若林正恭とは、ケイダッシュステージ所属のお笑いコンビ「オードリー」のツッコミを担当するお笑い芸人である。
1978年9月20日生まれ、東京都中央区築地出身。
中央区立明石小学校、日本大学第二中学校・高等学校、東洋大学卒業。
大学卒業後、日大二中からの友達であった春日俊彰と2000年4月に「ナイスミドル」を結成。
2005年4月、コンビ揃って事務所の社長に寿司を驕ってもらった際、話の流れでコンビ名を「オードリー」に改名。
テレビでは基本的にスーツ姿が多いが、本人はネクタイを締めるのが苦手らしい。
非常に童顔なため、実年齢より若く見られ、顔をひよこやコアラなどと例えられることがある。
築地出身と公言しているが、生家は築地の隣の明石町(広義に築地に含まれる場合がある)にある。明石町の生家は地上げに遭い、小学校6年生のときに杉並区久我山へ転居した。現在も実家は久我山にある。
小学校6年生の1年間は越境通学であり、この時期に電車通勤のサラリーマンに魅力を感じず、芸人を志すようになる。
ツッコミ担当。立ち位置は舞台に向かって左側。春日の突拍子もないボケや駄目ツッコミに対し、テンポ良くツッコミ返したりあしらったりする。以下はネタにおいてのツッコミの通例である。
ネタ作りは若林がしている。自分達の漫才を「ズレ漫才」と称しており、これは若林が命名したものである。
元はボケ担当であったが、『エンタの神様』(日本テレビ系列)の若手オーディションにて彼らのネタを見た構成作家に「春日のツッコミはポンコツで全く伸び代がない」と言われ、ボケとツッコミを入れ替えた。
長い下積み時代を経て、2008年『M-1グランプリ』(テレビ朝日系列)に出場。予選で敗退するも、敗者復活戦から決勝進出。ネタ中に春日が噛んでしまうがそれすら笑いになってしまうほどの勢いで更に最終決戦進出。結果は準優勝であり、優勝こそ逃したものの、これをキッカケに大ブレイクを果たした。
ちなみにこの年、若林は『R-1グランプリ』にも出場しており、準決勝にまで進出している。ネタの内容は、野球のスイングを東京近郊の鉄道路線で説明するというものだった。
ネタやコンビとしての詳細については「オードリー」の大百科を参照。
オードリーがブレイクした直後は相方・春日の風貌やキャラクターが濃いこと、また若林自身が人見知りであったことから、コンビ格差としてよくある「地味な方」「(オードリー)じゃない方芸人」などというイメージを付けられていた。しかしながら『GyaOジョッキー』『そらを見なきゃ困るよ!』『告っちゃ!』などに出演していた時から、若林のツッコミやトーク力には共演者やスタッフから一定の評判があった。
そして2009年、『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にてその本性が露になる。(後述)
そして舞台や映画の出演からコラムの掲載など幅広く活躍の場を広げ、着実に評価を得ていく。その結果、ニホンモニターが毎年調査を行っている『タレント番組出演本数ランキング』において、2013年には遂に春日を上回る504番組に出演、年間ランキングで4位という結果を残している(この年の春日は487番組で5位)。現在ではコンビ及びピンとしてのレギュラーも大幅に増え、MCを務める番組を複数持つまでに評価されている。
ちなみに大喜利が得意であり、大喜利の番組やイベントにおいて、
などの好成績を残している。
2009年、『フレッシュプリキュア!』(ABC・テレビ朝日系列)第27話『夏だ!祭りだ!オードリー!』にオードリー本人役として春日と出演。その時は演技経験もなかったことから棒読みであったが、しかしブレイク後からドラマに出演したり、春日に対してのドッキリ企画などにおいてもキレたり困ったりする演技が妙にリアルであり、『1億3千万人のエピソードバラエティー コレってアリですか?』(日本テレビ系列)内の再現ドラマにおいても「モンスターヒラタ」という怪役を見事に演じ切ったりと、その演技力に注目が集まるようになる。
2011年、『芸人交換日記~イエローハーツの物語~』にて舞台初主演を飾り、2013年には『ひまわりと子犬の7日間』で映画初出演。その功績により、第37回日本アカデミー賞話題賞を受賞した。
