2009・5・16日(土)能「隅田川」&オペラ「カーリュウ・リヴァー」
いずみホール
大阪城公演の近くにある「いずみホール」の意欲的なオリジナル企画、能とオペラの2本立て上演を観る。客席数ほぼ800のこのホールにふさわしいプロダクションだ。
ある春の日の夕方近く、隅田川の渡しに、都から人を探して旅して来たという狂女(実際には所謂狂人でなく、多少変わった言動を示す程度の女をさす)が現われ、舟に乗せてくれと頼む。
一同が対岸に渡る間、船頭はある物語を聞かせる――1年前のちょうど今日、人買いに連れられた一人の少年が、旅の疲れによる病のため、人々の看護も空しく此処で息を引き取ったこと。今日はその小さな墓の前で供養が行なわれること。
だが、話の中に、狂女は恐ろしい事実を知る――その少年こそは、彼女がはるばる都から捜し求めて来た、人買いに攫われた我が子であることを! 「いつかは会えると思うたに、此処であの子の死を知るとは」と彼女は悲嘆に打ちひしがれるが、人々に慰められ、気を取り直して供養の念仏を唱え始める。船客一同も声を合わせる。すると突然その読経の中に、何処からともなく子供の声が交じって聞こえて来るのだった――。
これが観世元雅の能「隅田川」の物語だが、ブリテン(ウィリアム・プルーマー台本)は、これをかなり忠実に「カーリュウ・リヴァー」としてオペラ化した。
異なるのは、ラストシーンだけである。原作の「隅田川」では、母の南無阿弥陀仏の声の中に子供の幻が現われ、涙とともに縋る母を残してまた消えて行き、空が白めばただ茫々たる野原と墓が残るばかり――という、いかにも日本人好みの「あはれ」を感じさせる結末を採る。
一方、西欧人たるブリテンのオペラでは、祈りの歌は当然キリスト教の「キリエ・エレイソン」となり、子供の声が死者の復活と、いずれは天国で再会できることを伝え、「アーメン」の祈りで結ばれ、母の救済と浄化を描いて終る。しかも全体は、所謂「奇蹟劇」の形を採るという構成である。
4年前(2005年)の9月10日に豊田市コンサートホールで上演された「2本立て」は、五十六世梅若六郎の演出だった(「隅田川」での狂女役も演じた)が、今回は岩田達宗の演出だ。
特にオペラでは、簡素で要を得た舞台作りが小規模劇場にふさわしい。これで充分である。なまじ欧州流行の演出のようなあざとい読み替えなどせず、このようにストレートに描いてくれた方が、われわれもヒューマンな情感を共有することができる。
梅若演出では、オペラの最後は舞台にぽつんと十字架が残る光景のまま終ったと記憶しているが、今回の岩田演出ではオリジナル通りに修道士たちが劇の衣装から修道服に戻る場面とし、「奇蹟劇」としての性格を再現していた。ただ、私個人としては能の物語の方に涙腺を刺激されたことを告白しておこう。やはり日本人なのだな、と思う。
「隅田川」では、シテ役の狂女を演じた九世観世銕之丞、ワキ役の渡守・福王和幸、ワキツレの旅人・福王知登らが、さすがの巧味。狂女の声は少しこもって聞き取り難かったが、これはつけていた面のせいであろう。鼓の音色も含め、クラシック音楽用ホール特有の残響の多さが能に合わぬと指摘していた人もいたが、私にはそのような欠点は全く感じられなかった。いずれにせよ字幕が使われていたので、候文の多い言葉もよく理解できたつもりである。
唯一つ、最後に突然読経の声に加わって来る子供の声は――ここはブリテンに凄まじい衝撃を与えたという個所だが――今回はいかにも素人的な発声で念仏と溶け合わず、興を殺いだ。「涙と感動」を薄れさせた唯一の個所はここである。
豊田での上演ではこの声はもっと美しく、いかにも夢幻的な趣を出していたように記憶する。あの時には、男声ばかりの響きの中にいきなり優しい子供の声が溶け合って聞こえて来た瞬間、われわれもぎょっとして、胸が締めつけられるような思いになったものだった。
