徳田毅とは、日本の政治家である。元衆議院議員(鹿児島2区選出、当選3回)。無所属(元自民党)。
日本における二大病院グループの一つ「徳洲会グループ」の創設者であり、衆議院議員を4期務めた医師・徳田虎雄の次男。虎雄の弟や子供たちは大半が医師の道に進んだが、毅は医学部に進学せず、政治家としての父・虎雄に秘書として仕え、虎雄の引退後にその政治的地盤を引き継いだ。
虎雄は選挙区事情や日本医師会との対立から保守系独立勢力としての活動を余儀なくされたが、毅は初当選後の2006年に自民党へ入党。以後は虎雄が築いた強固な地盤と徳洲会グループの資金力・集票力、加えて自民党鹿児島県連の組織力を背景に選挙で圧勝を重ね、順風満帆な政治家人生を歩むものと思われていた。
ところが2012年頃に表面化した徳洲会グループの内部抗争をきっかけに、過去の泥酔姦事件や徳洲会グループぐるみでの大規模な選挙違反疑惑などの不祥事が次々に浮上。翌2013年11月に自民党からの離党を余儀なくされると、2014年2月には遂に議員辞職へと追い込まれた。
1971年5月30日、徳田虎雄の次男として大阪府八尾市に生まれる。小学校までは徳洲会の活動拠点である大阪で過ごしたが、虎雄が生まれ故郷の徳之島を含む奄美群島からの政界進出を目指すようになると毅も転居。奄美大島の公立中学校を経て鹿児島市内にある私立鹿児島高校へと進学した。
この間虎雄は衆院奄美群島選挙区(定数1)で自民党現職の保岡興治と激戦を繰り広げ(保徳戦争)、両陣営は候補者の尾行や選挙事務所への見張り小屋設置、中傷、脅迫、買収などありとあらゆる選挙違反に手を染めていった。奄美は日本一汚い選挙区と揶揄され、島民の間にも深刻な亀裂をもたらすことになった[1]。
1990年2月の総選挙で虎雄は遂に保岡を破り、悲願の初当選を果たす。一方同年3月に高校を卒業した毅は受験に失敗、父とは逆に浪人生活へと突入した。二浪で大阪大学医学部に合格した虎雄を始め、徳田家では多浪して医学部に進む人間が多かったが、毅はその道を選ばず、翌年帝京大学法学部に入学した。
虎雄は1993年の総選挙で再選を果たすと、翌1994年には保守系新党「自由連合」を結成。小政党ながら自民党と統一会派を組み、村山改造内閣で沖縄開発政務次官に起用されるなど、政界で確実な地歩を築いていった。毅は結局大学を中退し、1995年から父の選挙事務所で秘書として働き始めた。
小選挙区制導入により鹿児島2区に転じた虎雄は、1996年の総選挙で自民党の園田修光に敗れ落選。続く2000年・2003年の総選挙では園田を相手に連勝を収めたが、自らが代表を務める自由連合は泡沫政党に転落し、政界への影響力も次第に失われていった。
更に2002年に進行性の難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、4選後の2004年頃にはもはや国会への登院すら出来なくなるほど健康状態が悪化していた。こうした状況を受け、2005年8月の衆議院解散を機に虎雄は政界引退を表明。毅が後継者として翌月の総選挙に出馬する運びとなった。
毅は自由連合公認ではなく無所属での出馬を選択、さらに自民公認の園田に対抗するため民主党の推薦を得て選挙に臨んだ。あいにく選挙では民主党に逆風が吹き、前回総選挙での虎雄の得票より1万票ほど票が目減りしてしまったものの、無所属で強行出馬した自民党県議の打越明司が園田と自民票を喰い合って共倒れを起こしたため、漁夫の利を得る形で初当選を飾った。
なお初当選前の2003年5月に徳洲会グループのケアハウスで働いていた女性と結婚。結婚式では亀井静香が媒酌人を務め、野中広務や石原慎太郎などの大物政治家も列席した。その一方で結婚直後の2004年2月には、泥酔した未成年の女性をホテルに連れ込み、無理やりセックスに及ぶという事件を起こしている(後述)。
