5月7日、東京都国立市内の自宅で亡くなられた俳優・曽我町子さんには私も思い出があります。
1996年11月11日、日本俳優連合が俳優・声優の著作権上の保護を求めて国会議員と懇談会を開催したとき、私は雑誌記者としてその様子を取材する機会がありました。会場には森繁久弥さんや二谷英明さんなど、たくさんの有名俳優が集まっていましたが、そのなかでも曽我さんの発言が一番印象に残るものでした。そのときの曽我さんの発言を私は次のような記事にまとめています。(『グラフこんにちは」96年12月1日号)
オバケのQ太郎の声で知られる曽我町子さんは、子ども向け特撮番組「ジュウレンジャー」に出演。番組はその後、米国会社に買い取られ、一部を撮り直して「パワーレンジャー」として世界で大ヒットしました。曽我さんはこう語りました。
「パワーレンジャーで、私は一銭ももらっていないんです。〝世界の子どもたちが見てくれたんだから欲張らず、少しだけでもいい〟と会社に交渉しましたが、『役者なんて煮ようと焼こうと、こっちの勝手だ』といわれ…。ケンカしてはいけないと笑顔をつくって交渉をつづけたが、笑いながら死にたい気持ちになった。これを変えるには一人の力では無理。みんなで団結しなければ」
子ども向け番組にいっしょうけんめいに取り組み、それを支える俳優たちの権利擁護にも奔走した曽我さんの功績はもっと多く語られてもいいのではないかと思います。心から冥福を祈ります。