2009・5・15(金)あらかわバイロイト ワーグナー「パルジファル」
サンパール荒川大ホール
あらかわバイロイト――とは、よくまあ大胆な名前をつけたもの。
主催は東京国際芸術協会(TIAA)と荒川オペラ劇場、共催が荒川区地域振興公社。後援にはドイツ大使館、二期会、ワーグナー協会が名を連ねている。
今年からワーグナーのオペラを、年に一つずつ上演して行くとのこと。初弾をいきなり最後の作品「パルジファル」で放った。その意気や好し。
このプロダクションは、ドイツの「ロストック市立国民劇場」との共同制作である由。同劇場の総監督を昨年まで勤めたシュテフェン・ピオンテックが演出、同劇場舞台装置主任のマイク・ハーネが美術を担当、同劇場第一指揮者クリスティアン・ハンマーが指揮を執った(3日公演のうち中日は珠川秀夫が指揮)。
結論から先に言うと、これは一つの快挙だ。
そもそもこのオペラが日本では滅多に上演されないことを思えば、取上げたこと自体にまず大きな意義があるだろう。そして上演の水準も、予想されたよりしっかりしている。規模こそ小さいけれども、それなりに概して丁寧に作ってあるところに、良心的な制作姿勢を感じさせる。
舞台装置はきわめて質素で、しかも博物館から借りて来たような旧いタイプのものだが、今でも東欧の歌劇場の来日公演などでは、このような舞台が多い。驚くには当るまい。
演技も、まずまずだろう。棒立ちになったまま歌わせた新国立劇場での某イタリア人演出家のそれよりも、よほどまともである。
オーケストラも(メンバー表によれば)弦はわずか7型という小さなものだが、昔のドイツの地方歌劇場では「指環」をも4型で挑戦したという話も伝わっている。上演の機会が少なければ、それでもやりたいという意欲がオペラ関係者の間に沸いて来るのは当然のこと。
昔と今とは違う、などと嗤ってはならぬ。今日の日本と、どれほどの差があろう?
演奏したTIAAフィルハーモニー管弦楽団は、フリーの若手を集めたオーケストラだそうで、結構達者な腕を持っているようである。
前奏曲の6小節目で金管とティンパニが柔らかく入って来た時には、これは間違いなく「パルジファル」の音楽になっているとさえ感じられたほどだ。第1幕で頑張りすぎたか、第2幕以降は多少もどかしい部分もあったが、全曲大詰めの浄化の場面などはなかなか雰囲気のある音楽になっていた。
ただ、超小編成の弦の音は、メロディアスな個所こそ室内楽的な味も感じさせて悪くないものの、ワーグナーの音楽に絶対不可欠なトレモロの個所では、いかんせん迫力を欠いて致命的である。
しかし、このあたりは、ピアニシモをもっと強く弾かせるとか、テンポを加減するとかで解決できたのではないか? 指揮のクリスティアン・ハンマーは手堅く纏める人で、この上演を成功させた功労者だろうが、小編成のオケを大編成のオケと同じようなテンポで制御したのは、音の「間」をもたせられなかった点で――特に第2幕以降――多少疑問を抱かせる。つまり、小さい編成の場合にはもう少し速めのテンポを採った方が効果的ではないかと思うのだが・・・・。
歌手陣も大健闘だった。アムフォルタス王の太田直樹、ティトゥレル老王の志村文彦、老騎士グルネマンツの大塚博章が安定した歌唱表現と演技を示し、魔人クリングゾルの田辺とおる(この公演の監督でもある)は悪役的大見得で一際存在感を示した。
一方、「謎の女」クンドリーの蔵野蘭子は、ワーグナーものでは既に実績を上げている人だし、声もきれいだが、この役には声質が明るすぎるのではないか? 愚者パルジファルの小貫岩夫もよくやったが、演技の方はもう少し勉強していただきたいところ。
なお合唱(あらかわバイロイト合唱団)は、演技も歌も、根本的にいけない。音楽的に足を引っ張ったのは、この合唱だ。「花の乙女たち」も、何か衣装がハワイアンのようで、どうもサマにならぬ。
演出に関しては、舞台装置と同様、意図的に古色蒼然たるものにしたのだろう。穿り出せばキリがないが、このスタイルにおいては可もなく不可もなしと思うことにしよう。ただ、音楽と全く同じテンポで演技を進めた場合、その「間」を保たせるのがいかに難しいものであるか、今回の舞台を観ていてつくづく実感させられたのであった。
今回の上演は3回で、トリプルキャスト。来年は「トリスタンとイゾルデ」を手がけるとのことである。
