2011・3・19(土)下野竜也指揮読売日本交響楽団
東京芸術劇場大ホール 2時
「音楽家として何が出来るか?・・・・音楽で人々を癒し、勇気づけ、明日への活力をもっていただくことだと信じています」
正指揮者・下野竜也氏のこのようなメッセージも配られ、読売日響の「東京芸術劇場マチネー・シリーズ」は開催された。照明を全体に落し気味にし、会場の暖房も切っての公演である。
この時期、コンサートを開催することについては、さまざまな論議があろう。10人の人がいれば、最少でも2種類の、多ければ10種類の異なった意見が出るだろう。どれか一つの意見だけが絶対的に正しいということなどありえない。
それゆえ私たちとしては、言い古されたことではあるが、それぞれ自分の信念に従って行動するしかない。
私自身は、現地へ行って救援活動に参加することができないなら、遠隔地から出来る範囲のことを行ない、かつ、亡くなった人たちや苦難の道を歩む人たちに思いを馳せつつ、自分が人間として生きるために選んだ仕事を真摯に忠実に貫徹する――それこそがわれわれに課せられた使命と責任である、と信じる。
下野氏と読響も、その信念に基づいて演奏会を行なったはずである。
今日のコンサートの初めには、大震災犠牲者の追悼のため、半明りのままで、バッハの「管弦楽組曲第3番」からの「アリア」が演奏された。
また終演後には、下野竜也氏ほか読響の多数の楽員がホワイエに整列し、募金箱を抱えて義捐金を集めていた。聞くところによると、これは演奏家たちの自主的な行動であった由。
私も、下野氏の持つ箱の中に「貧者の一灯」を。
今日は1050名強の入場者があったと聞くが(見た感じでは6~7割の客が入っていたように感じられたが)少なからぬ数の聴衆が募金に応じていたようである。
コンサートの方は、「トランスクリプション名曲集」と題したプログラムが組まれていた。
曲は、バッハ~エルガーの「幻想曲とフーガ BWV.537」、ブラームス~ベリオの「クラリネット・ソナタ第1番」、グルック~ワーグナーの「アウリスのイフィゲニア」序曲、ウェーバー~ベルリオーズの「舞踏への勧誘」、ドビュッシー~ビュッセルの「小組曲」、バッハ~シェーンベルクの「前奏曲とフーガ BWV.552」。
このうち「クラリネット・ソナタ」では、今日と明日(横浜みなとみらいホール)の演奏会を最後に定年退職する首席奏者・四戸世紀がソロを吹き、更にアンコールとしてモーツァルトの「アダージョ」K.580c(KA.94、原曲は未完)を演奏して、温かい拍手を浴びていた。
「アウリスのイフィゲニア」序曲が演奏会で取り上げられるのは、国内では珍しいだろう。いい曲だ。ここでの下野の組み立ては、なかなか巧い。
ただし今日の読売日響の演奏全体は、いわゆる「マチネー・コンサートの水準」といったところで、それより上でも下でもなかったが・・・・。
電力節減のために会場の暖房が切られていたことは前述した。開演前にクロークへコートを預けようとしたら、「寒いかもしれませんので、中へお持ちになってはいかがでしょうか?」と言われる。なるほど、たしかに少し冷えるようだが、1950年代中盤頃に暖房のない会場でコンサートを聴いた経験のある世代にとっては、このくらいは痛くも痒くもない。
灯りなども、日本のホールは普段から何か眩しすぎる傾向があるから、欧米のそれに倣って、もっと電力節減のためにも照明を落としてもいいのでは?と考えていた次第だ。
「音楽家として何が出来るか?・・・・音楽で人々を癒し、勇気づけ、明日への活力をもっていただくことだと信じています」
正指揮者・下野竜也氏のこのようなメッセージも配られ、読売日響の「東京芸術劇場マチネー・シリーズ」は開催された。照明を全体に落し気味にし、会場の暖房も切っての公演である。
この時期、コンサートを開催することについては、さまざまな論議があろう。10人の人がいれば、最少でも2種類の、多ければ10種類の異なった意見が出るだろう。どれか一つの意見だけが絶対的に正しいということなどありえない。
それゆえ私たちとしては、言い古されたことではあるが、それぞれ自分の信念に従って行動するしかない。
私自身は、現地へ行って救援活動に参加することができないなら、遠隔地から出来る範囲のことを行ない、かつ、亡くなった人たちや苦難の道を歩む人たちに思いを馳せつつ、自分が人間として生きるために選んだ仕事を真摯に忠実に貫徹する――それこそがわれわれに課せられた使命と責任である、と信じる。
下野氏と読響も、その信念に基づいて演奏会を行なったはずである。
今日のコンサートの初めには、大震災犠牲者の追悼のため、半明りのままで、バッハの「管弦楽組曲第3番」からの「アリア」が演奏された。
また終演後には、下野竜也氏ほか読響の多数の楽員がホワイエに整列し、募金箱を抱えて義捐金を集めていた。聞くところによると、これは演奏家たちの自主的な行動であった由。
私も、下野氏の持つ箱の中に「貧者の一灯」を。
今日は1050名強の入場者があったと聞くが(見た感じでは6~7割の客が入っていたように感じられたが)少なからぬ数の聴衆が募金に応じていたようである。
コンサートの方は、「トランスクリプション名曲集」と題したプログラムが組まれていた。
曲は、バッハ~エルガーの「幻想曲とフーガ BWV.537」、ブラームス~ベリオの「クラリネット・ソナタ第1番」、グルック~ワーグナーの「アウリスのイフィゲニア」序曲、ウェーバー~ベルリオーズの「舞踏への勧誘」、ドビュッシー~ビュッセルの「小組曲」、バッハ~シェーンベルクの「前奏曲とフーガ BWV.552」。
