安心と安全の違いを考えてみた
O157で死者が出て以降生レバーは禁止になっているが、
安全じゃないと言われても気にしない人は食べている。
「安全と言われても安心できないもの」の逆のパターンだね。
(レバーが食べられないので当然写真もなく、牛肉の写真で代用)
『ほんとうにおいしいものはお店で買えない』にも書いたのだが、
某D社で商品情報誌を作っていたころ
わたくしは「安全」という言葉をなるべく使わないようにしていた。
何を根拠に「安全」と言うのか。
悪くすると揚げ足を取られて新聞沙汰になったりする。
「安全」とは非常に危険な、おいそれと使ってはいけない難しい言葉なのだ。
しかし昨今「食の安心・安全」とひとくくりにしてよく言われている。
んー。どういうことだろう。
安心と安全。何がどう違うのか、辞書で調べてみた。
あんぜん【安全】
身・(組織体)に危険を、物に損傷・損害をうける恐れがない状態(様子)。
あんしん【安心】
心配がなくなって気持ちが落ち着く様子
(とってもステキな『新明解国語辞典・第四版』より引用)
おお、なるほど。
安全とは「危険ではない状態」のことを言うらしい。
そして安心とは「心配のない状態」のことなのらしい。
つまり「安心・安全」とは「危険や心配のない状態」ということなのだね。
しかし、危険はないと言われても心配なことはたくさんあって、
そこがいろいろとめんどくさくてものごとを難しくする。
例えば、有機農産物を例に考えてみる。
「有機農産物は農薬が使える」に突っ込んでみよう。
→農薬を使っていて安全と言えるの? 残留農薬の可能性は?
→実は無農薬のほうが安全なのでは?
もしかしたら危険だから出荷の際には気をつけよう的なモロヘイヤのタネ。
花がつき始めるとリスクが高いのでお店にあまり出回らなくなる。
でも自分ちで作ってると右から3番めくらいまでは食べてる。老眼だし。
自分はなんともないけど人には薦められない。
慣行栽培の野菜はどうかな?
「慣行栽培の野菜はかなーり農薬をまいて栽培している」
→基準値以内かもしれないけど残留農薬の可能性があるよね?
→残留農薬がゼロじゃないのなら安全とは言えないのでは?
無農薬野菜だと突っ込みどころ満載である。
→無農薬って本当に無農薬? 誰が証明してくれるの?
タネは? 苗は? 隣接圃場からの農薬の飛散は?
(無農薬については、そもそも無農薬と表示して野菜を売ってはいけないので、
無農薬って言ってる時点でダメって気がするけどそれはまあいいか。)
ううううう、書いてて気が滅入るんですけど。
でも突っ込もうと思ったら悪意を持って突っ込むことだって可能だ。
「そういうこと言うなら自分で作れば?」と言いたくなるが、
こういうことを言う人はわりあいといるものだ。
残留農薬・食品添加物・遺伝子組み換え食品と、巷には「安全」かどうか
気になるものがたくさんあり、国の基準で大丈夫と言われても安心できない。
では「残留農薬基準値」はどのように設定されているのかな?
1.農作物への農薬の残留基準値の設定の基本的考え方
① 国際基準や提出された作物残留試験成績に基づき基準値案を作成し、
② 当該基準値案を採用した場合に予想される暴露量を試算し、これが食品健康影
響評価の結果設定された許容一日摂取量(ADI)等に基づく許容量を超えな
いことを確認して、当該基準値案を残留基準として設定している。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/01/dl/s0127-15s_0001.pdf
(農水省WEBサイトより)
基準値以内なら農薬の残留は全く問題ないということである。
では実際に残留農薬基準値違反はどれぐらいあるのかな?
