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いたばしの地名をたずねて ――「東山町」 環七と川越街道との交差点の南西一帯は、遠い昔から小高い丘でした。現在ここには長命寺と上板橋小学校(明治十五年五月七日開校)があります。東山町の地名の由来は、古くからこの場所が「お東山」と呼ばれていたからです。 小学校の玄関前に「伝 御東山板橋城 跡」があります。12世紀からこの辺りを豪族・豊島氏が支配しており、その子孫の一人が姓を「板橋」氏と改め、御東山に築城、板橋城としたことが江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」に記されています。志村城や赤塚城のように物証となる遺物が出土されておらず、教育委員会は史跡として認定していません。そのため碑名に「伝」とつけられました。 明治のころには当時の上板橋村の「台宿」と呼ばれていました。昭和35年の町名整理により旧・上板橋町3丁目と5丁目の各一部をあわせた町域を東山町がなり、同46年新住居表示で現在の「東山町」となりました。 (向原・高山)