良い金融イノベーション、悪い金融イノベーション

フェリックス・サーモンが、サイモン・ジョンソン&ジェームズ・クワックのデモクラシー誌記事を受けて、良い金融イノベーションと悪い金融イノベーションについて書いている。俎上に乗せたのは以下の3つの金融イノベーションで、それらについてサーモンはジョンソン&クワックの論説に異を唱えている。

  1. 証券化
    • ジョンソン&クワックは以下の点で証券化を良いイノベーションと評している。
      • 貸し出しに利用できる資金プールを拡大した。
      • 1990年代末から2000年にかけての新商品が現れる前にも証券化という手法は存在したが、その時は今回のようなバブルとその崩壊を生み出すことはなかった。従って、証券化自体に問題があったわけではない。
    • それに対し、サーモンは以下の点で証券化を批判する。
      • 貸し手を借り手を良く見究める義務から解いてしまった
        (どうせ転売するので、その必要が無くなった)。
      • 債券の買い手は、実際の借り手の債務を分析できず、モデルでしか評価できない仕組み債を買うことに慣れてしまった。
      • しかし融資がうまくいくのは貸し手と借り手の関係が存在している時である。その関係を断ち切った証券化は、それ自体問題がある。
      • 貸し出しに向けられる資金プール拡大も、むしろ良くないことと言える。まさにそれが信用バブルを生み出したのである。負債の発行には株式の発行と同程度のハードルがあるべきだが、証券化はそれに逆行する。
         
  2. CDS
    • ジョンソン&クワックは以下の点でCDSを悪いイノベーションと評している。
      • 保険対象証券の債務不履行リスクを過小評価させ、CDS無しでは買わなかったであろう投資家を呼び込んだ。
      • その結果生じた損失は、CDS価格を過小評価した会社――AIGのような――が抱え込んだが、それは結局救済によって政府に移転した。このことは、価値破壊的な投資への資本の誤配分であった。
    • それに対し、サーモンは以下の点でCDSを擁護する。
      • CDS自体がリスクの過小評価をもたらしたわけではない。CDSはあくまでも信用リスクの尺度であったに過ぎない。
      • CDS市場の歴史を通じて、CDSのベーシスは概ねプラスだった。つまり、債務不履行を保証するコストは、該当債券のスプレッドを上回っていた。債券を買うと同時にCDSで保証することにより無リスクで収益を上げられる状態ではなかったわけだ。
      • 従って、もしCDS市場がリスクを過小評価していたというならば、債券市場はより一層過小評価していたことになる。
      • マイナスのベーシス取引が可能になったのは、信用市場が崩壊した後に過ぎない。従って、CDSのマイナスのベーシスが危機の原因だったと言うことはできない。
      • 後から見れば、AIGがリスクを過小評価していたのは確かだ。しかしそれはCDS市場の全般的な構造とは無関係。AIGの問題点は、ひたすらCDSを売る側に回り、一切買わなかったこと、および、そのポジションに本来必要な担保の差し出しを、自社のトリプルAの格付けを利用して逃れたことにある。
      • ジョンソン&クワックが提唱するCDSの標準化には賛成するが、それによってカスタマイズ化されたCDSより規制が容易になるかどうかは疑問*1。問題はカスタマイズ化にあったのではなく、移ろう市場の中でネットのポジションの手綱を引き締めることにあったので。今は市場が、CDSを手放し古き良き債券を選好することにより、自分でその方向に動いている。
         
  3. 金融教育
    • ジョンソン&クワックは以下のように金融教育のイノベーションを訴える。
      • 我々の規制制度は、消費者がより複雑化、多様化した金融商品に直面しても、適切な選択ができることを前提にしている。
      • しかし、今回の危機は、地方公共団体や年金基金のような大手の洗練されているはずの投資家でさえ、自らの購入した商品を良く理解していなかったことを明らかにした。
      • シラーの提案するような、政府補助による金融アドバイスは、解決に向けた出発点となろう。オバマ政権の提案する消費者金融保護庁(Consumer Financial Protection Agency)も、消費者の自らの金融の選択肢の理解を深めるのに役立とう。
    • それに対し、サーモンは疑問を唱える*2。
      • どんなに優れた金融教育を施しても、一般消費者が、地方公共団体や年金基金のような大手の洗練されているはずの投資家よりも金融を良く理解するようになることはあり得ない。
      • ブームの最中に間違った選択をした投資家は、金融教育が足りなかったのではなく、むしろ多すぎたのだ。その結果、彼らは自信過剰に陥った。
      • ロバート・シラーが一般大衆に、住宅の価値は住宅価格の派生商品を買うことによってプロテクトできる、と説く姿は決して見たくない*3。


ちなみに以前のエントリで、ロドリックの問いに答えてスティーブ・ワルドマンが良い金融イノベーションと悪い金融イノベーションについて書いたことに触れたが、ワルドマンはそこで、良い金融イノベーションを次のように定義している。

Good innovations:

  • Are transparent, investors can understand what they are investing in.
  • Are expressive, that is they increase the range of widely dispersed information that investors can impound into an investment decision.
  • Are compartmentalized, the parties upon whom the costs and benefits of the investment decision fall are well-defined, and these parties accept and are capable of bearing the risks they have chosen without external support.


(拙訳)
良い金融イノベーションとは:

  • 透明で、投資家が自分が何に投資しているか理解できること。
  • 開示的であること。つまり、投資家が意思決定に使えるような多様な情報の幅をさらに広げること。
  • 区分が明確であること。投資決定の費用と恩恵を蒙る主体が明確に定義されていて、かつ、その主体はそれに伴うリスクを外部の助けなしに引き受ける意志と能力を備えていること。

このワルドマンの定義に照らしてみると、確かに証券化は良い金融イノベーションとは言い難いように思われる。


また、ワルドマンは同じエントリで、悪い金融イノベーションの特徴として複雑さを挙げると同時に、「洗練された投資家(sophisticated investors)」について痛烈な皮肉を放っている。

Complexity is much more often a marker of snake-oil than of quality in a financial instrument. "Sophisticated" investors are almost always predators or fools. The real-world informational problems investors face — what is it that should be done? how ought our resources be deployed? — are challenging enough. Creating structures that cannot be understood except by applying complex models that may or may not adequately capture the behavior of the instrument is just idiocy, a mish-mash of quant hubris and pseudoscientific salesmanship.


(拙訳)
複雑さは、金融商品の質の証というよりは蝦蟇の油であることの証だ。「洗練された」投資家というのは、ほとんどの場合、略奪者か阿呆のどちらかだ。現実世界で投資家が直面する情報の問題――何がなされるべきか? どのように自分たちの資源を配分すべきか?――はそれ自体で十分に困難なものである。複雑なモデル、それも商品の特性を正しく捉えているかどうかも定かではないモデルを適用することなしに理解できない構造を創り出すことは、単なる愚行であり、クォンツの傲慢さと疑似科学の売り込みのごった煮である。

*1:cf. このエントリで紹介したスティーブ・ワルドマンの「構造的な透明性」。

*2:この点でサーモンの意見は野口悠紀雄氏に近い。cf. このエントリの脚注1。

*3:cf. この話。