2021・11・27(土)東京二期会:J・シュトラウスⅡ:「こうもり」
日生劇場 2時
2017年に上演されたアンドレアス・ホモキ演出によるプロダクションの再演。ただし日本側の演出補(助手)は、前回の菅尾友から、今回は上原真希に変わっている。
また今回は、川瀬賢太郎が東京交響楽団を指揮、歌手陣(公演3日目の今日はAキャスト)も━━又吉秀樹(アイゼンシュタイン)、幸田浩子(ロザリンデ)、宮本益光(ファルケ)、高橋維(アデーレ)、斉木健詞(フランク)、澤原行正(アルフレード)、郷家暁子(オルロフスキー)、渡邊史(イダ)、高梨英次郎(ブリント)、森公美子(フロッシュ)となっていた。前回上演の時とは、宮本益光以外はすべて替わっている。
演出と舞台については、前回(☞2017年11月24日)に詳しく書いた。
今回も基本的には同じなのだが、ただ人物の動きが━━特に大勢のパーティ客らの動きに、何となく隙間が感じられ、鈍いような気もしたのだが、何処がどう違っていたと言えるほどの確証はない。コロナ対策上、動きを少なく、遅くしたこともあるのかもしれない。
ただ私の主観では、どうも今回は、プレミエ時に比べると、所謂「日本人オペレッタ的な舞台」に逆戻りしたような感も抑えきれなかったのだが‥‥。
歌唱では、宮本益光が練達の安定した味を聴かせて舞台を引き締め、又吉秀樹が朗々たる声を披露、斉木健詞が重みのある刑務所長を聴かせたことなどをはじめ、皆それぞれ責任を果たしていた。
ただし、重要な日本語セリフの部分では、女声歌手の何人かに、相変わらず頭の天辺から声を出すような旧態依然の発声のセリフ回しが多く聞かれて、これは日本のオペラとしてちっとも進歩していないな、と落胆させられる。
その点、斉木健詞が刑務所でフロッシュの一人芝居を「長い!」とたしなめるあたりの自然な会話調のセリフは最も聞きやすく、観客の自然な笑いを誘う基ともなっていただろう。そのフロッシュ役の森公美子のセリフ回しは(ちと長かったのは確かだが)やはりサマになる。
川瀬賢太郎のオペレッタ指揮は、私は今回初めて聴いた。ピットの壁越しにいつもの獅子奮迅の身振りが見えただけだが、聴いた感じではテンポの速い颯爽たる演奏で、セリフとの受け継ぎ・受け渡しの呼吸も巧く、いい流れをつくっていたと思う。
東響がピットの中での演奏としては久しぶりに引き締まった音を聴かせてくれていたのも祝着である。
「シャンパンの歌」で幕をいったん閉じる2幕構成で、20分強の休憩を含み、終演は5時少し前。
2017年に上演されたアンドレアス・ホモキ演出によるプロダクションの再演。ただし日本側の演出補(助手)は、前回の菅尾友から、今回は上原真希に変わっている。
また今回は、川瀬賢太郎が東京交響楽団を指揮、歌手陣(公演3日目の今日はAキャスト)も━━又吉秀樹(アイゼンシュタイン)、幸田浩子(ロザリンデ)、宮本益光(ファルケ)、高橋維(アデーレ)、斉木健詞(フランク)、澤原行正(アルフレード)、郷家暁子(オルロフスキー)、渡邊史(イダ)、高梨英次郎(ブリント)、森公美子(フロッシュ)となっていた。前回上演の時とは、宮本益光以外はすべて替わっている。
演出と舞台については、前回(☞2017年11月24日)に詳しく書いた。
今回も基本的には同じなのだが、ただ人物の動きが━━特に大勢のパーティ客らの動きに、何となく隙間が感じられ、鈍いような気もしたのだが、何処がどう違っていたと言えるほどの確証はない。コロナ対策上、動きを少なく、遅くしたこともあるのかもしれない。
ただ私の主観では、どうも今回は、プレミエ時に比べると、所謂「日本人オペレッタ的な舞台」に逆戻りしたような感も抑えきれなかったのだが‥‥。
歌唱では、宮本益光が練達の安定した味を聴かせて舞台を引き締め、又吉秀樹が朗々たる声を披露、斉木健詞が重みのある刑務所長を聴かせたことなどをはじめ、皆それぞれ責任を果たしていた。
ただし、重要な日本語セリフの部分では、女声歌手の何人かに、相変わらず頭の天辺から声を出すような旧態依然の発声のセリフ回しが多く聞かれて、これは日本のオペラとしてちっとも進歩していないな、と落胆させられる。
その点、斉木健詞が刑務所でフロッシュの一人芝居を「長い!」とたしなめるあたりの自然な会話調のセリフは最も聞きやすく、観客の自然な笑いを誘う基ともなっていただろう。そのフロッシュ役の森公美子のセリフ回しは(ちと長かったのは確かだが)やはりサマになる。
川瀬賢太郎のオペレッタ指揮は、私は今回初めて聴いた。ピットの壁越しにいつもの獅子奮迅の身振りが見えただけだが、聴いた感じではテンポの速い颯爽たる演奏で、セリフとの受け継ぎ・受け渡しの呼吸も巧く、いい流れをつくっていたと思う。
東響がピットの中での演奏としては久しぶりに引き締まった音を聴かせてくれていたのも祝着である。
「シャンパンの歌」で幕をいったん閉じる2幕構成で、20分強の休憩を含み、終演は5時少し前。
先生言われる「日本人のオペレッタ」は、昔ながらの親しみ易さも生んでいたかも。反面各キャストの存在感は薄れていた。ロザリンデ、フランク、オルロフスキ、アデーレなど、配役の歌唱は巧みと言ってよいが、個性は感じられない。むしろオケの方が、デッドなこのホールを意識した快活爽快な音楽を奏でていた。