で飼うことにしました。
名前は『シロ』……真っ白なワンちゃん、そのまんまです。
親に内緒ですから、あえて夕食を残して運んだり、
学校に行くときは少し戸を開けて、
子犬が自由に出入りできるようにしておいたのでした。
(村はずれの我が家、燐家は一軒だけ)

2カ月が過ぎても、親から咎められなかったので、
認めてくれたものだと思い、胸を撫でおろしました。
シロと遊ぶのが楽しみで、
学校からスキップしながら帰ったものです。

ところが、ある日、シロの姿が見当たりません。

『父ちゃん、シロ、知らん?』
『よう、知らんのう……どっかで遊んどるがやろぅ』

父を信頼していたので、母には聞きませんでした。
幼年期から貧困と辛酸をなめ尽くした母は、
無知蒙昧で、金の亡者のような人だったからです。

が、しか~し、です。
その日の夕方、台所から『すき焼き』の匂いが漂ってきました。
(((ʘ ʘ;)))おかしい!と、直観しました。
『すき焼き』なんて、わが家では大晦日だけのはず。
それも卵を得るための、自家用鶏をつぶして、でしたから‥‥。

(((ʘ ʘ;)))ま、ま、 まさか…そんなはずは…。
そう思いながら母屋に行くと、晩酌しながら父がい言いました。
『旨いぞ! 風子も食べんかぁ!』

心が凍りつきました。
ですが恐ろしくて、ストレートに聞けるはずもありません。
感情を押し殺し、その辺にあるもので夕食を済ませ、
流しに茶碗を運びながら、母の耳元で囁きました。
『あの肉、ひょっとして……シロ?』
苦笑いしたまま、母は答えませんでした。
(◎ー◎;)…それが何よりの答えだと、確信しました。

((((;゚;Д;゚;))))カタカタ …… なんてことを……((((;゚;Д;゚;))))
子供が可愛がってるワンちゃん食べるって、どんな神経?
肉食べたかったら、ウサギでも獲ってきたらいいやん!
鶏、つぶせよ…なんだってシロを…(´-﹏-`;)…o(;_;)o。

その日から3か月ほど、父と口を利きませんでした。
ですが子供なりに、父の人間性を俯瞰し続けました。

というのも、父は“良い人”だったんです。
感情を顕わにして怒ることなどない、温厚な人でした。
学歴こそありませんが博学で、なんでも教えてくれました。
即答できないことは、調べてでも、です。
焼酎好きで晩酌はしましたが、その後は読書して就寝。
雨風の強い日にはライフワークだった人相や手相学、
東洋医学や、薬草などの研究をしていました。

年に一度、すき焼き用の鶏を捌くときは、
『これが食道……これが砂袋いうてのぉ、
砂ごと突いて食べてしまう鶏の特徴ながよ。
面白いもんで、牛は胃が四つもあるがぜぇ』
などと、解剖学的な説明を加えてくれたものです。

大工でもないのに家を建てたり、機械修理もできるし、
絵もすこぶる上手なマルチ人間でした。
どう塗り直しても池の色が上手く描けず、
最終的に父を頼った展示会用の絵は、
郡が主催する中学生部門の展示会で、金賞に輝きました。
『池の色彩が突出して素晴らしい…』という評価で。(o´_`o)ハァ・・・。

父はまた、涙もろい人でもありました。
もともと正義感が強く、判官贔屓する人で、
情愛ものの浪曲なんかを聞いても泣いていました。

それが戦争体験となると、テンションはMAX。
晩酌をしながら、父は決まってフィリピンの話をするのですが、
私は毎回、相槌を入れながら上手に聞くよう努めました。
母があまりも不愛想で、父が気の毒だったからです。

日本軍は、フィリピンの村々で、大量虐殺を繰り返したそうです。
女子供、老人など、罪もない村人を、です。
泣きながら刃を向ける二等兵たちに向かって、
鬼軍曹が足蹴りして喝をいれたのだとか……。