初当選後、虎雄に代わって自由連合代表に就任。その後は次第に自民党への接近姿勢を強め、2006年9月の首班指名選挙で自民党の安倍晋三総裁に投票したほか、補欠選挙や地方選挙でも自民系候補の支援に努めた。そして同年11月には代表職を虎雄に返上した上で自由連合を離党、自民党への入党願を提出するに至る。
同月に執行された沖縄県知事選では右派統一候補の仲井真弘多と左派統一候補の糸数慶子が激しく競り合っており、自由連合沖縄は糸数に推薦を出していた。ところが毅は仲井真支持を明言し、沖縄に十数の医療施設を抱える徳洲会グループの関連票は仲井真に流れた。投票の結果、仲井真が糸数を抑えて当選を果たした。
この功績が高く評価され、翌12月20日付で毅の自民党入党が認められた。ライバルだった園田は鹿児島2区からの出馬を諦めて毅の応援に回り、もう一人のライバルである打越は民主党に移籍して毅と対決する道を選んだ。こうして毅は父が遂に手に入れられなかった右派統一候補としての地位を獲得した。ちなみに一応2005年初当選組ということで小泉チルドレンらが結成したグループ「83会」にも加入している。
なお秘書時代の2005年4月から帝京大学法学部に再入学していたが、自民党入党後の2007年3月に再び退学。結局最終学歴は帝京大学法学部中退に収まった。
虎雄が築いた強固な地盤に加えて保守王国・鹿児島の自民票を手に入れた毅にもはや敵はなかった。自民党に強烈な逆風が吹いた2009年の総選挙でさえ民主公認の打越を大差で破り、順風下で迎えた2012年の総選挙では打越にダブルスコアを付けて完勝。その強さは安倍首相から「自民党のホープ。日本のホープ。とにかく選挙に強い」と激賞を受け、岸田文雄外相をして「集金力も集票力も私よりずっと上だ」と脱帽させるほどだった[2]。
だが毅の快進撃を支えてきた徳洲会グループでは深刻な内部対立が生じつつあった。病状の悪化に伴い虎雄の統率力が衰える中、長年に渡り病院経営と政党運営の両面で虎雄を支え続けた腹心の部下・能宗克行専務理事と、虎雄の妻である秀子副理事長ら徳田ファミリーがグループ運営の主導権を巡って対立するようになったのである。
2012年9月、秀子副理事長らは「グループを不正に私物化した」として能宗を解雇。対する能宗は83ページに渡る聴聞回答書を作成し、その中で徳洲会グループ・自由連合による裏金作りや暴力団との癒着、組織的な選挙違反の実態、そして後述する毅による泥酔姦事件とその後処理の内容などを赤裸々に綴った[3][4]。この文書がマスコミや捜査機関にリークされたことにより、徳洲会グループと毅は深刻なダメージを被ることになる。
2013年に入ると複数のスキャンダルが毅を襲った。このうち特に深刻な打撃を与えたのは泥酔姦事件と組織的選挙違反の2つであり、これらはいずれも能宗文書のリークによって発覚したものであった。
なおこの2件以外にも迂回献金疑惑[9]や政治資金収支報告書への記載漏れ[10]などが指摘されている。
また徳洲会グループと毅を巡る不祥事の掘り起こしが進められた結果、猪瀬直樹東京都知事に対する贈収賄疑惑という思わぬ副産物も発見され、猪瀬は毅よりも先に辞任に追い込まれることになった。
選挙違反事件に対する捜査はその後も進み、公選法違反容疑で毅の母と姉2人が逮捕されるに至る。候補者の父母や兄弟姉妹は連座制の適用対象であるため[11]、彼女らが有罪となった場合は毅の当選は無効となり、鹿児島2区からの出馬を最長で5年間禁止されることになる。
事態の進展と共に高まる自民党内からの離党圧力に抗しきれなくなった毅は、姉らが逮捕された翌日の11月13日に離党届を提出、翌14日付で正式に離党が許可された。ただ除名処分はどうにか免れ、ほとぼりが冷めた後の復党・復権に一縷の望みを繋ぐことになった。
