悲しきモデルの有用性

今月初めにEconospeakでピーター・ドーマンが総供給=総需要(AS-AD)モデルの存在意義を問うエントリを上げたが*1、そのエントリが巻き起こした論争で、同モデル擁護の再右翼に立ったのがWCIブログのNick Roweだった。クルーグマンも(現下の状況で本来使うべきIS曲線+テイラー則+フィリップス曲線の組み合わせへの橋渡しという位置づけとして*2)AS-ADモデルを部分的に擁護したが、Roweはそのクルーグマンの擁護は不十分である、という不満を表明している。


Roweはさらに、AS-ADモデルの有用性を示す例として、コチャラコタ・ミネアポリス連銀総裁の最近の講演ã‚’別エントリで槍玉に挙げている。Roweによれば、同講演で提示されているモデルは以下のAS-AD枠組み*3で解釈できるという。

ここで総需要曲線(AD)は名目金利一定という仮定下で描かれている。名目金利一定でインフレ率が上昇すれば実質金利が低下して需要を増大させるので、インフレ率−生産平面で総需要曲線は右上がりとなる。


短期の総供給曲線(SRAS)は賃金の粘着性を仮定しているため、水平線となる。一方、長期の総供給曲線(LRAS)は賃金が完全に伸縮的であることを仮定しているため、垂直線となる。


総需要がADからAD1に減少した場合、賃金が粘着的ならば(=経済がSRAS曲線上ならば)、生産は低下し、雇用も低下する。しかし、賃金が完全に伸縮的ならば(=経済がLRAS曲線上ならば)、総需要の減少はインフレ率の上昇をもたらすことになる。コチャラコタは後者の結果は「反直観的」であり、さらなる研究が必要と述べている。それに対しRoweは、AS-AD枠組みに馴染んでいる人ならばすぐにその場合の均衡が不安定であることに気付くはず、と批判している。その上でRoweは、コチャラコタは3年前のフィッシャー式逆さ眼鏡の誤り*4と同様の誤りを犯しており、経済学入門を学ばずに経済学博士号を取得した人が経済政策に携わるとはあな恐ろしや、と嘆いている。


なお、コメント欄ではRoweのいわゆる均衡の安定性を巡って議論が交わされたが、そこであるコメンターが指摘したのは、均衡から外れた時に需給ギャップに基づいてインフレ率が変化する調整式がここでは暗黙裡に仮定されているのではないか、それを考えた場合、いったん均衡から外れた場合にインフレ率が発散してしまうことになるのではないか、という点である。同コメンターがRoweにそれが貴兄の念頭にある不安定性か、と問い質したところ、Roweは「Yes」と答えている。


この話を小生なりに解釈すると、次のようになる。総需要の低下が生じ、名目金利が(ゼロ下限など)何らかの理由で動かせない場合、経済が生産量を維持するためには、インフレ率が上昇して実質金利を下げるしかない。しかしながら実際には需給ギャップの拡大によりインフレ率は低下に向かう。Roweの指摘するコチャラコタの誤りは、経済がインフレ率上昇を欲する状況になることと、実際にインフレ率上昇が生じることを混同したことにあると言えるだろう*5。

*1:ドーマンのフォローエントリはこちら、こちら。

*2:IS-LMとAD-ASの関係については例えばこちらを参照。

*3:RoweはAS-ADモデルよりはAS-AD枠組みと呼ぶことを好んでいる。

*4:その時のRoweの批判エントリはこちら。

*5:cf. 経済が欲する期待インフレ率をもたらすために今デフレが生じている、というクルーグマン理論。