戦局が不利に傾き、ジャングルを逃げ回るようになると、
飢えとマラリアで倒れる者続出。
人肉をむさぼる輩も現れ、
そのときばかりは死んだ方がましだと思ったそうです。

終戦になり、引き上げ船に乗ったとき、
残酷な命令を下した軍曹を、みんなで海に投げ込んだそうです。
父は加担しなかったそうですが、二等兵たちの心情に泣き、
それを止めなかった自分も同罪だと、泣くのです。
この話は何百回も聞きましたが、父は毎回、泣きました。


子供なりに、記憶にある父を回想すること3カ月。
とりあえずですが、父に対する憎しみが消えました。

『!(・。・)b 父ちゃんにとって、
シロは食料やったんや。
何も言わないって、変だったもんなぁ。
2か月って……太るのを待ってたんやぁ。
ウサギや、鶏、イノシシや、赤犬と同じなんやぁ。
もしかしてジャングルで飢え死にしそうになったら、
私だって、野良犬を食料にしたかも…… 』

赤犬というのは、もともと郷里の山に生息。
オオカミとの混血犬のことで、イノシシ同様、
かつては村人の食料として狩られていました。
父の話では、イノシシに似て美味だと言います。
父はまた、雪の日に罠を仕掛けてウサギを。
何匹ものマムシの皮を剥ぎ、
干して炙って、酒の肴にしていました。
そのワイルドな食の延長線上に、シロがいたわけです。

食べ物について、深く々、考えました。
自分は魚だってキジ(鳥)だって、喜んで食べた。
ウサギや鶏も、美味しかった。
都会に住む叔母ちゃんは、ステーキご馳走してくれた。
み~んな“生き物の命”食べている。
可愛いペットだから、って理由で、
父を恨み続けるってのも、なんか変かも……。
そう思って、許すことにしたのです。


久しぶりに実家を訪ねたとき(34歳)、父が言いました。
『わしゃ、もう死ぬけんの。皆の未来を占って書いておいたぜ』
『なんで?‥元気ピンピンやんかぁ』
『このところ毎晩のように、夢で母親が迎えに来るがよ』
『(((ʘ ʘ;)))……・』

躊躇はしましたが、思い切って“死”をテーマに雑談しました。
そんな方向にでも話を振らなければ、
いたたまれなかったのです。

『へぇ……。
けど、いい機会やから聞いておくわ。
父ちゃんは、人間、死んだら終わりやと思てる?
魂とか…どう思ってんの?』
『よっ、そりゃあ、人間、死んだら終いよ。
腐って土に還るがよ』
『そうかなぁ……。
私、魂は永遠やと思てんねん。
そしたらな、父ちゃん。
死んだとき、魂があるってわかったら、
私に合図してくれへん?
絶対やで!…約束してな!』
そう念を押すと、父は笑いながら頭を掻きました。

この会話の1ヵ月後、父は余命3カ月という宣告を受けます。
甚だしい黄疸で、目が真っ黄色……。
胆管、膵管が交差する厄介な場所の癌で、オペも不可能でした。


父が亡くなり数週間が経った頃、
私の心身に、顕著な変化が……。
父は、私との約束を守ってくれたのでした。
詳細記事はココ 身につくもの・つけるもの➁

エリザベス・キュプラー・ロス著『人生は廻る輪のように』の中で、
エリザベスは、魂や輪廻のあるなしで夫と口論になります。
怒った夫(外科医)が言います。
『もし本当に魂があるなら、僕が死んだとき、
お墓の前に、真紅のバラを咲かせてみせるよ』

で……奇しくも夫が急死。
娘と夫の墓に行ったエリザベスは、雪の日にも関わらず、
そこで真紅のバラが咲いているのを見て驚喜します。
『マニー、解ったのね! ありがとう…』 と……。


さて、話を今に戻して……。
“おしんの時代”と違い、空前のペットブームです。
夫より、妻よりもワンちゃん、猫ちゃん『命』。
そんな人々が圧倒的ですから、
こんな記事発信したら『どんな親やぁ!』と、
袋叩きになりそうですが……。(^_^ ;)

