「あなたの意識もあなたが食べたものでできている」

人様にお金をいただいて提供できる料理は、ビックリさせたりすげー感動させたり
しなくてはならないわけで、ほんと大変だよねと思います。シェフってスゴいなー。
フレンチシェフに料理のレシピを提供していただいたことがあります。
お金をもらって人々にお料理を提供しているシェフが、
レシピを快く提供してくださることに、わたくしはまず驚きました。
「ほんとにいいんですか」と恐縮しつつ聞いたわたくしに、シェフは言いました。
「レシピはいくらでも提供できます。なぜなら、レシピはレシピでしかないからです。
そのとおり作っても僕が作ったものと同じにはなりません。それは僕がプロだから。
フレンチのレシピは公開されているものです。それをどう自分のものにするか、
下ごしらえや素材の選択をどう工夫するか、そこがプロの仕事なんです。」
当時何人もの料理家の方々とおつきあいがあり、オリジナリティとか知的所有権とか、
わりと厳しく言われていたわたくしは、レシピはレシピと言い切るシェフに、
料理人としての矜持を感じておりました。そしたら「あ、そうそう」とシェフが一言。
「パティシエは違いますよ。パティシエはレシピが命です。
お菓子は分量も時間もきっちりやらなくてはなりません。アレンジは効きません。
だから僕はお菓子は作れません。シェフとパティシエは性格が違うんです。」
わたくしはお料理が大好きですが、レシピ通りに作ることが苦手です。
それでも自分アレンジで「自分の味」にして自分はおいしく食べられます。
が、お菓子やケーキを作る際、この「自分アレンジ」が邪魔をして、
砂糖の量にビビって勝手に減らして全然甘くないケーキができたり、
ベーキングパウダーを使わず作っては石のようなクッキーを作ったりします。
そのような失敗をしても「料理が好き」と言えるわたくしは変なのかもしれないな、
なんちて思うのは、わたくしの周りにいる「料理が苦手」という数名の人々が、
自分の失敗を決して許さないからです。
彼女たちは「レシピ通りにきっちり作らないと気が済まない」と言い、
「1gまできっちりはかり、ちゃんとやらないと上手に作れない」と言います。
彼女たちの辞書に「アレンジ」という言葉は存在しません。
したがって、料理家に「レシピの調味料は小さじ何杯とちゃんと書いて」とか
「何分加熱とかちゃんと書いて」などと注文をつけては嫌がられたりします。
そして、レシピ通りに作ってあんまりおいしくないとか、家族に非難とかされると
自分を責める傾向が強く、非常に落ち込み、自分は料理が下手だと思い込み、
「どうせ料理苦手だし」と誰も聞いてないのにつぶやいたりします。
(56年生きてきてサンプル数は10名ほどですけど)。
なので、レシピをさらっと見てテキトーに作り、上手にできたら自分天才とほめたたえ、
失敗して夫がおいしくない、などと言おうもんなら「自分で作れ」と夫を非難する
わたくしなどは、彼女たちを見ていて「なんでかなー」としみじみ思うのです。
そして「その性格、パティシエに向いてるみたいよ」などと言って、
よけいに嫌がられたりします。なんの慰めにもなってないのはなぜだ。おかしいな。

どんな料理も器と盛り付けで1.5倍はおいしく見えます。祖父が骨董品を収集してたせいか、
母も器と盛り付けをとても大切に考えていて、大皿にどさっと盛り付けられた料理を
子どもの頃から食べた記憶がありません。お皿洗うの大変だっただろうなー(そこか!)
さて、そういう「料理が苦手な人」のことを考えていて、最近気づいたことがありました。
身内の話で恐縮なのですが、わたくしの母は「食べるとむせる冷やし中華」
「毎回味の違う味噌汁」などを連発し、決して安定した味の料理を作らない人でしたが、
なぜか、自分は「料理上手」だと家族及びその近辺の人々に公言していました。
その料理を日々食べてむせたりしていた娘たちも、「母は料理上手」と思い込んでました。
今考えると不思議だ。もしかしてふたりともバカなんだろうか。
そして「料理上手」と公言してばからない母には次のような持論がありました。
「料理上手な妻になってほしいのなら、夫は妻をおいしいお店に連れて行き、
おいしいものをたくさん食べさせなくてはならない」というものです。
「最高のものを食べていれば、そうではない味がわかるようになる」と言うのです。
母は鳥取市内でおいしいと評判のお店ができると必ず、勤務先のお友だちと一緒に行っていました。
今考えると「食べ歩き」的なことを、60年以上も前にやってたのです。鳥取で、ですけど。
母の「料理上手」の根拠はこの「おいしいものをたくさん食べた経験」にあり、
実際にはむせる冷やし中華を作っていても、その自信がゆらぐことはありませんでした。
大切なのは「ああ、おいしかった!」と思える料理をどれだけ食べたかどうか、なのでしょう。
「あなたは自分が食べたもので作られている」と言われるとおりですが、
体だけではなく、心や意識、自信などもそうなのではないかと彼女を見て思うわけです。
ということで、料理が苦手だと思いこんでる人はおいしいものを食べに行き、
それを糧にして自信を持つってのはどうでしょう。
根拠はレストランに行った回数、金額など、なんでもいいと思います。
そんなのなくてもいいくらいです。
なぜならば、家庭料理に必要なのは料理の完璧さではなく、
家族が食卓を囲んで楽しく食べ、健康に暮らせることだからです。
お金をもらって作る料理ではないのだから、多少の味のばらつきや、
むせる冷やし中華であってもなんの問題もないということでありましょう。
そういう意味で、わたくしの母は急先鋒を走っていたなと思うわけで、
あの母親から生まれて良かったな、なんちて最近しみじみ思ったりしています。
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