2011・3・22(火)二期会ロシア東欧オペラ研究会
ドヴォルジャーク:「ルサルカ」抜粋
リムスキー=コルサコフ:「サルタン王物語」抜粋
東京文化会館小ホール 7時
「このような時、私たちが出来ることは、歌うことです」と開演前に挨拶し黙祷を捧げたのは、主催者・二期会ロシア東欧研究会代表の岸本力氏。
私はこれを支持したい。良質の文化は、いかなる状態にあっても守られなければならない。音楽家には音楽を守り、人々の心を豊かにして行く責任があるし、われわれ音楽愛好者にはそれを盛り立てて行く責任があるだろう。
ただ「自粛」しているだけでは、何一つ出来ない。
思えば第2次大戦末期、半年におよぶ空襲で東京が壊滅状態になっていた昭和20年の5月と6月にも、日本交響楽団(現N響)は定期公演を止めることなく、余燼燻る焼け跡に残る日比谷公会堂で、ベートーヴェンの交響曲などを演奏し続けていたのではなかったか。
そして終戦直後の9月半ばにはその日響がいち早く定期を再開、翌年1月には藤原歌劇団もオペラ上演(椿姫)を再開して、文化を守り続け、人々の心に慰めを与えたのではなかったか。先人たちもそのようにして、日本に復興をもたらして行ったのだ。※(註)
今夜のコンサートは、「二期会ロシア東欧オペラ研究会」の創立10周年記念公演と題されていた。
上手側隅にピアノを1台置き、若干の照明の変化を施しただけの簡素な舞台だが、登場人物は一応衣装を着け、演技を行ないながら歌う。
プログラムは、2つのオペラから数曲ずつの抜粋。要所に物語紹介のナレーションが挿入される。
ドヴォルジャークの「ルサルカ」では、津山恵(ルサルカ)、石井真弓(魔女)らが歌い、一方リムスキー=コルサコフの「サルタン王物語」(一般には「皇帝サルタンの物語」と呼ばれることが多い)では、岸本力(サルタン)、筧聰子(ババリーハ)、小林大作(グヴィドン王子)らが歌った。また、いくつかの役はダブルで歌われていた。
指揮は長田雅人、演出は大島尚志。
全体として、歌唱の面にはムラはあったものの、岸本氏の言うとおり、みんな「一所懸命」やっていたことは事実である。滅多に聴けないオペラの音楽が、たとえ断片的にでも演奏されたことには意義があるだろう。
ピアノは「ルサルカ」が稲葉和歌子で、なかなかきれいに弾いてくれた。「サルタン」での小笠原貞宗は少し荒っぽいが、例の「熊蜂の飛行」もちゃんと弾いてくれたのは有難い。
夜の上野駅公園口周辺は、この東京文化会館とJR駅のぼんやりした灯りがあるのみ。小雨の中、人影もまばらで、打ち沈んだ寂しい雰囲気である。
※聞くところによると、仙台フィルは26日(土)午後2時から見瑞寺で開くコンサートを手始めに、「鎮魂、そして希望」と題する「復興コンサート」を街角や被災地で開催して行く由。
「このような時、私たちが出来ることは、歌うことです」と開演前に挨拶し黙祷を捧げたのは、主催者・二期会ロシア東欧研究会代表の岸本力氏。
私はこれを支持したい。良質の文化は、いかなる状態にあっても守られなければならない。音楽家には音楽を守り、人々の心を豊かにして行く責任があるし、われわれ音楽愛好者にはそれを盛り立てて行く責任があるだろう。
ただ「自粛」しているだけでは、何一つ出来ない。
思えば第2次大戦末期、半年におよぶ空襲で東京が壊滅状態になっていた昭和20年の5月と6月にも、日本交響楽団(現N響)は定期公演を止めることなく、余燼燻る焼け跡に残る日比谷公会堂で、ベートーヴェンの交響曲などを演奏し続けていたのではなかったか。
そして終戦直後の9月半ばにはその日響がいち早く定期を再開、翌年1月には藤原歌劇団もオペラ上演(椿姫)を再開して、文化を守り続け、人々の心に慰めを与えたのではなかったか。先人たちもそのようにして、日本に復興をもたらして行ったのだ。※(註)
今夜のコンサートは、「二期会ロシア東欧オペラ研究会」の創立10周年記念公演と題されていた。
上手側隅にピアノを1台置き、若干の照明の変化を施しただけの簡素な舞台だが、登場人物は一応衣装を着け、演技を行ないながら歌う。
プログラムは、2つのオペラから数曲ずつの抜粋。要所に物語紹介のナレーションが挿入される。