50数年もの間、誰にも打ち明けなかった、この話……。
最近、ひょんなことから、ある人にメールで告白しました。
折しも『洞窟おじさん』の映画を見たことが重なり、
父の思い出として記事にしておきたくなったのでした。

もっとも深刻な難民問題などは、
『洞窟おじさん』のサバイバルどころではありません。
船上で尿を飲んで水分を補給したとか、
亡くなった人の肉をたべたとか……。
そんなニュースを観るたびに、
スルーしてはいけない問題に思えたことも確かです。


さ~て、ここで質問です。
あなたが、ジャングルを彷徨う兵隊の一人だったとして、
飢え死か、生か、その選択を迫られたとき、
亡くなった同胞の肉を食べるでしょうか?

えっ?……。
そんなこと絶対にあり得ないから、答えられない、ですって?
それは、ずるい、逃避です。
よ~く、よく、考えてみませんか?

うん? (((ʘ ʘ;)))わたし?……。

飢餓の経験ないですからねぇ。
いざとなったら、それに耐えられず、
食べるかも?((((;゚;Д;゚;))))カタカタ。
ってか、それまでに、命、尽きてて欲しいですが、
自決する度胸なんてないので、
殺してもらえたら、喜んで食料になります。(^_^ ;)

こうして真剣に考えてみると、
飢えることのない現状は、それだけで天国ですよねぇ。(*^▽^*)




あらゆる動物において最も激しい欲望は、
肉欲と飢餓である。
ジョゼフ・アディソン(詩人、政治家、文学者)




ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

エッセイ・随筆ランキングへ
関連記事

コメント

非公開コメント

Re: ウナさん早朝よりコメントありがとうございます!

> 自助努力があれば、自分で考えて生きれば
> 道は開けると・・・いつも

なんか、想像できます。
かつての親は、みんな、そんな感じでしたよね。

> だからおいらはいつも
> 泣き言をいう前に方法を探しました

(´ー`*)ウンウン よく解ります。
喧嘩しても、ケガしても、言えなかった。

> 『また負けたのか?』
> 『ちっとは工夫せい!、アホたれが!』

これ、息子が5歳くらいのとき、同じことを言いました。
すると、次の喧嘩で相手が鼻血を出し、親が怒鳴り込んで来て……。
ひたすら謝りながら、陰で息子に『よくやったぁ!』と。
ですが、それ以来、息子は喧嘩をしなくなりました。
勝っても後味が悪いと知ったのでしょうね(^_^ ;)

> 負けない方法を編み出しました
> 喧嘩をしない!でありましゅ

同感です。
親子ともども成長……(。・?_?・。)…したのであります!  あはは

> 親父だったらどうしただろうと思うときがあります

ほぉ、頼りがいのある父ちゃんだったんですね。

> 手前(てめえ、おいらです)で考えろが口癖でしたから
> これがおいらの父です

これは、最高の父上だと思いますよ。
答えを言ってはいけない。
それを考え、実践することが人生の醍醐味ですもの。

戦争体験のある親世代って、生き方に迫力がありましたねぇ。
腹が座ってるというか、自信に満ちているというか、
理屈や理論では太刀打ではない『本能としての生』を
体得しているからでしょうね。
だから、ある意味、逆らえない。
独特の威厳を放っているように思えて……((´∀`*))


父・・・複雑

三回コメントしなきゃ

しょの三




おはようございます
父は最初機関銃の担当でしたが

三発てーッ!の号令にいつも4発発射して
機関銃を頸になり
歩兵銃を持たされたとか

今となっては
もっと詳しく(所属部隊とか)記して置けばよかったと思いますが・・・


「神は自らを助くる者を・・・見捨てる」
このような人でした


つまり
自助努力があれば、自分で考えて生きれば
道は開けると・・・いつも

だからおいらはいつも
泣き言をいう前に方法を探しました
いまでも
神頼みほど充てにならないものはないと思っております


喧嘩に負けて帰るでしょ
口から血をながしたりして
すると

『また負けたのか?』
『ちっとは工夫せい!、アホたれが!』



負けない方法を編み出しました
喧嘩をしない!でありましゅ
あはは


(ところが現実は甘くはなかった・とほほ)
(今度ブログに書きます)