後に母・姉らは次々に容疑を認め謝罪。これにより毅の当選無効は避けられない情勢となったため、翌2014年2月24日に議員辞職を表明した。後に別の地域主宰者の有罪確定に伴い連座制の適用も確定し、鹿児島2区からの立候補を今後5年間禁止される運びとなった。
ネット上の政治論壇で多数見られる右翼的なレスや右翼的なネットユーザーからの毅に対する評価は、一連の不祥事が発覚するまではまずまずといったところだった。
当初は宏池会、分裂後は有隣会といずれも中道派閥に所属していることからもわかるように、格別右派色が強いわけではないものの、改憲や集団的自衛権の行使に賛成していること、靖国神社に参拝していること、外国人参政権やTPPに反対していること、安倍首相が率いる創生「日本」に参加していることなどを評価され、まとめサイトの「国民が知らない反日の実態」では「愛国度B」[12]、議員・候補者評価に特化した同種のサイト「選挙前.com」では「愛国ポイント+6[13](泥酔姦事件発覚後は+5)[14]」とある程度好意的に紹介されていた。
また野党からの批判に対しては、民主党の細野豪志幹事長(当時)が以前アナウンサーの山本モナと不倫関係にあったことに着目し、「モナ男(細野の蔑称)はどうなんだよ」と揶揄するなど、批判の矛先を転じる方向での努力も続けられた(右動画参照)。 |
なおTwitter上でも同様の論調が見られたが、こうした声を上げたTwitterユーザー(特にいわゆる「日の丸クラスタ」)の過去の発言を調べたところ、民主党議員による同種の不祥事には一転して厳しい批判を加えているケースが多いことが明らかになり、ダブルスタンダードではないかと物議を醸した[15]。
同様に選挙違反事件に関しても当初は「日教組や自治労の方がもっと酷い選挙違反をしている」「こいつより山本太郎(選挙違反の疑いがある左派系議員)を逮捕しろ」といった消極的擁護の声が目立っていたが、一年間に二度も三度も不祥事を起こして安倍自民党の足を引っ張る醜態に堪忍袋の緒が切れたか、やがて「こいつをさっさと除名して自民党の廉潔性をアピールすべきだ」との声が多数を占めるようになっていった。
一方、毅がTPPに反対していたことや、2011年4月に民主党政権批判の一環として福島における放射能汚染の深刻性をアピールするブログを書いていたことから[16]、一部の反TPP派や脱原発派が謀略説を主張し、毅や徳洲会を擁護しようとする動きを見せていた。
掲示板
11 名無しさん
2014/06/30(月) 21:57:58 ID: l7ZErgJ8pp
極楽山本と全く同じ未成年レイプ事件起こしたのに、コッソリ政務官辞めただけでお咎め無しについては死んでも忘れない
12 ななしのよっしん
2014/07/20(日) 18:22:38 ID: 5sJOfcl42Z
一党独裁だと不祥事発覚しても支配体制が揺らがないから油断して腐敗するってのは理解出来る
その一方民主主義なら政治家の汚職が支持率低下と政権交代に繋がる訳だから腐敗しづらい、、、
にも拘らず民主主義な体制でも権力者って腐敗するんだよなあ
この徳田毅だけじゃなくて自民党とゼネコンの癒着も昔から変わってないし、、、
13 ななしのよっしん
2017/09/18(月) 02:22:48 ID: d0WZzR5oAw
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最終更新:2024/12/24(火) 00:00
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