椹木野衣
美術出版社、2005年1月1日、349ページ
ISBN=9784568201741
[インタヴュー]
都市をイヴェントとしてとらえる視点 日埜直彦──前回はおおよそ五〇年代を視野として、当時のモダニズム一辺倒の状況のなかで考えておられたことについておうかがいしま...。 3──《お祭り広場》 引用出典=椹木野衣『戦争と万博』 (美術出版社、2005)4──「ジョイント・...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[万博という問題系2]
...画としての「万博芸術」 椹木──この秋に『戦争と万博』という本を出すことになっているので、まず... ...一二月号─二〇〇三年九月号)に連載された「戦争と万博」をまとめて読み返してみたのですが、やは...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[建築を拓くメディア]
...れすらも三〇年以上昔の話だが、椹木野衣の『戦争と万博』(美術出版社、二〇〇五)は、現在の視点... ...残存していると言えそうだ。 1──椹木野衣『戦争と万博』2──『アーキラボ──建築・都市・アート...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.144-145
[1990年代以降の建築・都市 7]
...日本ゼロ年」展(一九九九─二〇〇〇)では、戦争と万博のテーマが浮上している。続く『「爆心地」... ...ないかという。そして『美術手帖』における「戦争と万博」の連載では、両者の関係を掘り起こす作業...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[万博という問題系 3]
...の磯崎さんの証言などを手がかりにしながら「戦争と万博」という論考を『美術手帖』に発表され、そ... ...、今度、その美術出版社から出る椹木さんの『戦争と万博』では、浅田孝さんとならんで、瀧口修造さ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[論考]
...戦争と万博の類似に気づいたのは、愛知万博の仕事を引き受けたときだった。 通産省(当時)が日本政... ...化したのである。 大阪万博をたたんでしまえ 戦争と万博は、人を大量に動員し、計画を志向する。戦...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.155-163
[「悪い場所」にて 16]
岡本敏子の命日が近づいて来た。なんだか、あれからもう随分時間が経ったように感じるのは、なぜなのだろう。二年前の四月、大学の研究室にいるとき携帯にかかってきた電話...に会ったのは、青山ブックセンターでの拙著『戦争と万博』刊行記念イベントでのことで、イベントで...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.33-36
[「悪い場所」にて 13]
前回、この欄で書いたPSE法については、その後、さまざまな意見提出や署名運動がなされ活発な議論も起こり、事実上の現状維持となったので、その経緯については読者の皆...ら、そうしたことは『日本・現代・美術』や『戦争と万博』といった著作で僕のことを知った人にとっ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.49-50
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、...欲したものでもありました。椹木野衣さんの『戦争と万博』(美術出版社、二〇〇五)でも、戦後の焼...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[「悪い場所」にて 14]
不気味な嵐の前の静けさのような心境だ。思えばここ五年ほどで、いろいろなことが変わってしまった気がする。説明責任、安全基準の徹底、個人情報保護、消防法の厳守、著作権の遵守。タバコが吸えなくなった。デモをすれば逮捕される。セクハラ、幼児虐待、PTSDを疑われる。路上駐車ができない……。一つひとつを取ればことさら反論するよう...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.33-34
[「悪い場所」にて 6]
会場の一角に、異様な形状の造形物を捉えた航空写真が飾られている。コンクリートでできた円形の、なだらかな丘のようなかたち。よく見れば、その造形物の上にゴマ粒のように乗っているのは、どうやら人のようだ★一。 場所は洋上の小さな環礁の一角──しかしその造形物の大きさは、環礁の一角を占領するかのように巨大だ。まるで、島のある部...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.26-28
[「悪い場所」にて 9]
以前、この連載でも少しふれた家も建ち、すでに一年半が経過した。 実際にはどうであったか。 いくつかの点で細部にツメのあまさが残るものの、基本的には気に入っている。特に、荒削りだが圧倒的な解放感のある空間は、文句なしにすばらしい。ただ、住みやすく細部を調整するまでには、ゆうに半年は掛かった。通常の引っ越しでも、新しい環境...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.25-27
[「悪い場所」にて 11]
ICCで一二月二五日まで開催中の展覧会「アート&テクノロジーの過去と未来」を見て、少なからぬ興味を惹かれた。 と、ここでいうのは、日本で「メディア・アート」とよばれる領域について、この展覧会が、従来は見落とされがちであった、ひとつの明確な視点を提供しているからだ。 メディア・アートは、ともすれば、自身の領域の自律性、独...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.9-23
