『キングオブコント2020』王者。
出会いは関西大学第一高等学校のラグビー部。クラスも家へ帰る方向もポジションも違ったので、当初は殆ど話す機会が無かったが、高1の夏に福徳が合宿の練習試合中に鎖骨を骨折し、監督に「お前一番ヒマそうだから付き添ってやれ」と促されて一緒に病院へ行く事に。合宿地はラグビーが盛んな地域で軽い野戦病院と化した待ち時間を埋めるかのように色々な無駄話をする。福徳は喉がカラカラになり後藤に「水が欲しいから持ってきて」と頼むが、後藤は水を探してるフリはしてるが、実際は終始その辺をウロウロし続け看護師に声もかけられず、いざ水道水を発見しても見て見ぬふりした結果、福徳は脱水症状を起こしてしまうも、この出来事をキッカケに2人の距離は一気に縮まった。
お笑いを始めたキッカケは高校から大学までお互い友達が殆どおらず(特に後藤は無口な為友達作りや授業のグループ決めにもかなり苦心した)、休み時間は教室にいるのがしんどかった。高校では逃げるように保健室へ行っては2人だけで喋ってゲラゲラ笑い合ったり保健室の先生を笑わせる事が楽しくて仕方なくて「俺たちの天職はお笑いなのでは?」と思い始めた事から(高校3年間でクラスは一度も同じにはならなかったが、常に行動を共にし前述の保健室ではベッドの上に座り話していたので周囲にBLなんじゃねぇか?と疑われたりもした)。高2の終わり頃から携帯のメールや紙で笑かし合いをしていく内に漫才の台本が出来上がりどちらが面白いか競うよりになるが、共に部活漬けでテレビもほぼ見ていなかったが、お笑いで2人して唯一ハマったのが福徳が持っていたのを後藤に貸したふかわりょうの一言ネタ本だった(後藤は幼い頃から家族の影響で嘉門達夫が好きで、共にお笑い番組は『吉本新喜劇』も好きで若手時代に憧れの芸人として池乃めだかを挙げていた事もあったが、他の当時流行っていた番組含めてそこまではハマらず内容の意味も深くは理解していなかった)。ダウンタウンが頭角を現して以降のお笑い芸人の中ではダウンタウンの影響は受けていない異色のコンビでもあり『ダウンタウンのごっつええ感じ』についても「小学生の時に見ていたが当時は意味が分からなかった」と振り返っている。
2002年に共に関西大学へ内部進学と同時にNSC大阪校に25期生として入学・コンビを結成。コンビ名の由来はNSCの入学願書を出す前日に福徳も泊まっていた実家の後藤の部屋で適当に響き重視な流れで“ジャルジャル”と“ジョロジョロ”を思い付くが、どっちにしようか決めかねてる内に寝る事になって、寝ながらまだコンビ名を考えている時に「“ジャルジャル”でええか」と決まった(ちなみに2017年8月30日に放送された『水曜日のダウンタウン』にて若手芸人200人を対象としたアンケート調査「カッコイイと思うコンビ名ベスト10」では第6位にランクインしている)。NSCに入学して半年ぐらいは漫才をしていたが、NSC在学中に出場したM-1グランプリでは1回戦で敗退。その翌日にはNSC内でネタ見せをしなくてはならなかったが、当時はちゃんとした漫才のネタが前述の1本しかないのに1回戦負けしたネタでネタ見せするのは嫌だった為、即席で作ったコントを披露したところウケが良かったのをキッカケにコント作りへ傾倒するようになった。
2006年にほぼ無名のダークホースとして出場した『オールザッツ漫才』で準優勝を果たし、一躍関西のお笑いファンから注目の的を集める(放送当時のネット界隈でも話題になり、当時のネット検索ランキングで当時大流行だったノロウィルスのランキングを数時間だけ上回った)。
2003年末から出始めた大阪の劇場『baseよしもと』では2008年の頃には在籍当時の中心トップを扱いを受けるぐらいに人気を博していたところを、フジテレビで当時人気を集めていたネタ番組『爆笑レッドカーペット』への出演で全国区に知名度を広げ、同年10月にはしずるやはんにゃ等の関東の新鋭若手コンビと並んでフジテレビの深夜のコント番組『THE THREE THEATER』のレギュラーに抜擢される。半年後には『THE THREE THEATER』は『爆笑レッドシアター』としてプライムタイムに昇格し、同時にジャルジャルも初の全国区のプライムタイム枠のレギュラー獲得となった。