オペラ「カーリュウ・リヴァー」の方は、豊田でも狂女を歌い演じていた経種廉彦が、当時よりもいっそう練れた表現で同じ役を披露した。船頭役の晴雅彦と旅人役の西田昭広もすばらしく、この2人の優れた歌唱が何より全体の出来を引き立てていたと思う。他に少年の霊(陰歌)を老田裕子、修道士長を花月真。修道士たち(合唱)は演技はイマイチだったが、音楽的には充分。高関健が指揮する7人の奏者(いずみシンフォニエッタ大阪のメンバー)もいい演奏をしてくれた。
能の方で、子供の亡霊を実際に舞台上に登場させるのは神秘性を欠くのではないか、という思いを豊田で観た時にも抱いたものだ。が、今回のプログラムで笠井賢一氏の解説を読み、その意味が理解できた。
当時、元雅の父に当る世阿弥は「夢幻的な世界観」に基づき、子供の亡霊の登場は必要ないと主張したのに対し、元雅は「直接的に人の心に訴える」のを狙いとして、子方の演技を断固として主張したのだという。たしかに、「母が子の亡霊を抱こうとして追いすがるものの、それはすり抜けてしまう」ことが実際に語られている。そして、これがリアルな感動を呼び起こすのも事実だろう。
一方、オペラの方では、あくまで形而上的なものとして、子役が登場しないようになっている。これもまた必然的であり、よく理解できるというものだ。
この企画は成功であり、いい上演だった。東西文化の出会いと融合、共通のドラマトゥルギーが存在することを説いていた方も多い。それはそれで尤もである。
ただ私にはむしろ、同じ物語を扱いつつも最後は「もののあはれ」に終る日本的な心情と、あくまで論理的な救済を求めるキリスト教徒的な心理との違いの方が、より面白く感じられたのだった。
オペラの最後、修道士たちが聖歌を歌いながらゆっくりと退場している際に早くも盛大な拍手が起こってしまい、最後の「アーメン」が全く聞こえなくなってしまったのは惜しい。いくら感動のあまりとはいえ、これは早すぎた。
大阪城公演の近くにある「いずみホール」の意欲的なオリジナル企画、能とオペラの2本立て上演を観る。客席数ほぼ800のこのホールにふさわしいプロダクションだ。
ある春の日の夕方近く、隅田川の渡しに、都から人を探して旅して来たという狂女(実際には所謂狂人でなく、多少変わった言動を示す程度の女をさす)が現われ、舟に乗せてくれと頼む。
一同が対岸に渡る間、船頭はある物語を聞かせる――1年前のちょうど今日、人買いに連れられた一人の少年が、旅の疲れによる病のため、人々の看護も空しく此処で息を引き取ったこと。今日はその小さな墓の前で供養が行なわれること。
だが、話の中に、狂女は恐ろしい事実を知る――その少年こそは、彼女がはるばる都から捜し求めて来た、人買いに攫われた我が子であることを! 「いつかは会えると思うたに、此処であの子の死を知るとは」と彼女は悲嘆に打ちひしがれるが、人々に慰められ、気を取り直して供養の念仏を唱え始める。船客一同も声を合わせる。すると突然その読経の中に、何処からともなく子供の声が交じって聞こえて来るのだった――。
これが観世元雅の能「隅田川」の物語だが、ブリテン(ウィリアム・プルーマー台本)は、これをかなり忠実に「カーリュウ・リヴァー」としてオペラ化した。
異なるのは、ラストシーンだけである。原作の「隅田川」では、母の南無阿弥陀仏の声の中に子供の幻が現われ、涙とともに縋る母を残してまた消えて行き、空が白めばただ茫々たる野原と墓が残るばかり――という、いかにも日本人好みの「あはれ」を感じさせる結末を採る。
一方、西欧人たるブリテンのオペラでは、祈りの歌は当然キリスト教の「キリエ・エレイソン」となり、子供の声が死者の復活と、いずれは天国で再会できることを伝え、「アーメン」の祈りで結ばれ、母の救済と浄化を描いて終る。しかも全体は、所謂「奇蹟劇」の形を採るという構成である。
