2010・11・5(金)アンドリス・ネルソンス指揮ウィーン・フィル
ミューザ川崎シンフォニーホール 7時
名門ウィーン・フィルの日本公演に、久しぶりに若手指揮者が登場したのは大変喜ばしい。
今年まだ32歳のアンドリス・ネルソンス(ラトヴィア生れ)。既にバーミンガム、バイロイト、ウィーンをはじめ、欧州では赫々たる成功を収めつつある人だが、日本には今回が初お目見えだ。
今日は空席も多かったが、その実力を考えれば、彼の名のみでホールを満席にする日はそう遠くないだろう。現に今日は、彼へのソロ・カーテンコールもあった。早くも人気上昇中、祝着である。
これまで彼の指揮に接した機会はオペラばかりだったので、今回は初めて彼の指揮姿をじっくりと眺めることができた。見れば見るほど、その動作すべてが、彼の同郷の先輩にして師でもあるマリス・ヤンソンスにそっくりである。あんなにも生き写しになるものか。まるで指揮台にマリス本人が居るようにさえ思えて、何となく愉快になった。
プログラムの前半は、モーツァルトの「交響曲第33番(変ロ長調)」と、ハイドンの「交響曲第103番《太鼓連打》」。
弦12型でじっくりと鳴らす。後者でのティンパニも、変ホ音のみを漸強・漸弱のトレモロで響かせるという、ごくオーソドックスな手法である。あたかもウィーン古典派に関してはウィーン・フィルにお任せするといったような雰囲気もあって、演奏もまっとう過ぎるくらいであった。
しかし、2曲ともリズム感が明快でメリハリの極めて強い音づくりであったこと、あるいは前者の第4楽章の主題再現部に入るくだりで非常に劇的な盛り上げを聴かせたこと――などに若いネルソンスの意気と気魄が感じられたと言えようか。
だがネルソンス、休憩後の「新世界交響曲」にいたるや、今度は俺の領分だと言わんばかりに、目まぐるしい動きの指揮でウィーン・フィルを制御する。テンポ、アゴーギク、デュナーミク、すべてに秘術を尽した個性的な解釈の指揮ぶりだ。
第2楽章での思い入れたっぷりの情感、スケルツォでの嵐の如き突進、第4楽章再現部突入直後の個所での体当たり的な昂揚など、すこぶる見事なものであった。
こういう念入りな演奏のつくりが、作品の性格との肉離れを全く起こしていないところにも、ネルソンスの才能が感じられるだろう。
オーケストラとの呼吸は必ずしも合っているとも思えなかったが、この若さで天下の名門オケを引き摺り回す鼻息の荒さはたいしたものである。一方、この若者によく合わせてやっていたウィーン・フィルも、流石である。
アンコールは、ブラームスの「ハンガリー舞曲」(ドヴォルジャーク編曲)の「第20番」と「第21番」をセットで。
なるほど、この2曲は続けて演奏されると、ハンガリー舞曲「チャールダシュ」における形式「ラッシュー(遅)」と「シェベシュ(速)」に相当する形になるのだ――と改めて納得。
当然ながらプログラム第2部では弦16型での演奏であったが、この編成なら通常は8人いるはずのコントラバスが今は7人にとどまっていた光景は、何とも寂しく悼ましかった。来日中に予想外の事故で逝ったコントラバス奏者の冥福を祈りたい。
名門ウィーン・フィルの日本公演に、久しぶりに若手指揮者が登場したのは大変喜ばしい。
今年まだ32歳のアンドリス・ネルソンス(ラトヴィア生れ)。既にバーミンガム、バイロイト、ウィーンをはじめ、欧州では赫々たる成功を収めつつある人だが、日本には今回が初お目見えだ。
今日は空席も多かったが、その実力を考えれば、彼の名のみでホールを満席にする日はそう遠くないだろう。現に今日は、彼へのソロ・カーテンコールもあった。早くも人気上昇中、祝着である。
これまで彼の指揮に接した機会はオペラばかりだったので、今回は初めて彼の指揮姿をじっくりと眺めることができた。見れば見るほど、その動作すべてが、彼の同郷の先輩にして師でもあるマリス・ヤンソンスにそっくりである。あんなにも生き写しになるものか。まるで指揮台にマリス本人が居るようにさえ思えて、何となく愉快になった。
プログラムの前半は、モーツァルトの「交響曲第33番(変ロ長調)」と、ハイドンの「交響曲第103番《太鼓連打》」。
弦12型でじっくりと鳴らす。後者でのティンパニも、変ホ音のみを漸強・漸弱のトレモロで響かせるという、ごくオーソドックスな手法である。あたかもウィーン古典派に関してはウィーン・フィルにお任せするといったような雰囲気もあって、演奏もまっとう過ぎるくらいであった。
しかし、2曲ともリズム感が明快でメリハリの極めて強い音づくりであったこと、あるいは前者の第4楽章の主題再現部に入るくだりで非常に劇的な盛り上げを聴かせたこと――などに若いネルソンスの意気と気魄が感じられたと言えようか。
だがネルソンス、休憩後の「新世界交響曲」にいたるや、今度は俺の領分だと言わんばかりに、目まぐるしい動きの指揮でウィーン・フィルを制御する。テンポ、アゴーギク、デュナーミク、すべてに秘術を尽した個性的な解釈の指揮ぶりだ。