時折
臍の辺りに鉄球のようなものがあったり
全身にミクロの粉があったり

背中に気配を感じたり
あの野郎が覗きに来ているのかもしれません


いまでも
親父だったらどうしただろうと思うときがあります
でも
答えは見つかりません・・・


手前(てめえ、おいらです)で考えろが口癖でしたから

これがおいらの父です

Re: ウナさんコメントありがとうございます。

>三回読んで答えに行き着いていない本があります
> 『アンデスの奇蹟』です
> 生存した者は仲間を食べていたのです

(*′☉.̫☉)ほぉ!

> 食うなら喰われる側になったほうがましだと思いました

同感です。銃があれば自決。刃物は怖いので、殺されたいですねぇ。

> わたしは70時間ほどの漂流を経験しました
> 結果70時間、水だけでした・・・何とかなる・?
> 本物に出会わなければ(飢餓に)
> 答えには会えないということだけが判りました

さすがウナさん。いろんな体験、あるんですねぇ。
70時間でも大したもの……めったにあることではないですね。
おっしゃる通り、みんな、そうだと思います。
戦後を除けば、飽食の時代に生きているのですもの。
思うに飢餓だけでなく、辛酸、余命宣告、死別など、
体験者でなければ、やはり人ごと……。
その気持ちの50%も解らないでしょうね。

> お鮨しでお腹がいっぱいで主
> また今度にしましゅ

(((ʘ ʘ;)))ありゃぁ、飢餓云々の途中……満腹って?
そりゃあ、イメージは彼方に……でしょうとも。((´∀`*))あはは。

困った三回コメントしなきゃ!

しょの二




三回読んで答えに行き着いていない本があります
『アンデスの奇蹟』です
生存した者は仲間を食べていたのです


戦後の貧しい家庭に育ちましたが
飢餓の経験はありません


読んだ一回目は
自分だったらどうしただろうと思いました
実際に遭遇しなければ答えには行き着けないと思いました

二回目には
『人』の尊厳の為に
食うなら喰われる側になったほうがましだと思いました
十年に一回ずつ本を開けました

三回目は
飢餓とは何かを考えました
わたしは70時間ほどの漂流を経験しました
いえ
食べ物も水もたっぷりありましたから
飢餓は経験しておりませんが
極力食べずに耐えてみようと試験をしました
結果70時間、水だけでした・・・何とかなる・?
(もう一日経っていたらどうだったのか?)
つまり
本物に出会わなければ(飢餓に)
答えには会えないということだけが判りました


三回読んだ本を4回目に読む日は来るのでしょうか?
わかりません・・・・



お鮨しでお腹がいっぱいで主
また今度にしましゅ
あはは。

Re: 🔓コメさんへ

(*′☉.̫☉)へぇ、そんな都会にもですかぁ‥‥ビックリです。
顔は結構可愛いのですが、ほんと、気をつけて下さいね。(*^▽^*)

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 🔓コメさんへ

な~るほどぉ、ガッテンです。
ことIT関連には、メッチャ疎いので、
いい手も足もないで~す。<(_ _)>

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: ウナさんコメントありがとうございます

∵ゞ(´ε`●) ブハッ!! 3回もコメントしなくていいです、ったら……。

バーソさんへ
> 沖縄へ行っても鰻の『白焼き』は食べないほうがいいかもしれません
> あれって・・・ウツボかもしれないからです

ほぉ、そうなんだぁ。
けど、ウツボって、ぬめりとって、小骨とって
調理すると旨いらしいですよ。(最近のTV情報)

