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安倍さんが注目されだしたのは、小泉内閣で官房副長官だったころ。 小泉さんは、日米関係と北朝鮮問題は外務大臣に任せず自らが実行していましたが(そのため小泉さんは外務大臣に政治家を任命せず、民間人で女性の川口氏を任命していました)、その補佐役だったのが安倍官房副長官でした。 2002年の拉致被害者日本帰還のときにマスコミにも多く取り上げられ、48歳の若さながら、「次の総理にしたい政治家」のトップになりました。 2003年、小泉さんは、49歳の若さ、議員歴わずか10年、閣僚経験のない安倍さんを自民党幹事長に抜擢。当時驚かれました。 この人事は通常幹事長は裏方として本部で全国の選挙の指揮を執るのですが、このときは衆議院選挙、さらに翌年の参議院選挙で、小泉さんと安倍さんを「2大看板」として選挙戦を戦う意図がありました。 実際の幹事長としての仕事は幹事長代理の二階氏が執っていました。 2004年の参議院選挙で敗北すると、幹事長を退きましたが、やはり「サプライズ人事」「驚天動地(本人談)」と言われた武部勤氏が幹事長になると、その要請で幹事長代理になっています。 人気はやはり健在だったことから、想定されていた衆議院選挙でやはり「2大看板」の意図があったようです。 実際翌年の郵政選挙では、小泉さんと手分けして応援演説で全国を飛びまわり、自民党は300議席超えの圧勝。 最高得票は小泉さんでしたが、最高得票率は安倍さんで、「貫禄」を見せました。 その後の小泉内閣では、後継首相候補者の1人として、内閣官房長官となりました(ただ、本人は省庁のトップ、例えば厚生労働大臣などを希望していたそうです)。 結局安倍さんは「大臣」経歴なく、内閣総理大臣になりました。
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質問者からのお礼コメント
大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!
お礼日時:10/8 18:17
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安倍さんが44歳のときは1998年だからまだ全然でしょう。頭角を現したのは清和会が政権を取った森〜小泉政権なので2000年頃から。 それでも今の進次郎さんみたいなアイドル的な注目はありませんでしたよ。
されていました。 安倍晋三が小泉内閣で内閣官房副長官として北朝鮮拉致被害者を連れ戻した頃が、現在の進次郎と同じぐらいです。 それから自民党幹事長、選挙不調で一時低迷の後、官房長官から内閣総理大臣です。 最大派閥だった森派・清和研究会の3世議員のサラブレッドで、将来は約束されていました。
注目されてないです 容姿もパットしない 世襲議員 何か目立った才能や実績あるわけでもない。小泉純一郎の引き立てで いつのまにやらって感じで後継です。薩摩と長州のもたれ合い。