ハザードマップって、あれ、不思議な存在ですよね。 ぱっと見ると、なんだか「安心」を象徴するアイテムみたいに見える。 赤とかオレンジとか黄色とかで、危険の度合いがきっちり塗り分けられていて、「ここは危ないですよ」「ここは安全ですよ」と、まるで世界が整理されているような気分になる。 でも、じっと眺めていると、だんだん違和感が湧いてくるんです。 あれ、なぜこの部分だけ色が薄いんだろう?とか、なぜこの堤防は真っ白なんだろう?とか。 地図を描くのも人間なら、その線を引く理由や事情もまた人間くさい。 もちろん、悪意があるわけではないでしょう。 けれど、いつの間にか「正確な地図を作ること」よりも、「安心できる地図を提示すること」が目的になっている気がして――そうなると、地図ってもう、現実というより“物語”なんですよね(笑)。 それでも私たちは、その物語に安心してしまう。 「見やすい」「わかりやすい」と言われる情報の多くが、まさにそのタイプ。 でも、本当の森の中って、そんなに親切じゃない。 ぬかるみがあって、道が分かれて、誰かが落とした空き缶が転がっていて、地図にない流れがちゃぷんと音を立ててる。 そういう“汚れた現実”の中でしか見つからないものが、確かにある。 ハザードマップを見ながら、ふとそんなことを考えてしまうんです。 きれいに描かれた線の向こうに、誰の息づかいがあるのか。 それを想像するだけで、ちょっとゾクッとするような、でも妙にリアルな“生きた世界”が見えてくる気がします。 そこで、広い森林地帯を中を探検する場合に、 ①汚いけど経験者が描いた地図、 ②きれいだけど、机上で描かれた地図。 お花畑の影響下では②を選択する人が多いということが問題です。 「ハザードマップ」なる物を見てみたら、これがわかります(笑) 基本的には、等高線に従って、赤、オレンジ、黄に色分けしてるのみ。 しかし、一部、そうなってません。 有力者の土地は赤やオレンジにならないんです(笑) また、川の堤防が決壊する場合、曲がり角、古くなって弱ってる 部分が決壊しますが、その注意書きはありません。 重要ポイントが抜けた地図です! 「命を守るための行動!」、「ハザードマップを見よ!」、 「できるだけ迅速な避難を!」 これを強調すると、誰がどんな目的があってそれを作ったかが 背景に沈んでしまうんです!(笑) そこで質問ですが――私たちはいつの間にか、②のような「きれいで安心できる地図」を手に取る癖がついてしまってはいないでしょうか? 線が真っすぐで、色分けが整っていて、「見やすい」「わかりやすい」と感じる瞬間、すでに“安心”という名の魔法にかかっているのかもしれません。 けれど、実際に森に入ってみると、そこには線の引けないぬかるみや、予想外の獣道や、地図にない小川が流れていたりする。 そういう“汚れた現実”の中にこそ、本当の発見や、判断力や、生きた知恵が隠れているのではないでしょうか? 私たちは今、見やすさや正しさの陰で、何か大切な“現場の手ざわり”を手放してはいないか――そんなことを、ふと考えてしまうのです。 みなさんは どう思いますか? ๑๐/๘