2010・11・13(土)尾高忠明指揮札幌交響楽団のシベリウス
札幌コンサートホール kitara 3時
札響は北国のオーケストラだからシベリウスをやると上手い――などという俗説は私はあまり信用しないけれども、尾高忠明の指揮で「4つの伝説曲」を演奏するとなれば、シベリウス大ファンの私としては、ムード的にどうしても聴きたくなって来る。
折しも土・日の札幌では「嵐」の公演があるとかで、札幌行の飛行機といい、JR快速エアポートといい、若い女の子たちで超満員。――札響を東京から聴きに行った人だって少しは居たろうと思いたいが・・・・。
プログラムは「アンダンテ・フェスティーヴォ」「ヴァイオリン協奏曲」「4つの伝説曲」。いい選曲だ。
冒頭の小品は、一部の指揮者が時たまやるような「アレグロ」にもならず、逆に「アダージョ」にもならず、まさにモデラートなアンダンテのテンポで演奏された。弦楽合奏はかなり強い弾き方で演奏され、硬質でごつごつした響きに聞こえたが、作品の性格を考えれば、こういうがっしりした表現が合っているだろう。
「ヴァイオリン協奏曲」のソロはおなじみ竹澤恭子。9年前の尾高=札響の英国旅行で協演した時の快演を思い出す。この人の演奏も瑞々しさとともに強靭な造型を漲らせ、シベリウスの音楽の厳しさを表出して余すところが無い。
「4つの伝説曲」は、ナマではなかなか聴けない曲だ。いい曲なのに、残念である。構築の上で些か弱いところがあるため、捉えどころの無い音楽だと思われがちなのだろうか。
今日の尾高=札響の演奏も、作品全体をはっきりと隈取りした感のある構築ではあったが、しかしそうなるとなお、この曲の弱みが浮彫りにされるという皮肉な結果を生む(チャールズ・グローヴズが指揮したレコードのように、フワフワした演奏の方がむしろ雰囲気的に「いい意味で誤魔化せる」ことになるかもしれない)。
それはともかく、尾高=札響、熱演であった。聴いた席の位置のせいか、オーケストラの細部までリアルに聞こえたため、特に「4つの伝説曲」では北欧のカレワラの霧の世界を思わせる神秘性は多少薄れた印象だったものの、音楽的には愉しめた。
「レミンカイネンとサーリの乙女たち」後半でぐいぐいと昂揚していく音の緊迫感と迫力、「トゥオネラのレミンカイネン」での弦楽器群の不気味な胎動など、特筆すべき見事さであった。
「トゥオネラの白鳥」の長いコール・アングレも悪くなかったが、そのこもりがちな音色がしばしば弦楽群の響きの中に埋没してしまい、黄泉の河の中に浮き沈みしつつ気弱に歌う白鳥とでもいったイメージになってしまったのは、少々違和感がある。もう少し「明確な姿」を現わして、嫋々と歌ってくれた方が悲劇感が出るのではないか?
最後の「レミンカイネンの帰郷」は、「暗」から「明」への移行感が極めて難しい曲だろう。島崎藤村の「草枕」後段におけるような表現が演奏でも可能にならないかと想像するのだが、それも実際に行うは難し、であろう。
しかし今日の演奏は丁寧だったし、最後まで造型を保ちつつ終結して行ったのは嬉しい。
尾高のシベリウスはやはり卓越した水準にある。札響も弦を中心に、いい音を出していた。つい最近レコーディングしたいくつかの作品も聴いてみたが、これも実に素晴らしい出来だ(フォンテックから今月出る)。
札響は北国のオーケストラだからシベリウスをやると上手い――などという俗説は私はあまり信用しないけれども、尾高忠明の指揮で「4つの伝説曲」を演奏するとなれば、シベリウス大ファンの私としては、ムード的にどうしても聴きたくなって来る。
折しも土・日の札幌では「嵐」の公演があるとかで、札幌行の飛行機といい、JR快速エアポートといい、若い女の子たちで超満員。――札響を東京から聴きに行った人だって少しは居たろうと思いたいが・・・・。
プログラムは「アンダンテ・フェスティーヴォ」「ヴァイオリン協奏曲」「4つの伝説曲」。いい選曲だ。
冒頭の小品は、一部の指揮者が時たまやるような「アレグロ」にもならず、逆に「アダージョ」にもならず、まさにモデラートなアンダンテのテンポで演奏された。弦楽合奏はかなり強い弾き方で演奏され、硬質でごつごつした響きに聞こえたが、作品の性格を考えれば、こういうがっしりした表現が合っているだろう。
「ヴァイオリン協奏曲」のソロはおなじみ竹澤恭子。9年前の尾高=札響の英国旅行で協演した時の快演を思い出す。この人の演奏も瑞々しさとともに強靭な造型を漲らせ、シベリウスの音楽の厳しさを表出して余すところが無い。
「4つの伝説曲」は、ナマではなかなか聴けない曲だ。いい曲なのに、残念である。構築の上で些か弱いところがあるため、捉えどころの無い音楽だと思われがちなのだろうか。
今日の尾高=札響の演奏も、作品全体をはっきりと隈取りした感のある構築ではあったが、しかしそうなるとなお、この曲の弱みが浮彫りにされるという皮肉な結果を生む(チャールズ・グローヴズが指揮したレコードのように、フワフワした演奏の方がむしろ雰囲気的に「いい意味で誤魔化せる」ことになるかもしれない)。
それはともかく、尾高=札響、熱演であった。聴いた席の位置のせいか、オーケストラの細部までリアルに聞こえたため、特に「4つの伝説曲」では北欧のカレワラの霧の世界を思わせる神秘性は多少薄れた印象だったものの、音楽的には愉しめた。
「レミンカイネンとサーリの乙女たち」後半でぐいぐいと昂揚していく音の緊迫感と迫力、「トゥオネラのレミンカイネン」での弦楽器群の不気味な胎動など、特筆すべき見事さであった。
「トゥオネラの白鳥」の長いコール・アングレも悪くなかったが、そのこもりがちな音色がしばしば弦楽群の響きの中に埋没してしまい、黄泉の河の中に浮き沈みしつつ気弱に歌う白鳥とでもいったイメージになってしまったのは、少々違和感がある。もう少し「明確な姿」を現わして、嫋々と歌ってくれた方が悲劇感が出るのではないか?
最後の「レミンカイネンの帰郷」は、「暗」から「明」への移行感が極めて難しい曲だろう。島崎藤村の「草枕」後段におけるような表現が演奏でも可能にならないかと想像するのだが、それも実際に行うは難し、であろう。
しかし今日の演奏は丁寧だったし、最後まで造型を保ちつつ終結して行ったのは嬉しい。
尾高のシベリウスはやはり卓越した水準にある。札響も弦を中心に、いい音を出していた。つい最近レコーディングしたいくつかの作品も聴いてみたが、これも実に素晴らしい出来だ(フォンテックから今月出る)。
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