2021・11・20(土)みちのくオーケストラ巡礼記第3日 群馬交響楽団
高崎芸術劇場 大劇場 4時
仙台駅を午後0時31分の「はやぶさ」で発ち、次の駅の大宮で「はくたか」に乗り換え、次の駅の高崎に2時14分に着く。大回りのコースだがこれは速い。どちらの新幹線もぎっしり満席だ。家族連れも多い。もうほとんど日常の生活が戻って来たようにも見える。
今日は群馬交響楽団。1945年、終戦直後に創立された「高崎市民オーケストラ」を前身とする、映画「ここに泉あり」で有名な楽団だ。現在のシェフはミュージック・アドバイザーの小林研一郎。ただし今日の客演指揮は、井上道義である。コンサートマスターは伊藤文乃。
一昨年秋に竣工した「高崎芸術劇場」の中にある大ホールに拠点を移したことは、この群響にとって大きな転換期となったことだろう。以前の音楽堂では不可能だった超大編成の作品をも楽々と響かせることができるようになったからだ。
今日のプログラムに含まれている石井真木の「モノ・プリズム」のような、巨大な和太鼓群が咆哮怒号する作品は、大ホールでなければとても演奏できないものだろう。
プログラムの前半には、伊福部昭の「日本狂詩曲」と、矢代秋雄の「交響曲」が組まれていた。すこぶる意欲的な選曲で、群響の並々ならぬ姿勢が窺われるが、どれも編成が大きい上に大変な数の打楽器を必要とするため、制作費は猛烈にかかるだろう。そう度々できる企画ではあるまい。
井上道義は、例の踊るような派手な指揮で、この日本の3作品を愉しく、充実感豊かに聴かせてくれた。
伊福部昭の出世作「日本狂詩曲」は、所謂伊福部節が果てしなく続く独特の世界だが、しかし今日の演奏は、ちょっと賑やか過ぎたような気がしないでもなく、この曲の良さはもう少し鄙びた味の部分にあるのではないか、とも思われる。
一方、矢代秋雄の「交響曲」は、周知の如く「日本フィルシリーズ」の第1作に当たる1958年の作品であり、演奏回数も比較的多い部類に属するだろう。現代の優れたオーケストラの演奏で再生されると、当時はあまり意識されなかったこの曲の緻密なふくよかさと、壮大な高貴さが見事に伝わって来るように思う。あの頃のわが国の作曲家たちの作品が如何に高度な域に達していたか、改めて聴くたびにその驚きは増すばかりである。もっと広く演奏されて然るべきだろう。
井上の指揮に群響もよく応えていた。この曲が、今日は最も感動的な音楽であり、魅力的な演奏だったのではないか。それにしても、群響は素晴らしく大きな音を響かせるものだと感嘆する。
「モノ・プリズム」では、林英哲と「英哲風雲の会」が協演する。一つの大太鼓、三つの中太鼓、七つの小さな締太鼓がステージ上に並び、同じく多数の打楽器陣を擁したオーケストラと激しく呼応する、何とも物凄い大音響の作品である。林英哲を含め、7人の奏者が出演した。
大太鼓のみはステージの奥に設置され、その他はステージ前面に並ぶ。日本の大気の中では、洋楽器よりも和楽器の方が鳴りがいいという特性があるので、これらの太皷群が一斉に響きはじめると、オーケストラの音は完全に吹っ飛んでしまう。主役は完全に和太鼓群となった。林英哲が相変わらず健在なのは嬉しい限りである。
なお今回は照明演出も加わり、曲の中頃で英哲を含む2人が大太鼓を打ち続ける長い個所では、ステージを暗くして大太鼓のみに光を当て、その大太鼓の向こう側にいる奏者をシルエットで浮かび上がらせるという趣向も折り込まれていて、視覚的な迫力をいっそう増していた。
この曲の演奏を聴きながら、1976年12月に小澤征爾指揮の新日本フィルと鬼太鼓座により東京文化会館で行われたこの曲の日本初演を、FM東京の番組で収録放送した時のことを思い出した。あの時は、大太鼓はたしかステージ前面中央に置かれていたような記憶がある。従って物凄さは今日の数倍以上だったはず。しかし、そんな大音響を当時のワンポイント録音システムでよく収録できたものだと、今は信じられぬ思いである。
5時50分終演。「はくたか」でまた大宮に戻り、7時41分の「つばさ」で山形へ向かう。10時前に山形着。こちらは猛烈に冷える。
仙台駅を午後0時31分の「はやぶさ」で発ち、次の駅の大宮で「はくたか」に乗り換え、次の駅の高崎に2時14分に着く。大回りのコースだがこれは速い。どちらの新幹線もぎっしり満席だ。家族連れも多い。もうほとんど日常の生活が戻って来たようにも見える。
今日は群馬交響楽団。1945年、終戦直後に創立された「高崎市民オーケストラ」を前身とする、映画「ここに泉あり」で有名な楽団だ。現在のシェフはミュージック・アドバイザーの小林研一郎。ただし今日の客演指揮は、井上道義である。コンサートマスターは伊藤文乃。
