【神が絶対という価値観の時代がよくわからない】 現在、政経の勉強をしていて、フランス革命前あたりの歴史で詰まっています。 特に「聖書が絶対という世界のルール」という考え方が、どうしてもイメージできません。 現代では、何かを考えるときに科学的事実をもとに議論しますよね。でも昔は、聖書という絶対的な書物があって、「聖書をこう解釈すればこう言える」といった議論が行われていた、という理解で合っていますか? 聖書が絶対で、逆らえば罰せられるのはわかりますが、あまりにもスピリチュアルすぎて、事実が文化によって揺らぐという感覚が全く想像できません。 もし詳しい方がいらっしゃれば、なぜそういう世界観が存在したのか、当時の時代背景などを教えていただけると助かります。 また、政経の受験対策としてだけなら、 「ホッブズの自然状態 → 万人の万人に対する闘争」など、一対一対応で丸暗記すれば十分でしょうか?

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神が宇宙を作り、人間を作ったから、 神の言う事に従うべきである。って考えでしょう。 もちろん、聖書に従うべきであり、牧師が言う言葉に従うのではありません。

なぜそういう世界観が存在したかといえば、たとえば中世なら科学なんて庶民の間には普及していないし、そのための教育も当然行われていなかったからです。 今は科学的な世界観が当たり前だからといって、そうではない状況が全く想像できないというのは、まあ、普段からもう少し想像力を働かせるようにしたほうがいいかもしれません。 西欧的な価値観の影響を、100%受けているわけではない場所は、実は地球上に結構あります。そういう人と付き合う時に(将来的に移民がものすごく増える可能性だってあります)、支障が出るかもしれませんよね。 まあしかし、中世のキリスト教徒だったら、死んだら天国か地獄に行く(厳密に言えば、最後の審判までは墓で眠っていて復活する。だから遺体を火葬にはしない)と、どこまで本気で信じていたかとなると、実のところはっきりわかりません。庶民が自分で書いた記録はほぼないからです。 しかし、ふだんはあまり本気で信じていなくても、神父に罪を告解せずに死ぬのは地獄行き決定とされていたので、いざとなるとそれが怖いと感じた人はいただろうと思います。 それに、たとえばミャンマーあたりでは、現代の日本人とは違って、生まれ変わりを空気のように信じて疑わない人は多いようです。 せっかく受験を機会に触れたわけなので、表面的暗記だけにとどめず、少しでも理解するように努めたほうが、人間としての幅が広くなるとは思います。

中世ヨーロッパでは「科学的事実」ではなく「神の言葉=聖書」が絶対のルールだった。ところが聖書はラテン語で書かれており、普通の人には読めない。そこで教会が「聖書にはこう書いてあるんです!」と解釈を独占し、実際には自分たちに都合の良い制度(免罪符の販売など)を正当化していた。 しかし16世紀、ルターが「それ本当に聖書に書いてあるのか?」と突っ込みを入れ、自らドイツ語に翻訳して庶民に配布した。印刷技術の普及も追い風となり、人々は「今まで騙されてたじゃん!」と教会への信頼を失い、宗教改革が始まった。これは教会の“情報独占”が崩壊した事件であり、近代の合理主義や自由思想の発展につながっていった。