> 捕まった犬は動物園の肉食獣の餌になったときかされましたが
> たぶん、わたしたちも食べているはずです

(´ー`*)ウンウン 一時、マクドナルドの噂が流れましたね。
ミンチ肉、ミンチの加工品などは、なるべく買わないようにしています。
上質の肉とか言って、牛脂を注入しているものも多いですから。

> 牛、豚、鶏、鯨、羊
> これ等などを『肉』と思っておりますが
> 解体された肉塊は区別が出来ません。
> ホルモン焼きのホルモンは『放るもの』の略です・・・あはは

大阪はホルモン焼の本場で、若い頃はよく食べましたよ。
ホルモン焼の店で、短期バイトしたことも‥。
ものすごい出刃で、内臓とか切らされました。

> しかし、ショキングな記事でした

(*′☉.̫☉)ほぉ!……なにを聞いても、見ても、
ウナさんなら、平気のへ、だと思ってたのに……。

> 『生』を見つめるということは
> それはそれは、 大変な事でございます。

(´ー`*)ウンウン ……シロを思い、父の所業に憤って。
さすがの私も、三日間ほど、泣きましたもんねぇ。
(こんな奴、親じゃない、とまで思って……)
ですが、どう考えても、父ちゃんは良い人の部類だったのです。
で、そのギャップに関しては、
命への観念の違い、としか思いようがなくて……。

巷では『犬畜生』とか言いますよね。
どんなに可愛がっても野生は野生。
飼い主をかみ殺すこともある、ってな認識ですよね。
ですが、そういう人間の中にも、
犬畜生にも劣る、みたいな人がいることも確かです。

この話、50数年、誰にも言えなかったのは確か。
やはり精神的には相当、尾を引いていたのだと思います。o(;_;)o

困った!三回コメントしなきゃ!

こんばんは
コメント「しょの一」でやんす





おいら、若い頃はよく「人を食った奴だ」と言われました
本物は食べてはおりません・・・たぶん
バーソさんへ
沖縄へ行っても鰻の『白焼き』は食べないほうがいいかもしれません
あれって・・・ウツボかもしれないからです

子供のころ犬殺しが頻繁にやってきました
野犬の捕獲にです
どの自治体にも専門の捕獲人がいたのです
捕まった犬は動物園の肉食獣の餌になったときかされましたが
たぶん
わたしたちも食べているはずです

わが町にホルモン焼きがメインの居酒屋がありますが
モツの煮込みを『動物園』と記しております

牛、豚、鶏、鯨、羊
これ等などを『肉』と思っておりますが
解体された肉塊は区別が出来ません、わたしたちには

ちなみに『ホルモン』とは環境ホルモンとか女性ホルモンとかの
体内物質を(生物学的)表わすと解釈されますが
ホルモン焼きのホルモンは『放るもの』の略です・・・あはは
戦前は内臓は食べなかったそうです

レストランでヒレだのサーロインだのをいただきますが
食肉解体の現場を見たらと思いますと・・・

しかし
ショキングな記事でした

『生』を見つめるということは
それはそれは
大変な事でございます。




Re: バーソさんおはようございます

> 飢餓状態でもないのに、よくそうできたものだと思います。

そ、それ、それ!……飢餓状態でもないのに、です。
ただの食い気、嗜好なので、怒りが倍増したわけです。

> それなのに、よく許せる気持ちになったものです。
> 昔の親は子供の心情などあまり考えないことがありましたね。

(´ー`*)ウンウン おっしゃる通りです。
父は50歳過ぎても『アフリカ行きたい』などと、バクみたいな側面が。
知的好奇心の全てに応えてくれましたが、母が言うには、
子供たちを抱くとか、そんなことは生涯、なかったそうです。
家庭に対して、心、ここにあらず、みたいな人でした。

許せる気持ちになったのは、
私自身がちょっと変わってたからだと思います。
なんだ、この親は?
私は、どうしてここにいるのだろう、
この両親のもとに生まれたのはなぜだろう、
なぜか子供の頃から、どこか覚めた……。
客観視する心を持っていたからだと思います。
(姉に頼んで、戸籍、調べたことあります)

