世の中が明るくなればなるほど闇は濃くなると思った話
立川稲荷神社は4年に一度大祭があり、一丁目から四丁目までそれぞれが決まった役割を演じていました。
一丁目のわたくしたちは踊りを踊り、二丁目が獅子舞って感じです(あとは忘れた)。
一丁目には子どもがいなくなったので、鳥大の学生を雇ってると言ってましたが、悲しいですなあ。
わたくしはこういう神社の境内やお墓でさんざん遊んでいたのでした。夕暮れになると怖いのあたりまえですね。
幸田露伴の娘、幸田文というひとの随筆を図書館で借りました。
それはもう美しい、すでにもう使われなくなって久しい言葉の羅列と、
小さなことも見逃さない観察眼、それを言葉にする技術などにほれぼれとしたのですが、
「ああ、こういうのあったよね昭和に」というゾッとするようなところもありました。
わたくしは「まさに昭和」であった鳥取の幼いころの暮らしを思い出しました。
ちょっと言葉にしてみたいと思います。
わたくしは昭和38年に鳥取市で生まれました。
小学校低学年くらいまでは、ときどき乞食と呼ばれる人を見かけたり、
鳥取駅の裏でボロボロの復員軍人の姿をしてお金をせびる人を見ることもありました。
世の中はまだ「順風満帆」って感じではなかったような気がします。
わたくしの両親はともに電電公社(今のNTT)で働いていたので、
今考えるとたぶんモダンな社宅(だったであろう)に住んでいました。
うちは二階でしたから1DKの狭い部屋はどこまでも明るく、楽しい記憶しかありません。
小学校一年のとき、両親は家を建て、
地盤が硬いから鳥取大震災のときに傾いた家を縄で縛ってもとに戻した、とかいう
立川一丁目というむかーしから人が住んでいた下町に引っ越しました。
鳥取の旧市街は鳥取城を中心にして武家が住んでいたひろーいお屋敷街と、
周辺にその用向きを叶えるための鍛冶屋さんとかが住んでいたと思われる町
(鍛冶町とか御弓町とか馬場町とかその通りの町名がついている)が広がっています。
旧市街は現在、住民の高齢化による空白地帯になりつつありますが、
当時は小さな子供がたくさんいるにぎやかな町でもありました。
今はもうない「修立小学校」に転校し、下町の子どもらしく神社やお寺の裏山を登り(ただ登るだけ)、
まだ残っていた小さな畑や田んぼで虫を取り、川では魚を、用水路ではザリガニを取り、
なんというか、人形遊びなどはあまりしないで外で遊んでばかりいる子どもでした。
外で遊びすぎて真っ黒に日焼けし、よく男の子に間違われました。
おとなになってから近所のオバサンに会って「あんた色が白かったんだねえ」と
しみじみ言われるほどでしたから、相当色黒だと思われていたのでしょう。
わたくしの家はむかしながらの間口の狭いうなぎの寝床のような鉤型の変な家でした。
日当たりが悪く一階には湿気が溜まりやすく、あまりいい家ではなかったと思います。
その家は「怖い」と思うことがよくありました。
わたくしはもともとビビりで怖がりな子どもでしたが、部屋の隅っことか、
家族が寝てしまってからの暗い階下とか、なにかがじわりと潜んでいるような気がするのです。
外でも怖いと思うことがときどきありました。
夕暮れまでさんざん遊んだ帰りの路地や、夕暮れに八百屋さんまでネギを買いに行く途中など、
道っぱたの暗がりから「よくないもの」がぞろりと出てきそうな気配がありました。
今考えると、単に暗かったからかしらと思ったりしますが、そうでもない気がします。
わたくしが今住んでいる世田谷の家は隅々まで明るく、もちろん暗がりもありますが、
そこにあるものをわたくしはしっかりと認識しているせいか、恐くはありません。
なんというか「家の中にあるものすべてがわたくしの支配下にある」という気がします。
しかしその立川一丁目の家は、なにかほかのものもいっしょに住んでいて、
「夜の間の主人は自分」と思っている風なところがありました。
昼間はおとなしくしているそれが、夜になりみんなが寝静まるとどこかからぬるりと現れ、
暗がりのなか好き勝手に動き回っている感じです。
ときどき二階のわたくしの部屋まで階段を上がってきては姿を消して怖がらせたりと
嫌がらせも大好きなようでした。
同じように、山や公園や川べりにいるなにかも暗くなるのを待っているようです。
街灯の裸電球のちらちらとした不安定な灯りが届かないところで、
何かがゆらめいたり、ゾワゾワと動いたりするような気配がありました。
そういった「なにものかの気配」を現在の鳥取で感じることはありません。
立川一丁目は古い家をどんどん壊し、サバサバとした更地の多い町になり、
暗いなか行き来して怖い思いをしたあたりも、なんだか明るくサッパリしています。
細々した路地は整地されてまっすぐな道路になり、街灯はLEDで煌々と明るく輝き、
そういった「なにものか」が潜む場所はもうなくなってしまったかのようです。
わたくしは、鳥取よりも東京に住んでいる時間のほうが長くなり、
長い間、もう何十年もそういう「なにか」を思い出すことはありませんでした。
それを幸田文さんの随筆を読んで、まざまざと思い出しました。
で、それを怖いかと言われると、もうそうではないだろうと思います。
現代には、ものかげから人を怖がらせているだけの「なにか」より、
もっともっと怖いものがあります。
このところの事件を見聞きするにつけ「最も怖いのは人間」と思い知らされたりもします。
世界が煌々と照らし出され、明るくなればなるほど暗がりも濃くなるものです。
そこで生まれる真の闇は、それはそれは深い闇なのではないかと思います。
その闇は今、もしかしたら人々を捉えつつあるのかもしれません。
そんな世界では小さな子どもを怖がらせる「なにか」は生きていけないのかもしれません。
わたくしは、まだ世の中がそれほど明るくない時代に生まれた自分、
なんてことない暗がりに恐怖を感じていた自分をちょっとだけ喜んでみたりしています。
暗がりを怖がることができれば、真の闇に取り込まれることはないでしょう。
闇がじわりと近づく気配がしたら「きゃー」と言って逃げられる気がするのです。
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