このうち「クラリネット・ソナタ」では、今日と明日(横浜みなとみらいホール)の演奏会を最後に定年退職する首席奏者・四戸世紀がソロを吹き、更にアンコールとしてモーツァルトの「アダージョ」K.580c(KA.94、原曲は未完)を演奏して、温かい拍手を浴びていた。
「アウリスのイフィゲニア」序曲が演奏会で取り上げられるのは、国内では珍しいだろう。いい曲だ。ここでの下野の組み立ては、なかなか巧い。
ただし今日の読売日響の演奏全体は、いわゆる「マチネー・コンサートの水準」といったところで、それより上でも下でもなかったが・・・・。
電力節減のために会場の暖房が切られていたことは前述した。開演前にクロークへコートを預けようとしたら、「寒いかもしれませんので、中へお持ちになってはいかがでしょうか?」と言われる。なるほど、たしかに少し冷えるようだが、1950年代中盤頃に暖房のない会場でコンサートを聴いた経験のある世代にとっては、このくらいは痛くも痒くもない。
灯りなども、日本のホールは普段から何か眩しすぎる傾向があるから、欧米のそれに倣って、もっと電力節減のためにも照明を落としてもいいのでは?と考えていた次第だ。
コメント
演奏会開催されたニュースを嬉しく拝読。猫も聴きに行きたいと思うが、会場が例えば、液状化で被害の出ている方面だったりすると、やっぱり足がひるむ・・・生きとし生けるもの、自分の身の安全をどうしたって考えるからニャあ。でも演奏会開催には賛成ニャり!その会場に集うことの可能な人が、やっぱり心に栄養を求めて集まるニャリよ。芸術は不滅だ!
<引用<<この時期、コンサートを開催することについては、さまざまな論議があろう。10人の人がいれば、最少でも2種類の、多ければ10種類の異なった意見が出るだろう。どれか一つの意見だけが絶対的に正しいということなどありえない。>>
そう、思います。
仕事柄、いろんな日常生活の人に会います。
どんなに幸せな生活を送っているか、と思います。
仕事上、いろんな人に会います。
・窓を閉め切って部屋を真っ暗にして、泣いていたのではないかと思う振る舞いを隠す人。
・「なんで、こんなときに来るの?」と云いつつ、応対を丁重にしていただける人。
・会社を動かす社長が、最近咽頭癌を患っているのことは知ってはいた。まさか、仕事で被災地(津波で派手に流れた)で避難所に居るとは知らなかった。(後でTwitterで知った。電源が切れたからか3月14日のブログで終わり)。心配していた職場の雰囲気、後で知ったり。
こんなとき、 「すみません。」は言えない。知らなかったしどんな事情にしても悪いことしてないし。
かといって、「ごめんなさい。」はもってのほか。お客様に非のあるニュアンスになりますし。
******
3月20日(日)のNHK第1、朝の8時5分から 始まる’音楽の泉’、始まりはじめの音楽が鳴ったとたん、ラジオのチャンネル変えました。
なぜなら、元々視聴していないから。というニュアンスより、 <<なんで、こんな時期に流すの>>という意識が強く働いたからです。
*********
アドリブで書きますが、あの冷たい瓦礫の下には、クラシック音楽の愛好者が眠っているかも知れないし。その方も見識が高い方かもしれないし。
そう、思います。
仕事柄、いろんな日常生活の人に会います。
どんなに幸せな生活を送っているか、と思います。
仕事上、いろんな人に会います。
・窓を閉め切って部屋を真っ暗にして、泣いていたのではないかと思う振る舞いを隠す人。
・「なんで、こんなときに来るの?」と云いつつ、応対を丁重にしていただける人。
・会社を動かす社長が、最近咽頭癌を患っているのことは知ってはいた。まさか、仕事で被災地(津波で派手に流れた)で避難所に居るとは知らなかった。(後でTwitterで知った。電源が切れたからか3月14日のブログで終わり)。心配していた職場の雰囲気、後で知ったり。
こんなとき、 「すみません。」は言えない。知らなかったしどんな事情にしても悪いことしてないし。
かといって、「ごめんなさい。」はもってのほか。お客様に非のあるニュアンスになりますし。
******
3月20日(日)のNHK第1、朝の8時5分から 始まる’音楽の泉’、始まりはじめの音楽が鳴ったとたん、ラジオのチャンネル変えました。
なぜなら、元々視聴していないから。というニュアンスより、 <<なんで、こんな時期に流すの>>という意識が強く働いたからです。
*********
アドリブで書きますが、あの冷たい瓦礫の下には、クラシック音楽の愛好者が眠っているかも知れないし。その方も見識が高い方かもしれないし。
正直、最近のコンサートホールは暑すぎます。特に冬場は過剰暖房に思えます。休憩時間に汗を拭く人が少なからずいますよ。逆に夏は寒いこともあったりします。
今回の発想はよかったと思います。
今回の発想はよかったと思います。
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僕たちに音楽を聴かせてください
東京では、コンサートが次々と中止、あるいは延期となっている。ミューザ川崎は、前に紹介したように、ホールの天井が落下して、当分使用不可能になった。安心して音楽に身をゆだねられる日が早く来てくれることを願わずにはいられない。 今日の「日本経済新聞」には、仙