> 私は飢餓状態でも自分のペットはとても食べられないと思います。
> 私は昆虫も蛆虫も人間もだめですね。

((´∀`*))なら、香港とかは絶対ダメですね。
仕事を兼ねて香港には3回、行きましたが。
野良犬、野良猫は見たことありません。
香港人の知人が言うには、今も食料だそうですし、
また九龍などの屋台料理は、
(((ʘ ʘ;)))ヘビ、虫、カエルのオンパレードですから。

> ただし鰻は好きなので、蛇は蒲焼なら大丈夫かもしれません。

ひゃあ、ヘビはダメです(×_×;)。
干して炙っても、かば焼きでも……。
人はいろいろですねぇ。

肉欲について……。
これは殿方にしか解らないだろうと思います。
それも、若い、精力絶倫の!…… → (^_^ ;)
ってか、今は草食系男子増えてますしね。
時代と環境しだいですよねぇ。(*´ェ`*)

娘のかわいがっているペットをすき焼きの肉にした。
飢餓状態でもないのに、よくそうできたものだと思います。
それなのに、よく許せる気持ちになったものです。
昔の親は子供の心情などあまり考えないことがありましたね。

私は飢餓状態でも自分のペットはとても食べられないと思います。
牢獄の中でアブラムシを食べて生き延びたという映画がありましたが、
私は昆虫も蛆虫も人間もだめですね。
好き嫌いは一応ないのですが、今でも肉の内臓は気分的に駄目です。
ただし鰻は好きなので、蛇は蒲焼なら大丈夫かもしれません。

肉欲と飢餓が最も激しい欲望ですか。
たとえ極限状況にいても、特に前者については
私は全然まったく大丈夫だという自信があります。
もういい歳のせいが大きく、あまり自慢にもなりませんが。(笑)

Re: iomamaさんへ

> 息子が山賊ダイアリーという漫画を読んでいて
> 突然、ウサギが食べたいと言い出しました。

野生のシカ、イノシシ、クマなどの肉、
今はジビエ料理とか言って、料理界でモテモテです。
田舎では、ウサギなんてメジャーなジビエ料理でしたぁ(^_^ ;)

小川村で熊も食べましたが(猟友会会長が患者)
ちょっと臭くて硬いです。
シカ肉の燻製は、マリネにすると美味。
イノシシは、牡丹鍋で激ウマです。
カラスは食べたことないですが、キジは超美味。
キジ同様、カモ肉も美味しいですが高価ですね。

作物を荒らされて困ると、行政が仕掛けて、
ジビエ料理の推進なんてことに……。

> 人は生きることを選ぶ..
> これが自然のことなのですね。

魚は切り身状態で泳いでるとか、
鶏の絵を書かせたら、足の指5本とかになるので、
やはり、自然を学ばせた方がいいですよね。
特に、命をいただいているという現実は、大切だと思います。

映画『北の国から』は、最高傑作だと思っています。
自然、厳しさ、創意工夫、人と動物のぬくもり……。
生きた教育とはなにか?
いつも、いつも、考えされます。(*^▽^*)

風子さんへ

こんにちは。

息子が山賊ダイアリーという漫画を読んでいて
突然、ウサギが食べたいと言い出しました。

ウサギなど食べるものではないと思う私に
カラスも食べられると言うのです。

鳥肌ものでしたが
生きていくにはカラスも食べる..

人が生きていくためには必要なことであり
生き物に対する感謝である..