2009年に『キングオブコント』の決勝へ進出するが最下位の8位に終わる。前年からこの年の9月にかけて発売された初の単独ネタDVD「戯」全3巻の累計売上枚数は10万枚以上を記録している。
翌2010年は『キングオブコント』に2年連続で決勝進出し4位となった。同年『M-1グランプリ』でも初めて決勝進出するが全9組中8位であった。更には当時吉本では史上初となるコンビ単独海外公演をイギリスのロンドンで実施し、フジテレビの長寿人気番組『めちゃ²イケてるッ!』の新メンバーオーディションに合格しレギュラーとなる一方で『爆笑レッドシアター』が打ち切られる等、2010年はジャルジャルにとって波乱と激動の年であった。
2011年は終了した『M-1グランプリ』を受け継いだ大型漫才コンテスト『THE MANZAI』で認定漫才師50組に選出されたが、決勝進出組を決める「本戦サーキット」で本人らもドン引きするほどの大スベリをする(ネタ終了直後「お前らスベってたなー」と愛のあるイジりをしてきたジャルジャルの次に披露したキングコングはジャルジャルを上回るレベルの凄惨なドンズベリをしている)。
結成10周年の2012年はマニフェストとして2人揃って金髪で活動した(後藤はこの時人生で初めて髪を染めた)。
2014年にはフランスで単独ライブを実施したが、ムチャクチャにスベって失敗に終わる(逆にイギリス公演の時は反応がとても良くて非常にやりやすかったとの事で、英語なら少し分かるので気持ちも乗せやすいが、フランス語はさっぱり分からないからセリフを言っても気持ちが入ってこないのが失敗の要因だったのかもと自己分析している)。
2015年に5年ぶりに復活した『M-1グランプリ』で決勝進出し3位となった。同年11月にはレスリー・キー撮影のヌード写真集「SUPER JARU JARU」を発売。元々はイベント用のポスター撮りだけの予定が撮影当日に初対面のレスリーにかなり気に入られてしまい、撮られながら「ではちょっと脱いでいきましょうか?」等と誘導されてジャルジャル側も気持ちを乗せられてどんどん脱がされお互いの股間を握り合ったりディープキスをしてる写真などを8000枚ぐらい撮られ、レスリーが「これ写真集にしよう!」と言い出して発売する事になった。後藤は発売記念イベントで「パンツを履いてないし肛門を見せているので安心できない」と福徳も「レスリーさんにチンコを触られた」と告白した。
2017年の『M-1グランプリ』で決勝進出するも6位に終わる。同年は長年の冠番組レギュラーを2本失い、11月には『めちゃ²イケてるッ!』が翌2018年春を以て放送終了する事が正式発表された。
2018年の『M-1グランプリ』は結成15年目のラストチャンスだったが、「国名分けっこ」ネタで立川志らくから99点という破格の高評価を受けるも、最終で3位に終わった。
2020年の『キングオブコント』にて合計941点を獲得し悲願の優勝。2015年以降の新制度では初の完全優勝(1st、ファイナル両方で1位)であった。
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掲示板
410 ななしのよっしん
2024/03/21(木) 01:20:15 ID: qPpTLqtXmA
平社員顔と社長顔のネタ本当に不愉快
顔とか身長とかの生まれついての身体的特徴を弄るのは最低だろ
足の不自由な人間ネタにして「カタワの歩き方ww」とかやってるのと変わらん
411 ななしのよっしん
2024/03/23(土) 20:27:53 ID: pTXFXwwvK/
412 ななしのよっさん
2024/03/27(水) 09:00:49 ID: koPtfYCT9c
409
あれ極楽とんぼの加藤が福徳にやれ!って指示だしてただけやぞ
当時めちゃイケで言及してた
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/23(月) 19:00
最終更新:2024/12/23(月) 19:00
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