一昨年秋に竣工した「高崎芸術劇場」の中にある大ホールに拠点を移したことは、この群響にとって大きな転換期となったことだろう。以前の音楽堂では不可能だった超大編成の作品をも楽々と響かせることができるようになったからだ。
今日のプログラムに含まれている石井真木の「モノ・プリズム」のような、巨大な和太鼓群が咆哮怒号する作品は、大ホールでなければとても演奏できないものだろう。
プログラムの前半には、伊福部昭の「日本狂詩曲」と、矢代秋雄の「交響曲」が組まれていた。すこぶる意欲的な選曲で、群響の並々ならぬ姿勢が窺われるが、どれも編成が大きい上に大変な数の打楽器を必要とするため、制作費は猛烈にかかるだろう。そう度々できる企画ではあるまい。
井上道義は、例の踊るような派手な指揮で、この日本の3作品を愉しく、充実感豊かに聴かせてくれた。
伊福部昭の出世作「日本狂詩曲」は、所謂伊福部節が果てしなく続く独特の世界だが、しかし今日の演奏は、ちょっと賑やか過ぎたような気がしないでもなく、この曲の良さはもう少し鄙びた味の部分にあるのではないか、とも思われる。
一方、矢代秋雄の「交響曲」は、周知の如く「日本フィルシリーズ」の第1作に当たる1958年の作品であり、演奏回数も比較的多い部類に属するだろう。現代の優れたオーケストラの演奏で再生されると、当時はあまり意識されなかったこの曲の緻密なふくよかさと、壮大な高貴さが見事に伝わって来るように思う。あの頃のわが国の作曲家たちの作品が如何に高度な域に達していたか、改めて聴くたびにその驚きは増すばかりである。もっと広く演奏されて然るべきだろう。
井上の指揮に群響もよく応えていた。この曲が、今日は最も感動的な音楽であり、魅力的な演奏だったのではないか。それにしても、群響は素晴らしく大きな音を響かせるものだと感嘆する。
「モノ・プリズム」では、林英哲と「英哲風雲の会」が協演する。一つの大太鼓、三つの中太鼓、七つの小さな締太鼓がステージ上に並び、同じく多数の打楽器陣を擁したオーケストラと激しく呼応する、何とも物凄い大音響の作品である。林英哲を含め、7人の奏者が出演した。
大太鼓のみはステージの奥に設置され、その他はステージ前面に並ぶ。日本の大気の中では、洋楽器よりも和楽器の方が鳴りがいいという特性があるので、これらの太皷群が一斉に響きはじめると、オーケストラの音は完全に吹っ飛んでしまう。主役は完全に和太鼓群となった。林英哲が相変わらず健在なのは嬉しい限りである。
なお今回は照明演出も加わり、曲の中頃で英哲を含む2人が大太鼓を打ち続ける長い個所では、ステージを暗くして大太鼓のみに光を当て、その大太鼓の向こう側にいる奏者をシルエットで浮かび上がらせるという趣向も折り込まれていて、視覚的な迫力をいっそう増していた。
この曲の演奏を聴きながら、1976年12月に小澤征爾指揮の新日本フィルと鬼太鼓座により東京文化会館で行われたこの曲の日本初演を、FM東京の番組で収録放送した時のことを思い出した。あの時は、大太鼓はたしかステージ前面中央に置かれていたような記憶がある。従って物凄さは今日の数倍以上だったはず。しかし、そんな大音響を当時のワンポイント録音システムでよく収録できたものだと、今は信じられぬ思いである。
5時50分終演。「はくたか」でまた大宮に戻り、7時41分の「つばさ」で山形へ向かう。10時前に山形着。こちらは猛烈に冷える。
矢代の交響曲も大好きな作品で、湯浅卓雄指揮アルスター管のCDを愛聴していますが、何よりも『モノ・プリズム』の実演を体験したかったのです。この作品が尾高賞を受賞した時、私はクラシックを聴き始めたばかりの小学生でした。テレビやFMでN響の演奏を時々聴いていたのですが、ブラームスもチャイコフスキーも満足に聴いたことのないまま出遭ったこの作品には心底驚かされたものです。
石井眞木はその後「オーケストラがやってきた」の司会を二年間務め、茶の間に知られるようになりましたが、現代の日本にこのような創造力溢れる優れた作曲家がいることに大変勇気付けられたものです。
私は大学進学で上京してから十数年都内に住んだことがあり、随分コンサート通いをしましたが、それ以外の時間は福島県の実家に住んでいます。関東地方、仙台、山形、金沢はマチネーなら新幹線で日帰り出来ますし、すぐ近くの福島空港から関西や札幌に出かけることも可能ですが、やはり地元にプロのオーケストラがないことの文化的デメリットはいくら強調してもしすぎることはありません。山響や群響をはじめとして、多くの日本のオーケストラは半世紀近くかかって今のレベルに到達しました。五十年後、相変わらず「西高東低」のままなのでしょうか。私がこの世にいることはないでしょうが、状況がどう変わっているのか確かめられないのが残念です。
余談ですが、私も19時41分の「つばさ」で帰宅しました。大宮駅のホームで東条先生の姿をお見かけしました。