ベストアンサー
楽しくて仕方ないしお金ももらえる!パターンの人もいるのではないですかね。 大体の人がその仕事のことを好きじゃないor好きじゃなくなった、だけで。 だからこそ、好きなことで生きていくというコンセプトが当たったのではないですかね。
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質問者からのお礼コメント
皆さん回答ありがとうございます。
お礼日時:10/9 1:11
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「楽な仕事はないや、お金を稼ぐのは大変とはよく聞きますが…」と書いていますが、質問者さんの体験から出たのではなく聞き伝えだったら、それはその人の主観なので、そんな事しか言わない人です(愚痴なのだから)。 他には、「楽な仕事はない・お金を稼ぐのは大変」と言うのは、これから働く人のための心構えの話で、仕事は生半可な気持ちで挑むなと言う意味ではないでしょうか。 それと、仕事を選べないと言うのなら、選べる側になれるような計画を立てれば良いと思います。 (やりたい仕事に就けるようにするとか、働かなくても生活できるようにするとか…)。 自分の方向性が決まってないのに、いざ仕事に就いたら(就かない人もいる)「キツイ」とか「やりたくない仕事」と言う方が『暴論』とは言えないでしょうか?
>キツイことや大変なことや、やりたくないことをしないと、お金を貰えないは論理的には何だかおかしいし、暴論な気がしませんかね? 気がしません。なお、論理とはカンケーありません。
同感です!! ちなみに「給料=労働の対価」です。 で、「給料=労働の対価」には下記の2つの考え方あります。 ・「給料=キツイ思いした対価」 ・「給料=ありがとうの対価」。 そして「キツイことや大変なことや、やりたくないことをしないとお金を貰えない」と言ってる人は、だいたい前者の「給料=キツイ思いした対価」という価値観で仕事してる人です。 そして、月曜朝を死にそうな顔して迎えます(汗) 逆に、「給料=ありがとうの対価」という価値観で仕事してる人は、月曜朝をそこそこ元気に迎えるそうです。(あくまで、そこそこ) なお、同じ仕事をしていても「給料=キツイ思いした対価」と思ってる人と「給料=ありがとうの対価」と思ってる人の2種類いるそうです。 たとえば、宅配ドライバー。 「給料はキツイ仕事の対価」と思ってる人と「給料はみんなに笑顔を届けた対価」と思ってる人います。 けっきょく、企業のマインドコントロールしだいです。 ・・・なんてこと言わないよ、絶対~♪
逆の立場で考えてみてください。 質問主さんがやるはずの仕事を、お金さえ払えば誰かに肩代わりさせることができると仮定します。 キツイ仕事をやらせる人間と楽な仕事をやらせる人間のどっちを募集しますか?どっちの倍率が高くなりそうですか?
楽な仕事だけでは済まないことはあります。 ただ同じ業務でも楽だと感じる仕事があるのなら、それは自分に合った仕事だと思います。 そもそもそんな風に思える仕事が存在するって時点で、ある種の才能のようなものもあります。 黙々と作業をするのが得意な人が、コンビニみたいにあれもこれもやりながら結局は何ひとつ集中できないとダメってのは向かないですしね。 後者こそ仕事だってなら、暴君です。