2014年6月より、三菱電機の家庭家電事業CMシリーズ「ニクイねぇ!」にて、杏、戸田恵子らと共演している。当初は若林のみだったが、後に業務用空調事業のCMに春日も出演している(若林・杏・戸田が家族という設定に対し、このシリーズは春日がある企業の経営者に扮した内容)。
2009年から始まり現在も続いているオードリーの冠(ラジオ)番組。毎週土曜日25:00~27:00放送中。
当初、コンビとしては日陰者扱いであった若林が、本性を曝け出すキッカケとなった番組である。
基本的に春日をボロクソに貶すことが多々あり(時折真面目にべた褒めしたりもする)、リスナーにすら暴言を吐くことがある。「リスナーは馬鹿ばかり」「春日のファンにはブスなババアしかいない」などの暴言を意気揚々と吐くことから、リスナーから一時期「悪童」や「黒林」と呼ばれたりするほど現在でも毒舌キャラが定着している。ただし本人はこのラジオのヘビーリスナーこそオードリーの真のファンであると言い、街中で声を掛けられた際に「ラジオ聞いてます」と言われると気さくに接するらしい。
上記のようなキャラという名の本性は、ブレイクしてからも地上波ではあまり出さないようにしていた。そんな折、他事務所の先輩芸人である有吉弘行が、若林がマネージャーと話す際の話し方や身振り手振りを見て「矢沢永吉のように見えた」と語り、またある日の『オードリーオールナイトニッポン』を聞いた有吉は、ラジオの時の若林が地上波とキャラが違うことを知り「テレビでもラジオの時みたいに永ちゃんの感じを出せばいいじゃん」と若林をイジるようになった。そのようなイジりが多くなった所為かお陰か、現在は地上波においても本性が度々発露している。
春日に対し、「俺は16歳で童貞を喪失した」と嘘をついていた。しかし、2010年8月5日放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』にオードリーがゲスト出演した際、とある話題の流れから童貞喪失の時期を詐称していたことが発覚。その理由は「コンビ間のパワーバランスを保つため、また男として春日より優位に立ちたかった」とのことであり、 自身の実際の童貞喪失年齢は19歳の時であることを告白した。
その2日後、2010年8月7日放送の『オードリーのオールナイトニッポン』においてこの話題が掘り返されたが、若林は自身の詐称の非を認めず、 「(日大二高時代の)アメフトチームを引っ張るための嘘」「ネタを書いている方が相方よりも早く童貞を捨てている」などのよく分からない持論を展開し開き直りを見せた。
下積み時代は勿論定職に就かず芸人を続けていた若林だが、それに業を煮やした若林の父親が、芸人を辞めて定職に就くか家を出て芸人を続けるかを若林に迫った。その際父親は司法書士に念書の作成まで依頼するほどであり、話し合いの末に芸人を続けることを選んだ若林は家を出て行き、その後長きに渡って親子は絶縁状態となった。
そして2008年末、オードリーが大ブレイクを果たした『M-1グランプリ』を若林の父親が見ていたところ、この年のオードリーのエントリーナンバーが「4431」だったのだが、その数字に「俺のためにその番号を選んだのか」と感動したという。その理由は、若林の父親は昔から熱狂的な阪神タイガースのファンであり、ランディ・バースの背番号「44」と掛布雅之の背番号「31」を合わせた「4431」という4桁の数字を、自転車の鍵や行きつけのジムのロッカーの鍵の番号として使うほど思い入れのある番号だった。M-1のエントリーナンバーは単純にエントリー順に振られた番号のためこれはたまたまなのだが、しかしながらこの勘違いとオードリーのM-1からのブレイクがきっかけとなり、若林は父親との長きに渡る絶縁関係を解消。年明けの2009年の正月に久々に実家に帰り、和解した父親と長い会話を交わしたという。
ちなみにこのエピソードを若林がテレビスタッフに話したところ評判が良かったため様々な番組で話すようになったのだが、それが仇となり父親の自転車が盗難に遭ってしまい、父親から「二度と話さないでくれ」と言われたという。その後、父親は肺がんを患い2016年に亡くなったが、この時春日から「残念なことでございやしたね。ご臨の終でしたね」というLINEを送られ、更に葬式にも行かず周囲に言い触らすだけという態度に対して半ば不満を顕にした(春日は「こういう悲しい時、どう言えば分からないじゃん」とのことだが、若林は「ござい“や”したね、じゃ通常運行」という見解)。