人は生きることを選ぶ..
これが自然のことなのですね。

Re: デコさんコメントありがとうございます

> いざそのような事態になり
> 目の前の現実を考え生と死を考えなければならない状況であれば

善悪なんて、誰にも決められないですね。
イスラム国に傾倒する若者たちだって、
極貧、無教育の果てに飼い殺されたようなものです。
フセインは悪でしたが、彼がいなくなったイラクは、
部族間の抗争が激化。
ある意味、フセインは必要悪だったかも。
犠牲者は、いつの世も一般市民が問題ですが…。

> 生きる方を選ぶだろう
> 雑草も食べるだろう

北朝鮮の農民、庶民ですよね。
だからイチかバチか、命をかけて脱北する。
生きようとするのは本能ですもの……。

私の場合、悲しかったのは(子供ですから)、
飢えているわけじゃないのに、父がシロを食べたこと。
豆腐屋だし、畑あって野菜あるし、海の幸は安価に買えたのに、
父は単に、肉が食べたかったという事実が…でした。(´-﹏-`;)

ですが結果的に、いい経験でした。
人間の多面性、善悪の尺度……自分は何者なのかを知る、
いい機会になったという意味で。(*^▽^*)

びっくりなお話
。。しかし我々は生き物の命を頂いている

だからいただきます

それなんですよね
○だから食べないではなく

いざそのような事態になり
目の前の現実を考え生と死を考えなければならない状況であれば

生きる方を選ぶだろう
雑草も食べるだろう

生きていく道を探すだろう
きっとそうするだろう

きれいごとじゃないと思うから

Re: エリアンダーさん嬉しいです!

> 「身につくもの」読みました。
> お父上の「嗜好」が消えたのは、生まれ変わり体験者の前世の
> 記憶が歳とともに消えていく感じに似てますね。ちょっと切ない話です。
> スティーヴンソンの「前世を記憶する20人の子供」(私のバイブルです)

(((ʘ ʘ;)))「前世を記憶する20人の子供」…驚きましたぁ!
私も何度も々、読みましたから。
そうなんですよねぇ。
前世の記憶が薄れ、自我を生きるってところが切ないです。

たとえ数年でも、前世の記憶持ってる人はいいですね。
年老いて、少しはお利口さんになって死ぬのに、
生まれ変わったら、全ての記憶が消滅。
再びゼロからスタートって、
酷なような、嬉しいような……複雑です。(*^▽^*)


こんにちは

困窮し、飢えれば食べてはいけないものなど何もないです。
私自身は飢えればペットを食べるし、ペットが飢えれば私
(ただし私の死後ね(笑))を食べてもいい。
人? 私、どんなに飢えても人は食べられません。
ヘビ、スッポン、ウナギ、ドジョウ、ヒトは気持ち悪くてダメです。(笑)
「身につくもの」読みました。
お父上の「嗜好」が消えたのは、生まれ変わり体験者の前世の
記憶が歳とともに消えていく感じに似てますね。ちょっと切ない話です。
スティーヴンソンの「前世を記憶する20人の子供」(私のバイブルです)
に出てくるスクラの症例は興味深いです。スクラは、自分は隣町の
男性の死んだ妻の生まれ変わりであると主張し、その男性に甲斐甲斐しく
仕えます。が、やがて12歳頃には前世の記憶が薄れ、同時に男性を
疎ましく思うようになっていくのです。

風子

1952年、愛媛県生まれ。
子供時代は予知夢をみるような、ちょっと変わった子供。

40歳の頃、神秘体験をきっかけに精神世界を放浪。
それまでの人生観、価値観、死生感などが一新する。
結果、猛烈営業マンから一転、43歳で鍼灸師に転向。
予防医学的な鍼灸施術と、カウンセリングに打ち込む。

2001年 アマチュアカメラマンの夫と、信州の小川村に移住。晴耕雨読の日々を夢見るが、過疎化の村の医療事情を知り、送迎つきの鍼灸院を営むことに。

2004年 NHKテレビ「達人に学ぶ田舎暮らし心得」取材。

2006年 名古屋テレビ「あこがれの田舎暮らし」取材。

2006年 信越テレビ「すばらしき夫婦」取材。
      
2008年 テレビ信州「鹿島ダイヤモンド槍を追え」取材。

2012年 12年の田舎暮らしにピリオドを打ち大阪に戻る。