■ 直伝の技
さぁ、最後の夜ですから、ごちそう作りましょうね。
と思ったが、私が甥っ子・姪っ子たちと遊びほうけているあいだに
お義姉さんが、ごちそうを手際よく作ってくれていたのでした。
ほうれん草とじゃがいものカレー、チキンの煮込み、サラダなど。
でも、主食のチャパティくらいは手伝わなくちゃネ。
生地はお義姉さんが何日分かまとめてこねてあるので、あとは
のばして焼くだけなのですが、これがまた…。
前にも書いたけど、全粒粉でこねた生地は、いったん伸ばしたら
伸びっぱなしなので、一回勝負。
まぁ、どうにかこうにか最後の日になって生地を均等の厚さに
のばせるようになった。
(お義姉さんみたいに手際よくないし、真ん丸でもないが)
お義姉さんいわく、
「ま、悪くはないわね。」と免許皆伝。
うほっ。ようやくヨメとして、チャパティの生地のばし(だけ)は
できるようになったか。
んで、あと2枚つくればフィニッシュ、というところでお義兄さんと
ツレアイがもどって来た。
ツレアイはキッチンをのぞいて、
「オマエ、ムズカシデショ」(字幕;お前には難しいだろ)
と言って、私からめん棒をとりあげた。
どうやら手伝いたいというか、やってみたいらしい。
ふん、「やれるもんならやってみぃ」という感じでやらせてみると、
ぷぷぷ。やっぱりツレアイも苦戦している。
なにやら、びろびろと変な形に広がりまくっている。
お義姉さんが、「それはちょっと…」と言いかけると、
「焼くのも自分でするっ」と言って、無理やりフライパンにのせた。
しかし、びろびろ~んと広がりきったチャパティは、フライパンから
はみ出ちゃいました。くくく。
しかも厚さが均等でないので、薄い部分はパリパリになって焦げたり、
厚い部分は生焼けで膨らんできたり。にゃははは。
そこへお義兄さんがキッチンに入ってきて、
「それはどこの国の地図だぁ?」とツッコミを入れてきた。
「だって、ウチのかーちゃん、めん棒とか使わんし」とツレアイ。
「んー?そうだっけ?」とトボケながら去っていくお義兄さん。
でもね、お義兄さん。私、見ましたよ。
お義兄さんもめん棒にチャレンジして変な形に広がったの。
(さりげなく、お義姉さんが直してましたが)
*その後、イースト・ロンドンのパキスタン・レストランで食事をしたのですが、どーもツレアイが"チャパティ"と言い張っているの(手で伸ばす厚めタイプ)は実は"ナン"で、お義姉さんが作っているの(めん棒で伸ばす薄いタイプ)が"正統派チャパティ"なのではないか?という疑惑が浮上。
しかし、店によっては分厚いチャパティなどもあるみたいなので、"ナン"と"チャパティ"の定義というのも家ごとにマチマチみたいです。
■ 祭りのあと
ロンドン行きのバスは夜の10時50分出発だった。
バス・ターミナルはお義兄さんのウチから車で1時間くらい。
楽しい夕食が終わると、もう出なければいけない時間がせまってきた。
「忘れ物はない?」とお義姉さん。
あぁ、私自身を忘れモンにしたいくらい、名残惜しいよ。
「みんなでオデカケするんだ」
と思ってワクワクしながら準備する甥っ子と姪っ子。
もう、コイツら連れて帰っちゃろうっと。
ターミナルに向かう車の中では、甥っ子がウロチョロして
あぶなっかしかった。
どうやら、いつも自分が座っている助手席に、おじちゃんが
座っているのがお気に召さないらしい。しかもウルサイ。
運転席のパパの隣は自分のモンだと言い張っているらしい。
そんな中でも姪っ子はおとなし~くしている。
っていうか、もう眠いのね。
私のヒザにちょこんと座ってじっとしている。
とてもイイ子にしているので、おばちゃんは昔話をしてあげた。
もちろん日本語で、日本の昔話を。