なお、若林自身も阪神ファン(ただし小6の時暗黒に嫌気が差して近鉄バファローズファンに転向するも、初めて見に行った近鉄戦が日本ハムファイターズ・柴田保光のノーヒットノーランの試合だったことから心が折れて復帰)であり、度々阪神戦を見に行っている。最近では高校野球も見るようになり、スケジュールの合間を縫い甲子園球場に足を運んでいる。
元々ラグビーやアメフトに興味はなかったが、NFL好きの父親の影響で中学の頃より興味を持つようになった。中学ではラグビー部に所属しポジションはスクラムハーフであったが、バックス(後方に位置する選手)にオール東京のプレイヤーが揃っており、「蹴るな走るな」と言われひたすらパスを回すくらいの選手だったという。
高校時代は春日と共にアメフト部に所属。ポジションはランニングバック。背番号は44。オフェンスチームのキャプテンであり、東京都でベスト4になった時のレギュラーメンバーであった。当時70ヤードを独走してタッチダウンしたことがあり、本人曰く「ディフェンスが全員でブリッツして入って来たため、ピッチが空いた所を突いて独走した」とのこと。
真面目且つ勤勉であった春日とは対照的に「ズボンをずらして履く(いわゆる腰パン)ようなグループ」に所属していたという。また、前述のように子供の頃から芸人を志しており、授業中の合間もネタを書いていたため成績はあまり良くなかった。ちなみに小柄な体型から、日大二高の教員からは子供を意味するジャリと呼ばれていた。
童顔のせいなのか、中学生の時に荻窪駅前でおかまの集団に拉致されそうになったことがある。
高校卒業後は進学するつもりはなく、春日と共にお笑いの養成所に入ろうと考えていた。だが春日が、「大学に行きたい」と言ったため、本人も慌てて東洋大学第二部文学部に進学した。
中学3年生の時に付き合っていた女の子がいたが、若林とその子の母親同士が既に仲良しだったためにうまくいかなかったという。
2004年、芸人として中々売れない自身を支えてくれていた彼女に振られ失恋。振られた直後、あまりのショックから過呼吸に陥ってしまい、苦しい状態の中で携帯電話で春日に助けを求めた。話を聞いた春日は「それは恐らく過呼吸だな」とすぐに判断し、続けて「ビニール袋に口を当てて呼吸するといい」と対処法を教えた。それを聞いた若林は近くのコンビニに駆け込み、缶コーヒー1本をレジに差し出した。店員に「袋はいりますか?」と聞かれたが「そっちの方が重要なんです!」と言い放ち店を出て、春日に言われた通りのことを実行したところ見事に症状が治まった。春日が過呼吸の対処法を知っていた理由は、医療漫画『スーパードクターK』を読んで覚えていたからであった。
23~24歳の頃、当時勤めていたバイト先に頬骨が特徴的な女性が居り、その女性はそれをネタに自虐したり携帯のアドレスに「hoobone」と入れたりしていた。それを見た若林は「じゃあ(頬骨は)ギャグにしていいんだ」と思い、ある日のバイトの休憩中、話の流れでその女性に「その頬骨、鉋で削ろうか?」とイジったところ泣かれてしまったという。
また、別の女性にシフトの確認のために電話をした際、話している途中に徐に電話を切る所謂「ガチャ切り」をしたくなりそのまま実行。そのノリが伝わるような間柄でもなかったため、相手女性はそのショックでバイト先で泣いてしまい、次の日若林がバイトに行ったところ女性店長にブチギレられたという。当時若林は友人間でもノリでガチャ切りをしていたこともあってか、この時ガチャ切りをすることの何がいけないことなのか分からなかったという。
ちなみに現在でもラジオ中に話の流れやノリで誰かに電話をかけた際、最後はガチャ切りで終話する(ショーパブ芸人・バーモント秀樹(バー秀)に対しての例:呼出→バー秀「大ドカンアーイ!」→ガチャ切り)。
以前女性と花火をした時、ふざけることもなくただただ慎ましやかに花火をするその空間が自身には合わず、その女性に対し「すげー煙浴びてんじゃん」と言いたくて仕方がなかったという。
