息をするようにできていたことができなくなったら
数年前まで描けていたこのようなイラストもなんか描けなくなってて自分のなかの美しいものや
楽しいものが詰まっている引き出しがの在庫が少なくなってることを痛感しております。
自分的に「イラストを描く」のってなんか上機嫌だったり楽しかったりすることが前提のようです。
最近は「表現」が「書くこと」に収れんしているわたくしですが、
40年くらい前はどちらかというと「描くこと」のほうが得意でした。
当時の自分にとって「描くこと」は息をするようにできるものなので
白い紙があればテキトーに落書きし始めてそれがちゃんとした絵になるって感じです。
先日鳥取に帰ったとき当時の自分がパステルやリキテックスで描いてた絵を見つけまして、
「すげーうまいじゃん自分!」と思ってしまいました。が、今は全然まったく完璧に描けません。
押入れのなかにカランカランに乾いたアクリルガッシュやもったいなくて捨てられないロットリングセットが
いつか使われる日を待って静かに佇んでいます(ガッシュは使えないから捨てろ、自分)。
20年ほど前から、わたくしは絵よりも文章を書くのが得意になりました。
絵のときと同じで落書きをするように頭の中で文字をこねくり回している感じで
書くことにまったくストレスを感じません。
たとえば、ギターを弾く人はギターを持つとなんかしらんずっとメロディーを奏でていますよね。
テキトーなフレーズを弾いてるのかなと思うと急に歌いだしたりします。
自分の手にギターがある限り、彼らは弦をつま弾きなにかを奏でている、あんな感じです。
わたくしの頭のなかでは単語がくるくると踊り、それらが繋がったり離れたりしているのですが、
出だしの文章ができあがるとだいたい1時間で2000字くらい。でも完成品にはなりません。
一日寝かせ、翌日新しい頭で見直して一時間で2000字を1700~1500字に減らして完成です。
わたくしの上限は一日7000~5000字ですが、これは今年4月までやっていた仕事で知りました。
上限めいっぱい書き続けたその影響か、仕事が終わった5月以降、ほとんど文章が書けなくなりました。
頭の中で言葉が踊らなくなって、わたくしは少しだけ不安になりました。
このあと一生書けなくなるのでは?
そんなときFacebookで久松達央さんが新刊の校正について投稿しているのを見たのです。
なんと「12万字書いてる」そうではありませんか。じゅうにまんじ、じゅうにまんじ。すげー。
自分の本でも最高で10万字しか書けなかったのにじゅうにまんじってすげーすごすぎる!
なぜそんなに書けるのか。久松さんには書きたいことが12万字ぶんあったってことでしょう。
書きたいことがあれば、何十万字でも書けるのです。わたくしはヤなことに気づきました。
思えば「描く」ことができなくなったのは、その力を磨くことを怠ったことと
テキトーな絵を量産したせいで、自分の描くものに感動できなくなったからでした。
デザイン学校に行ってたころは「自分の絵を見た人にしあわせになってもらいたい」なんちて
思っていたはずなのに、自分すらしあわせになれない絵を描いてどうする。って感じです。
文章を書くのも、36歳のとき「自分の書くものが誰かの役に立つ」と気づいたからでした。
一般的には理解しづらい、例えば有機農業や農家のおもしろい取り組みや技術について、
平易な言葉でわかりやすく書くことが農業についての理解を深めることにつながるんじゃないかしらん、
なんつーのがそもそも真剣に文章を書き始めたきっかけだったのでした。
ここ数年、わたくしは有機農業だの食の安全・安心的話題に若干というかかなりガッカリし、
ライター仕事でリミッターが振り切れたことなども重なり、書くことの意味が見いだせなくなっていました。
コロナで取材に行けないのもおもしろい農家の人と出会えないのも影響しているかもしれません。
誰の役にも立たない文章を書いてどうする。って感じです。
んじゃ、どうするの。←今ココ
とりあえず11月から文章脳が少しずつ修復され、なんとなく書けるようになりました。
あとは農家とかメーカーの取材に行くだけです。紹介するメディアはないけどがんばります。
さらに一歩進んで、再度お絵かきしようとソフトをダウンロードし液晶タブレットを買いました。
しかし白い紙に落書きすらできず、お絵かき脳が失われているのは明らかなため、
錆びついている脳のドコカを修復する作業に取り掛かる必要があります。
当面は液晶タブレットで息をするように落書きできるようになりたいと思っています。
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