「むかーしむかし、あるところに、おじーさんと…」と桃太郎。
「カニのおかーさんが…」とサルカニ合戦。
「おさんというキツネが…」とおさんぎつね。
姪っ子は、おばちゃんが繰り広げる、このわけのわからん言語に
じっと聞き入っていた。(単に眠かっただけなのかも)
この子が大きくなって、どこかで日本語のフレーズを耳にした時、
「あ、これどっかで聞いたことがある」と思い出してくれたら
日本人のおばちゃんとしてはウレシイなと。
などと、『日本語刷り込み大作戦』を展開していたが、車は
ついにバス・ターミナルに到着してしまった。
とうとうお別れの時間。
またフランスに来れば会えるんだけれども、やっぱりお別れ
というのはサミシイもんですねぇ。
子どものころ、田舎のおばーちゃんちに遊びに行って、広島に
帰る日とかもこんな感じだったなぁ。
バスまでお見送りしてもらったら、子どもたちが泣き出すかも
しれないので、お義兄さんたちに先に行ってもらうことにした。
じゃ、こっちがお義兄さんたちの車を"お見送り"するのね。
うわぁ~ん、こっちが泣いちゃいそう。
それまで私のヒザの上でおとなしくしていた姪っ子が、
「じゃんなぁ~」と私に言ってきた。
(これはウルドゥーの幼児語で"一緒に行く"とか"連れてって"
という意味です。)
うおぉ~ん。ホンマに連れて帰りたいぃ。
でもホンマに連れてったら、お前、泣くだろ。
一旦、車から降りて、姪っ子をだっこ。
急におとなしくなった甥っ子もだっこ。むぎゅ~。
(その間にお義兄さんとツレアイが荷物をおろしていた)
そして、また姪っ子をだっこ。
「またくるからね。おとーさん、おかーさんのゆーことを
よーきいて、エェ子にしとるんよ。」
と姪っ子の耳元で囁いて、お義姉さんに渡した。
そしてお義兄さんの車が行くのをツレアイと見送った。
きっと、また来るからね。
それまで、さようなら。さようなら。さようなら。
◆◆ あとがき ◆◆
この翌朝、バスでロンドンに着き、2日間イギリスで過ごした後、関西空港経由でソウルに戻りました。
フランスからロンドンに向かう途中、真夜中にバスからたたき出されてフランスの出国審査を受けたり、イギリスの入国審査では、私たちの前の席にいたロシア人カップルがビザの不備か何か(まさか亡命?)で白いバンに乗せられて"ドナドナ状態"になったり、それを見ていたナナメ横のフランス人のねーちゃん2人が手をたたいて喜んだり(やっぱりフランス人って性格悪いね)、そんなこんなで早朝、ヘロヘロの状態でロンドンに着いたのですが、ふと横を見ると他の路線のバスから降りたアフリカ系のおかーちゃんが5才くらいの男の子を連れて尚かつ巨大な荷物を持って、堂々と歩いてるのを見て、「人類で一番強いのは"おかーちゃん"だなぁ」と思ったりとか、その後も色々あったのですが、まぁ、このシリーズもこれで終りにします。
この旅行はもう4ヶ月も前のコトなんですねぇ。
ツレアイはその後も1ヶ月に1、2回、お義兄さんに電話しているのですが、「夏休みもフランスに来い」と言ってくれてるそうです。
行きたいけど………、今回はマジにお金がないので無理です。
前回の旅行は、お義兄さんと円高のおかげで、2人で22万円弱(カード支払い等すべて含む。それにしても、何も計画してなかった割には安くあげたな。)だったのですが、今、円は安いわ、ユーロは高いわで、こんなんでまた旅行を強行したら破産してしまいます。
頑張ってお金ためて来年あたりにまた行きます。
あ、あと子供はイギリスで産むという私の"野望"もありますし、いつかまたヨーロッパ珍道中をお送りできると思います。
それでは、次回からは話を韓国にもどしてお伝えします。
ごきげんよう。