また、ある日鎌倉の水族館にデートに行ったのだが、その感想として「裏面に顔が付いてるエイがフワーッと泳いでて、それを真面目な顔して見上げている女性に対し笑いが抑えられなかった」と語り、この話を聞いたバカリズムは「彼女もエイも一括りにして”俺以外の鎌倉”として滑ってるようにしてるからダメなんだ」と、若林の歪んだ精神面を論評した。
結婚願望は少なからずあったが、上記のような精神・感情から自分は絶対に結婚出来ないと思っており、そもそも同居自体に嫌悪感があるので、理想として「(マンションなどの)同じフロアで別々の部屋に住みたい」と語っている。
2018年、女優の南沢奈央との熱愛が報じられ認めるも年内に破局。その後2019年11月に結婚をサプライズ発表した。お相手はこの年3月に出会った15歳年下の看護師の女性。この年4月に10年の愛を実らせて「クミさん」と結婚した春日とは対照的なスピード婚だった。その後2022年2月、この年に長女が誕生していたことを明かした。
歌が下手。度が付くほどの音痴であり、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系列)の企画『お笑い芸人歌がへたな王座決定戦』においてその歌声を披露したところ、共演者や審査員からボロクソに言われ以降その企画の常連となる。
歌う際は直立不動。とにかく音域が狭く、抑揚もない一定の調子で歌い上げる(心電図でいう心肺停止の状態)。練習はしてきているようだが音程はほぼ一切合ってなくリズム感もない。が、本人は「ゲームのように音符が来たら狙い撃ちして歌っている(太鼓の達人のような感じ)ので、音符の場所(?)は合っている」と豪語する。また、音(楽器)が少ない曲の場合のリズムの壊滅っぷりは顕著であり、それでも本人は「参加者(演奏者)が少ないから音符が来るのが遅い」「ここが料金所なら渋滞してしまう、なので先に行く」という謎理論で自身の歌唱力を肯定した。
そんな本人だが、言われるほど酷くはないだろうと自宅で放送を見たところ膝から崩れ落ちそうになったらしい。
Youtubeやニコニコ動画で検索をかければ、もしかすると彼の素晴らしい歌声が聴けるかもしれない。
ただ、趣味で聞いていたラップに関しては得意で、本人もヒップホップアーティストとの交友がある。
飲食店や映画館、たこ焼き屋などでアルバイトをしていた経験がある。飲食店で働いていた頃、当初はホールを担当していたが店長に「お前がホールをやるとオーダーが減る」と言われキッチンへ左遷させられる。しかしそのキッチンでも「お前がキッチンにいると空気が重くなる」と言われ、店の外で畳一畳分の木箱の中で弁当を売る仕事に回された。しかしそれが目を引き、「木箱のお弁当屋さん」として情報番組に取り上げられたことがある。
映画館で働いていた頃、上映前に「ブランケットの貸し出しをしていますので、御用の方はカウンターまでお越し下さい」という案内をする規則があり、普通に案内をしたところお客さんと話をしていた支配人が若林に近寄ってきて「若林君、ブランケットを案内する時に何か言った?お客さんからクレームだよ、ブランケットを説明していた店員が、客をバカにしていると言ってる」と注意されたことがある。
たこ焼き屋で働いていた頃、ある日店長に「若林君、今度の休日出てくれない?どうせ何も予定ないでしょ」と言われ、その発言に腹を立てた若林は「俺のこと何も知らないくせに勝手に決めないでくださいよ」と言い放ち、制服を脱ぎ捨てそのままバイトを辞めたことがある。後にラジオで春日にその話をしたところ、「ダッセェ」と感想を述べられた。
上記のように、若林自身にはそんなつもりは微塵もないのに周囲をイラつかせたりやる気がないと捉えられることが多々あり、何も言ってないのに「バカにするな」「つまんないなら帰れ」と様々な人からキレられたことがある。
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最終更新:2025/01/10(金) 07:00
最終更新:2025/01/10(金) 07:00
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