あらかわバイロイト――とは、よくまあ大胆な名前をつけたもの。
主催は東京国際芸術協会(TIAA)と荒川オペラ劇場、共催が荒川区地域振興公社。後援にはドイツ大使館、二期会、ワーグナー協会が名を連ねている。
今年からワーグナーのオペラを、年に一つずつ上演して行くとのこと。初弾をいきなり最後の作品「パルジファル」で放った。その意気や好し。
このプロダクションは、ドイツの「ロストック市立国民劇場」との共同制作である由。同劇場の総監督を昨年まで勤めたシュテフェン・ピオンテックが演出、同劇場舞台装置主任のマイク・ハーネが美術を担当、同劇場第一指揮者クリスティアン・ハンマーが指揮を執った(3日公演のうち中日は珠川秀夫が指揮)。
結論から先に言うと、これは一つの快挙だ。
そもそもこのオペラが日本では滅多に上演されないことを思えば、取上げたこと自体にまず大きな意義があるだろう。そして上演の水準も、予想されたよりしっかりしている。規模こそ小さいけれども、それなりに概して丁寧に作ってあるところに、良心的な制作姿勢を感じさせる。
舞台装置はきわめて質素で、しかも博物館から借りて来たような旧いタイプのものだが、今でも東欧の歌劇場の来日公演などでは、このような舞台が多い。驚くには当るまい。
演技も、まずまずだろう。棒立ちになったまま歌わせた新国立劇場での某イタリア人演出家のそれよりも、よほどまともである。
オーケストラも(メンバー表によれば)弦はわずか7型という小さなものだが、昔のドイツの地方歌劇場では「指環」をも4型で挑戦したという話も伝わっている。上演の機会が少なければ、それでもやりたいという意欲がオペラ関係者の間に沸いて来るのは当然のこと。
昔と今とは違う、などと嗤ってはならぬ。今日の日本と、どれほどの差があろう?
演奏したTIAAフィルハーモニー管弦楽団は、フリーの若手を集めたオーケストラだそうで、結構達者な腕を持っているようである。
前奏曲の6小節目で金管とティンパニが柔らかく入って来た時には、これは間違いなく「パルジファル」の音楽になっているとさえ感じられたほどだ。第1幕で頑張りすぎたか、第2幕以降は多少もどかしい部分もあったが、全曲大詰めの浄化の場面などはなかなか雰囲気のある音楽になっていた。
ただ、超小編成の弦の音は、メロディアスな個所こそ室内楽的な味も感じさせて悪くないものの、ワーグナーの音楽に絶対不可欠なトレモロの個所では、いかんせん迫力を欠いて致命的である。
しかし、このあたりは、ピアニシモをもっと強く弾かせるとか、テンポを加減するとかで解決できたのではないか? 指揮のクリスティアン・ハンマーは手堅く纏める人で、この上演を成功させた功労者だろうが、小編成のオケを大編成のオケと同じようなテンポで制御したのは、音の「間」をもたせられなかった点で――特に第2幕以降――多少疑問を抱かせる。つまり、小さい編成の場合にはもう少し速めのテンポを採った方が効果的ではないかと思うのだが・・・・。
歌手陣も大健闘だった。アムフォルタス王の太田直樹、ティトゥレル老王の志村文彦、老騎士グルネマンツの大塚博章が安定した歌唱表現と演技を示し、魔人クリングゾルの田辺とおる(この公演の監督でもある)は悪役的大見得で一際存在感を示した。
一方、「謎の女」クンドリーの蔵野蘭子は、ワーグナーものでは既に実績を上げている人だし、声もきれいだが、この役には声質が明るすぎるのではないか? 愚者パルジファルの小貫岩夫もよくやったが、演技の方はもう少し勉強していただきたいところ。
なお合唱(あらかわバイロイト合唱団)は、演技も歌も、根本的にいけない。音楽的に足を引っ張ったのは、この合唱だ。「花の乙女たち」も、何か衣装がハワイアンのようで、どうもサマにならぬ。
演出に関しては、舞台装置と同様、意図的に古色蒼然たるものにしたのだろう。穿り出せばキリがないが、このスタイルにおいては可もなく不可もなしと思うことにしよう。ただ、音楽と全く同じテンポで演技を進めた場合、その「間」を保たせるのがいかに難しいものであるか、今回の舞台を観ていてつくづく実感させられたのであった。
今回の上演は3回で、トリプルキャスト。来年は「トリスタンとイゾルデ」を手がけるとのことである。
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