ドヴォルジャークの「ルサルカ」では、津山恵(ルサルカ)、石井真弓(魔女)らが歌い、一方リムスキー=コルサコフの「サルタン王物語」(一般には「皇帝サルタンの物語」と呼ばれることが多い)では、岸本力(サルタン)、筧聰子(ババリーハ)、小林大作(グヴィドン王子)らが歌った。また、いくつかの役はダブルで歌われていた。
指揮は長田雅人、演出は大島尚志。
全体として、歌唱の面にはムラはあったものの、岸本氏の言うとおり、みんな「一所懸命」やっていたことは事実である。滅多に聴けないオペラの音楽が、たとえ断片的にでも演奏されたことには意義があるだろう。
ピアノは「ルサルカ」が稲葉和歌子で、なかなかきれいに弾いてくれた。「サルタン」での小笠原貞宗は少し荒っぽいが、例の「熊蜂の飛行」もちゃんと弾いてくれたのは有難い。
夜の上野駅公園口周辺は、この東京文化会館とJR駅のぼんやりした灯りがあるのみ。小雨の中、人影もまばらで、打ち沈んだ寂しい雰囲気である。
※聞くところによると、仙台フィルは26日(土)午後2時から見瑞寺で開くコンサートを手始めに、「鎮魂、そして希望」と題する「復興コンサート」を街角や被災地で開催して行く由。
コメント
猫も昨日の昼間、文化会館前を通った。電気が消えていて、開館するのはいついつまで17時以降のみ、と張り紙があった。だから昼間でも憩いの場が閉まっていて寂しい感じ。まあ、演奏会開催を最小限とすれば、そんなことは仕方ないか。電気なんかつけなくてよいからあけておけばよいのに、と思ったりもした。共産圏の厳戒体制下みたいだ(あくまでもイメージによる例え)。まあ、猫はどうせ横通るだけだから関係ニャいのだが・・・猫婆心ながら・・・。電車の空調がとまっているのはさほど不便でもない。暖房効きすぎの車内に入ってコートをいちいち脱ぎ着する手間が省けてよい。んっ、猫が電車にコート着て乗るのかって??そっ、それは・・・
>思えば第2次大戦末期、半年におよぶ空襲で東京が壊滅状態になっていた昭和20年の5月と6月にも、日本交響楽団(現N響)は定期公演を止めることなく、余燼燻る焼け跡に残る日比谷公会堂で、ベートーヴェンの交響曲などを演奏し続けていたのではなかったか。
そして終戦直後の9月半ばにはその日響がいち早く定期を再開、翌年1月には藤原歌劇団もオペラ上演(椿姫)を再開して、文化を守り続け、人々の心に慰めを与えたのではなかったか。先人たちもそのようにして、日本に復興をもたらして行ったのだ。※(註)
よくぞ言ってくださった!
しかも日響戦前最後の定期は、ベートーヴェンの「第九」!朝比奈隆が満州で終戦を迎えたとき、彼はハルピン響とベートーヴェンチクルスの最中。1945年8月15日、運命の日はベートーヴェンの「第五交響曲」(リハーサル)!何たる運命、宿命であろう!!!
そういえば、朝比奈先生は阪神淡路大震災の数日後に、都響定期に何事もなかったかのように現れたっけ・・・。
死を悼むことは必要だ。しかし、我々は立ち上がらねばならない。自粛=単なる「追悼」ポーズになってしまってはいけない。フルトヴェングラーがベルリンで戦前最後に演奏したのはブラームスの「1番」。これまた、言葉が出ないプログラム・・・。
そして終戦直後の9月半ばにはその日響がいち早く定期を再開、翌年1月には藤原歌劇団もオペラ上演(椿姫)を再開して、文化を守り続け、人々の心に慰めを与えたのではなかったか。先人たちもそのようにして、日本に復興をもたらして行ったのだ。※(註)
よくぞ言ってくださった!
しかも日響戦前最後の定期は、ベートーヴェンの「第九」!朝比奈隆が満州で終戦を迎えたとき、彼はハルピン響とベートーヴェンチクルスの最中。1945年8月15日、運命の日はベートーヴェンの「第五交響曲」(リハーサル)!何たる運命、宿命であろう!!!
そういえば、朝比奈先生は阪神淡路大震災の数日後に、都響定期に何事もなかったかのように現れたっけ・・・。
死を悼むことは必要だ。しかし、我々は立ち上がらねばならない。自粛=単なる「追悼」ポーズになってしまってはいけない。フルトヴェングラーがベルリンで戦前最後に演奏したのはブラームスの「1番」。これまた、言葉が出ないプログラム・・・。
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