1974年5月31日、広島県に生まれる。
「弘行」はひろいきと読み、ひろゆきではない(父親が出生届を記入・提出する際に酔っ払っていたためと説明されている。ただし当の父親はひろゆきと呼んでいるらしい)。
お笑いコンビ「猿岩石」を経てピン芸人に転じ、現在では毒舌トークで名を知られる人気芸人である。
また、モノマネも得意であり、主に哀川翔や竹内力などのモノマネもする。
猿岩石時代よりも積極性溢れる体当たりぶりが功を奏し、内外から評価が高い。また、電波少年の過酷かつほとんどの企画が若手芸人の使い捨てに近かった中から芸人として再ブレイクまで果たした数少ない芸人ともいえる。
高校卒業後、1993年に『EXテレビ』(読売テレビ)の企画として行われた「公開弟子審査会」に応募し合格。オール巨人の弟子となる。しかし、半年ほどで兄弟弟子と喧嘩をし相手に怪我を負わせたためオール巨人から謹慎を言い渡され、その最中に師匠に無断で上京する。
1994年に森脇和成と猿岩石を結成。当時はボケを担当していた。
しかし全く売れずに2年ほど過ごす。
彼の最初の転機となったのは、1996年に何の企画か全く説明されず受けた『進め!電波少年』(日本テレビ)のオーディションに合格し、香港からイギリスまでヒッチハイクする「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」に挑戦したことである。
全く売れていない新人芸人だったので、長期間スケジュールを抑える必要のあるこの企画に抜擢された。
この企画が大ヒットし、デビュー2年目にして大ブレイク。
企画終了直後に西武球場(現:西武ドーム)で凱旋ライブが行われ、超満員のファンが彼らを迎えることとなった。
この人気に乗じて、歌手としてシングル「白い雲のように」をリリースしたところミリオンセラーを記録する大ヒットとなる。
猿岩石はアイドル的人気を誇った。
しかし、自分の技量ではなく番組企画で売れたが故に実力が伴っていなかったことや「天狗」になってしまい番組スタッフに好かれなかったことが仇となり、1~2年で一気に人気が低迷。一時期は一発屋扱いをされ、まさに白い雲のように一度消えてしまった。
2004年に猿岩石は解散し、以降はピン芸人として活動する。
この頃にピンで出演するようになった『内村プロデュース』(テレビ朝日)では、レギュラー陣が口に飲み物を含んだ芸人を笑わせる企画で登場。すぐ笑ってしまう芸人を尻目に、彼だけは懸命にこらえるその姿が、視聴者にインパクトを与えた。その後も数々の企画に参加。また、劇団四季のミュージカル「CATS」風に、猫メイクを施したキャラクター「猫男爵」に扮して登場したこともある(概要内の画像参照)。有吉の名前ではなく猫男爵として扱われた回がある。有吉を代表する持ちネタの一つ。
ピン芸人として再び注目された後、チャンスが巡ってくる。
2007年、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』(テレビ朝日)で、品川祐(品川庄司)に「おしゃべりクソ野郎」と命名。これがウケて「毒舌芸人」として再ブレイク。テレビ出演が増加し、『マツコ&有吉の怒り新党』『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)、『有吉反省会』『有吉ゼミ』(日本テレビ)、『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBSテレビ)、『有吉くんの正直さんぽ』(フジテレビ)、『有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?』(テレビ東京)など数多くの司会番組を抱える人気芸人に返り咲いた。
2019年4月より『有吉のお金発見 突撃! カネオくん』(NHK)がレギュラー放送に格上げされたことにより、NHKと民放キー局のすべてに自身の名前のついた冠番組を持つという快挙を果たした[1]。
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最終更新:2024/12/23(月) 20:00
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