[「悪い場所」にて 7]
わたしも会員のひとりである「美術評論家連盟」という組織があって、今年で五〇周年を迎えるという。それにあわせて先頃「日本の美術評論のあり方」と題する記念シンポジウムも開かれ、コメンテーターとして参加したので、今回はこのことをきっかけに、いろいろ考えてみたい。 会場は東京国立近代美術館のホール。全体の構成は前半(もの派から...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.25-26
[「悪い場所」にて 4 ]
二〇〇三年一一月一五日、神楽坂の印刷工場街の一角に仮オープンしたSQUID=ヤマモトギャラリーで「殺す・なコブラ」を決行した。以下は、その際に来場者に向けて配付されたメモである。 「殺す・なコブラ」についてのメモ 00・みなさん、「殺す・なコブラ」の戦場にようこそ。これから「開戦」となりますが、この機会を借りて、今回...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.26-28
[「悪い場所」にて 17]
ひさしぶりにロンドンにやってきた。この四月からロンドン市内の大学に附属するリサーチセンターの客員研究員として一年間、籍を置く。テート・ブリテンの隣に位置するこの芸術系の大学(University of the Arts London)は、ロンドン市内のアート系カレッジが統合されてユニヴァーシティになったものだが、訪れて...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.37-39
[「悪い場所」にて 8]
いま、「美術」の状況はどうなっているのか。たとえば数年前から、かつて八〇年代の「ニューペインティング現象」とはあきらかに異なる意味で、絵画への回帰が起こっている。視覚芸術の原点に帰るといえば聞こえはよいが、実際には、九〇年代なかばくらいから美術の世界をも覆い尽くし始めたグローバル資本主義と、アートマーケットからのプレッ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 10]
このところ、六〇年代末から七〇年代初頭にかけての美術の見直しが進んでいる。先頃も、鎌倉山に所在する鎌倉画廊で、六〇年代に静岡を拠点に活動した前衛芸術グループ「幻触」の旧作を集めた展覧会が開かれたばかりだし、秋には国立国際美術館で、「もの派」の再検討を含めた大型展が開かれるという。 「もの派」といえば、関根伸夫、李禹煥、...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 12]
まったく、とんでもない法律が決まっていたものである。 この法律、実は僕はおととい(二月六日)、友人から聞いたばかりなのだが、最初は意味がよくわからなかった。それくらい現実離れした内容のように思われたからだ。すぐにネットで調べておおよその実情を知ったのだが、それでもまだ、なぜこんな気分が悪くなるような法律があっさりと可決...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 5]
去る五月いっぱいまで、多摩美術大学美術館で、「四批評の交差──いま、現代美術を問う」と題された展覧会が開催された。もっとも、この文章を書いている現時点ではまだ会期中なので、展示と並んでこの展覧会の核となる、批評家による作家とのセッションはまだ終わっていない。本来ならばそちらが済んでからのほうがよいのだろうが、この文章は...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.24-26
[「悪い場所」にて 15]
旅先のホテルで久しぶりにテレビをつけると、日曜だけあって各局趣向を凝らしたセットを組んではいるのだが、それらが一様に卑俗な秋の日本美をなぞっているようで朝から気分が悪くなる。まさか、例の政府筋の「美しい日本」を受けての一斉キャンペーンではないだろうが、疑いたくなるような画一さだ。同じ時間帯に放映されていた公共放送の美術...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.37-39
[「悪い場所」にて 2]
家を建てるというのはいろいろ起こるものだ。 入手した土地は北西の角地で、見つけた時点ではまだ前の持ち主の古屋が建っていた。土地は公道に面していて、そこからいい感じの路地が奥へと延びている。通れるとしても人かせいぜいが自転車くらいで、それが逆に趣を醸している。もっとも、路地に魅せられて買ったわけではない。残念ながらその路...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.22-23
[「悪い場所」にて 1]
米英軍によるイラク侵攻の直前、発起人四名の連名でインターネットを通じていささか唐突ともいえる「反戦デモ」の呼び掛けをし、アート関係者を中心に「殺すな」なるユニットを立ち上げ、これまでに数回のデモを行なった。 呼び掛けのきっかけとなった「殺すな」の文字は、岡本太郎の手によるもので、一九六七年にベ平連によって『ワシントンポ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.12-13
[「悪い場所」にて 3]
本誌前号で五十嵐太郎氏が「白昼の怪物──彼岸と接続されるテレビ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.26-27