年末に考える「仕事」と「稼ぎ」の話
『モンサントの不自然な食べもの』DVD発売に合わせ、渋谷・UPLINKで
『いでんしくみかえさくもつのないせいかつ』の講演などさせていただいたです。
本の出版後、いろんなことが起きております。皆様のおかげです。
昔から農村には「仕事」と「稼ぎ」という2種類の仕事がある。
「仕事」は地域や自分の子どもや孫のために行うものであり、
「稼ぎ」は日々の暮らしのためにお金を稼ぐ仕事のことである。
「仕事」は地域の水管理や消防、自分の山の手入れなど
ボランティアで行うものだ。「仕事」をすることで、地域の環境や
コミュニティは健全に保たれ、現状のまま次世代に渡せる。
「稼ぎ」は自分の作った作物やその他のものを売り現金収入を得ることだ。
食べて生きていくために必要な仕事だ。
人々はこのふたつの仕事を意識せずに粛々と行っている。
どちらも必要なことだ。どちらかひとつが欠けると農村は立ちいかなくなる。
これは某D社の社長・藤田和芳さんが、何かの折にした話で、
この話を聞き、わたくしは自分のなすべきことを考え始めた。
都市生活者に「仕事」と「稼ぎ」の違いはピンとこない。
というより、だいたい「稼ぎ」が「仕事」である。
都市生活者に「仕事」というわかりやすいものは存在しない。
わたくしは当時某D社で産地周りという業務を担当していた。
農家と付き合っていると「仕事」と「稼ぎ」の違いはすんなり理解できる。
そして自分の仕事について考えた。わたくしの仕事はどうかな?
某D社で働くことは有機農業の畑を増やすことにつながり、
ひいては、地域の環境を保全したり、人々の健康にも貢献できたりする。
そのときは、某D社に入社して本当に良かったと思った。
わたくしの「稼ぎ」は間接的に「仕事」をも含んでいると考えたのだ。
しかしある時、若い農家がこう言った。
「某D社に出してる自分だけ儲かってもダメなんだよね」。
「某D社で売れるのはいいよ。しかし自分ちの作物だけ売れてもダメ。
地域全体ががんばれないと、自分の畑の横にパチンコ屋ができちゃう。
そうなると、農村が、農業自体が立ち行かなくなる。
地域の人が皆元気にならないとダメなんだよね」と。
某D社は閉じられた小さな世界である。
某D社のことだけ考えていて、それでほんとうにいいのかな?
わたくしの心に立った小さなさざなみはいつか大きな波になった。
某D社を辞め、地域活性のNPO法人に入社した。一年後、
補助金がないと立ちいかない地域活性もなんか違うと考えた。
わたくしの仕事はなんだろう? わたくしには何ができるのだろう?
2006年、産地周りから情報制作部署に異動になってすぐ、
お世話になった大好きなりんご農家がお亡くなりになった。
尊敬していたのに、すばらしい人だったのに、それを
消費者にじゅうぶんに伝えていなかった自分をものすごく後悔した。
たまたま情報制作部署に異動していたのは偶然ではないと思った。
わたくしにはそのとき、伝える媒体も手段もじゅうぶんにあった。
そして伝えた。某D社の農家のことを、食べものの作り手のことを。
メディアの複数形ミディアムには「媒体」という意味の他に、
「巫女・霊媒」という意味もある。
自分の仕事は「人に伝えること」だと、そのために自分があると直感した。
そして今もそう考える。わたくしは「媒介する者」である。
今年『いでんしくみかえさくもつのないせいかつ』を出版し、
ほんの少し、なすべき仕事ができたのかもしれないと思う。
そしてこの年末に、本を出版できたのもブログがここまで続いたのも、
わたくしと関わってくださっているすべての人々のおかげなのだろうと、
しみじみと考えているわたくし。
皆様に感謝です。
今年一年、このブログを訪問していただきありがとうございます。
来年もよろしくお願い致します。
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