観光園のさくらんぼって洗わずに食べるでしょう。
前日まで散布OKの農薬とかあるのになーとか思うと、
何まいてるか知ってる人のさくらんぼ園に行きたいと思うんですが、
皆さん気にしないんでしょうか。わたくしが偏ってるのでしょうか。
平成24年度の残留農薬の検査結果を探してみた。
抜き取りで基準値違反だったものは2検体(にら・レタス)だけである。
(別表4)農薬の残留状況調査における農産物別調査結果(平成24年度)
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouyaku/pdf/140716_1-05.pdf
どっちかというと適用外使用の方が多いのね。
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouyaku/pdf/140716_1-01.pdf
農家の皆さん、農薬の袋の裏はちゃんと見ないといけないんですよ。
データを見る限りでは、残留農薬はほとんどが基準値以内である。
「基準値以内だから全然大丈夫!」という人は気にならないが、
将来自分に何が起こるか心配だと考える人は基準値以内でも安心できない。
「市販の食べものは安全ですか?」と聞かれることがあるが、
加工品も青果物も食品衛生法や農薬取締法のいろいろな基準をクリアして
作られているから、わたくしは「安全です」と答える。
「身・(組織体)に危険を、物に損傷・損害をうける恐れ」のある食べもの、
つまり「危険な食べもの」とは、フグの卵巣とかベニテングダケとかの
毒性の高いもので、こういうものは規制されていることが多いから、
フツーに食べられるものは「安全な食べもの」と言っていい。
そう言われても「心配のない様子」になれない人は安心できない。
人それぞれにものさしがあり、100人いたら100通りあるのが「安心」。
他人があーだこーだと言っても理解できないし決して折り合えないのだった。
自分的には「安心」よりも重要な「おいしさ」というものさしがあり、、
できるだけ野菜は自分で作ります。自分で作ったものがおいしいのは、
収穫後すぐに食べられるという「鮮度」がかなり大きいのかもなーと
最近考えております。肥料も相当関係あるとは思うけど。
先日とある人が「安全を追求し過ぎると安心できなくなる」と言っていたが、
確かにその通りなのだった。これに解決策はあるのかな?
少なくとも「安全」の中にはなさそうだ。
ということで、わたくしは「安心して食べられる」という表現を使う。
某D社時代は「某D社の商品はあなたが安心できる材料を与えられますよ」
といったような意味で使っていた。
この場合、安心の判断を当人に委ねるのがミソである。
野菜・果物は栽培履歴を(当年度の履歴ね、もちろん)
加工品は原材料を調べてあり、それぞれ某D社の基準に照らし合わせて
基準に沿ったものを扱っているから「安心してね」ということだ。
消費者は某D社から「某D社の安心」を買っているとも言える。
市販のものより割高なのは「安心の対価」ということだろう。
ちなみにわたくしの「安心のものさし」は(偏っていると自覚しておりますが)、
「できるだけ知ってる人が作ったものを食べること」で、
行動の指針は「国産、フェアトレードのものを選ぶこと」である。
そしてこれを書いていて気づいたのだが、わたくしは
知らない人が作ったものは信頼できないと考えているようだ。というか、
どう作られたかよりも、作った人が信頼できるかどうかの方が大切なのだった。
わたくしの「安心」とは「信頼」のことである。
ひょっとしたら、皆そうかな。そうかもしれないね。
自分の監修しているポータルサイト「新鮮野菜.net」で、
自分が審査した農家のものを購入するという積極的支援をしております。
まじめでおいしいもの作ってる人と知りあえるのでとてもラッキーです。
昨今、巷にはさまざまな情報があふれており、
その都度これはほんとうかしらと右往左往してしまいがちだが、
自分なりの「安心の材料」を収集し、情報を吟味し取捨選択していれば、
いつの間にか「自分なりのものさし」ができてくるものだ。
自分で情報を収集して自分で判断するのはとても大変だけど。
自分が食べるものは自分が選択したもので、
未来の自分の原材料だから、自分のからだを管理する上でも
独自のものさしを持っていたほうがいい。
ものさしがゆるぎなくなれば、判断にブレがなくなり気持ちが安らかになる。
それこそが「心配がなくなって気持ちが落ち着く様子」なのだった。
一度そういうことを考えてみてもいいかもしれないね。
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