4年前(2005年)の9月10日に豊田市コンサートホールで上演された「2本立て」は、五十六世梅若六郎の演出だった(「隅田川」での狂女役も演じた)が、今回は岩田達宗の演出だ。
特にオペラでは、簡素で要を得た舞台作りが小規模劇場にふさわしい。これで充分である。なまじ欧州流行の演出のようなあざとい読み替えなどせず、このようにストレートに描いてくれた方が、われわれもヒューマンな情感を共有することができる。
梅若演出では、オペラの最後は舞台にぽつんと十字架が残る光景のまま終ったと記憶しているが、今回の岩田演出ではオリジナル通りに修道士たちが劇の衣装から修道服に戻る場面とし、「奇蹟劇」としての性格を再現していた。ただ、私個人としては能の物語の方に涙腺を刺激されたことを告白しておこう。やはり日本人なのだな、と思う。
「隅田川」では、シテ役の狂女を演じた九世観世銕之丞、ワキ役の渡守・福王和幸、ワキツレの旅人・福王知登らが、さすがの巧味。狂女の声は少しこもって聞き取り難かったが、これはつけていた面のせいであろう。鼓の音色も含め、クラシック音楽用ホール特有の残響の多さが能に合わぬと指摘していた人もいたが、私にはそのような欠点は全く感じられなかった。いずれにせよ字幕が使われていたので、候文の多い言葉もよく理解できたつもりである。
唯一つ、最後に突然読経の声に加わって来る子供の声は――ここはブリテンに凄まじい衝撃を与えたという個所だが――今回はいかにも素人的な発声で念仏と溶け合わず、興を殺いだ。「涙と感動」を薄れさせた唯一の個所はここである。
豊田での上演ではこの声はもっと美しく、いかにも夢幻的な趣を出していたように記憶する。あの時には、男声ばかりの響きの中にいきなり優しい子供の声が溶け合って聞こえて来た瞬間、われわれもぎょっとして、胸が締めつけられるような思いになったものだった。
オペラ「カーリュウ・リヴァー」の方は、豊田でも狂女を歌い演じていた経種廉彦が、当時よりもいっそう練れた表現で同じ役を披露した。船頭役の晴雅彦と旅人役の西田昭広もすばらしく、この2人の優れた歌唱が何より全体の出来を引き立てていたと思う。他に少年の霊(陰歌)を老田裕子、修道士長を花月真。修道士たち(合唱)は演技はイマイチだったが、音楽的には充分。高関健が指揮する7人の奏者(いずみシンフォニエッタ大阪のメンバー)もいい演奏をしてくれた。
能の方で、子供の亡霊を実際に舞台上に登場させるのは神秘性を欠くのではないか、という思いを豊田で観た時にも抱いたものだ。が、今回のプログラムで笠井賢一氏の解説を読み、その意味が理解できた。
当時、元雅の父に当る世阿弥は「夢幻的な世界観」に基づき、子供の亡霊の登場は必要ないと主張したのに対し、元雅は「直接的に人の心に訴える」のを狙いとして、子方の演技を断固として主張したのだという。たしかに、「母が子の亡霊を抱こうとして追いすがるものの、それはすり抜けてしまう」ことが実際に語られている。そして、これがリアルな感動を呼び起こすのも事実だろう。
一方、オペラの方では、あくまで形而上的なものとして、子役が登場しないようになっている。これもまた必然的であり、よく理解できるというものだ。
この企画は成功であり、いい上演だった。東西文化の出会いと融合、共通のドラマトゥルギーが存在することを説いていた方も多い。それはそれで尤もである。
ただ私にはむしろ、同じ物語を扱いつつも最後は「もののあはれ」に終る日本的な心情と、あくまで論理的な救済を求めるキリスト教徒的な心理との違いの方が、より面白く感じられたのだった。
オペラの最後、修道士たちが聖歌を歌いながらゆっくりと退場している際に早くも盛大な拍手が起こってしまい、最後の「アーメン」が全く聞こえなくなってしまったのは惜しい。いくら感動のあまりとはいえ、これは早すぎた。
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