第2楽章での思い入れたっぷりの情感、スケルツォでの嵐の如き突進、第4楽章再現部突入直後の個所での体当たり的な昂揚など、すこぶる見事なものであった。
こういう念入りな演奏のつくりが、作品の性格との肉離れを全く起こしていないところにも、ネルソンスの才能が感じられるだろう。
オーケストラとの呼吸は必ずしも合っているとも思えなかったが、この若さで天下の名門オケを引き摺り回す鼻息の荒さはたいしたものである。一方、この若者によく合わせてやっていたウィーン・フィルも、流石である。
アンコールは、ブラームスの「ハンガリー舞曲」(ドヴォルジャーク編曲)の「第20番」と「第21番」をセットで。
なるほど、この2曲は続けて演奏されると、ハンガリー舞曲「チャールダシュ」における形式「ラッシュー(遅)」と「シェベシュ(速)」に相当する形になるのだ――と改めて納得。
当然ながらプログラム第2部では弦16型での演奏であったが、この編成なら通常は8人いるはずのコントラバスが今は7人にとどまっていた光景は、何とも寂しく悼ましかった。来日中に予想外の事故で逝ったコントラバス奏者の冥福を祈りたい。
コメント
ネルソンス、暴れてますね。
しかし、あと20年もすれば、丸く収まってしまうような気がします。ラトルやヤンソンスも、それぞれバーミンガム、オスロ時代は充実していましたが、名門オケの常任になると、遠慮しているのか、妙に大人しくなってしまいました。
思えば小澤氏も、66年のザルツブルクでは溌剌としていましたが、その後は・・・述べるまでもないでしょう。
若武者がヘンに悟ってしまったとき、ただの「指揮者」になってしまうのが怖ろしい。それは聴衆をひどく失望させます。トロントやシカゴ時代の小澤氏は・・・また昔話になってしまいますね。
しかし、あと20年もすれば、丸く収まってしまうような気がします。ラトルやヤンソンスも、それぞれバーミンガム、オスロ時代は充実していましたが、名門オケの常任になると、遠慮しているのか、妙に大人しくなってしまいました。
思えば小澤氏も、66年のザルツブルクでは溌剌としていましたが、その後は・・・述べるまでもないでしょう。
若武者がヘンに悟ってしまったとき、ただの「指揮者」になってしまうのが怖ろしい。それは聴衆をひどく失望させます。トロントやシカゴ時代の小澤氏は・・・また昔話になってしまいますね。
あと、オケマンの事故は残念でした。
シロウトはネット上で、「遊んでいるなんて!」とか「あまりにも緊張感がない」とか批判していますが、野暮というもの。自分のスノビズムを露呈しているに過ぎません。オケマンは芸術家と言うよりは肉体労働者なのです。巡業先でうまい物を食い、名所に行き、女を・・・(中略)・・・のは、彼らにとっては当たり前です。
しかし、冬の富士山とは・・・。オケマンは自由行動が基本とはいえ、フィルハーモニカの職員や、招聘元であるカジモトは、ある程度行動を把握する必要があったと思います。銀座やアキバならともかく、野外活動ならなおさらです。
音楽評論家の方々は、「お悔やみ申し上げる」だけではなく、関係者に再発防止を促すべきです。それが、バス奏者への最大の供養です。
たまに海外に出る日本のオケも、気をつけて頂きたい。
シロウトはネット上で、「遊んでいるなんて!」とか「あまりにも緊張感がない」とか批判していますが、野暮というもの。自分のスノビズムを露呈しているに過ぎません。オケマンは芸術家と言うよりは肉体労働者なのです。巡業先でうまい物を食い、名所に行き、女を・・・(中略)・・・のは、彼らにとっては当たり前です。
しかし、冬の富士山とは・・・。オケマンは自由行動が基本とはいえ、フィルハーモニカの職員や、招聘元であるカジモトは、ある程度行動を把握する必要があったと思います。銀座やアキバならともかく、野外活動ならなおさらです。
音楽評論家の方々は、「お悔やみ申し上げる」だけではなく、関係者に再発防止を促すべきです。それが、バス奏者への最大の供養です。
たまに海外に出る日本のオケも、気をつけて頂きたい。
私のドイツ人友人がソリストとして来日したとき、自由時間を利用して、富士山に登ろうか、日光に行こうかと迷っていたので、迷わず富士山はやめて、日光になさいな、と忠言したことを思い出しました。みなさん日本の富士山には憧れがあるようです。美術のジャポニズムでも浮世絵の富士山の絵は知られていますし。オーストリアの方ならば、山歩きには慣れていて、冬の山の怖さもご存知だったのではと思われるだけに、残念です。時差などでお疲れがあったかもしれません。ヨーロッパでは歌劇場専属歌手は冬のスキーはご法度だったと聞いたこともあります。きまりが出来るくらい、皆さん、演奏の合間は活発なのです。それも音楽の活力につながる底力でしょう。それにしても今回の不慮の事故、お国のご家族のことを思うといたたまれません。ご冥福を心からお祈りいたします。
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しかし「予想外の事故」ではないように思います。