2024-12

2021・11・18(木)みちのくオーケストラ巡礼記第1日 札幌交響楽団

      札幌文化芸術劇場hitaru  7時

 札幌は「みちのく」ではないだろうけれども、東京以北のプロ・オーケストラをそれぞれのホームグラウンドで4日間にまとめて聴けるというスケジュールが運良くまとまったので、実行に移した次第。

 たった4日間で━━言い換えれば、「日本オーケストラ連盟」に所属する正会員25団体と準会員13団体のうち、東京を除くそれ以北(埼玉県以北)の正会員のプロ・オーケストラは、4団体しかないということなのだ。準会員に至っては、1団体も無いのである。これは、静岡以西の正会員11団体、準会員9団体に比べると、何とも寂しい限りだ。わが国のオーケストラ界は、やはり「西高東低」なのだということを実感せざるを得ないだろう。

 だが見方を変えれば、これら東京以北のオーケストラがどんなに茨の道を歩み、頑張って来たかを実証していることにもなるだろう。その努力は今や立派に実って、これから聴こうとしている━━もちろん今までにもたびたび聴いているけれども━━4楽団の演奏水準は、「西」の各楽団に比べて負けず劣らず高い。

 さて、まずは今年ちょうど創立60周年を迎えている札幌交響楽団。
 首席指揮者にマティアス・バーメルトを擁するこの札響は、来年4月からは正指揮者に川瀬賢太郎を迎える。現・指揮者の松本宗利音は任期終了の由。また現在のコンサートマスターは田島高宏だが、4月より会田莉凡(あいだ・りぼん)が加わる。

 今日は友情客演指揮者の広上淳一(4月からは「友情指揮者」という肩書になる由)が指揮。外山雄三の「ノールショピング交響楽団のためのプレリュード」、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」(ソリストは外村理紗)、ドヴォルジャークの「交響曲第8番」を演奏した。
 コンサートマスターは客演の森下幸路。ただし、私の席の位置からは確認できなかったが、田島高宏も実は乗っていて、トップサイドに座っていたそうだ(その理由はよく解らない)。

 外山雄三の作品は、広上淳一が1991年にスウェーデンのノールショピング響に首席指揮者として迎えられた際、お披露目演奏会のために作曲されたものの由で、大編成の管弦楽による10分ほどの作品だ。日本の民謡が素材になっているものの、あの「管弦楽のためのラプソディ」のように民謡があからさまにメドレーで奏される類のものではない。もっとも、終り近くに富山の「こきりこ節」が打物陣を交えて軽やかに登場するくだりでは、やはり出たか、とニヤリとさせられるけれど。

 この「hitaru」(ヒタルと呼称する)は、時計台のすぐ近くに数年前に竣工したホールだが、オペラ上演はこれまでにも2、3回観に来たことはあるものの、オーケストラ単独の演奏会は今回初めて聴く。
 多目的な劇場ゆえに残響は少なく、あの素晴らしいホールkitaraで聴く札響とはかなり印象が違う。今回聴いた席(1階25列やや下手寄り)の所為かもしれないが、オーケストラが何かガリガリと演奏しているような音に感じられてしまうのだ。
 またこの席で聴くと、上手側に配置されているコントラバス群の音が全く響いて来ない。これはもしかしたら、袖に大きな隙間がある反響板の形態のためもあるのではないか?

 だが、そうした音響の中にあっても、ドヴォルジャークの「第8交響曲」での、強靱でありながらも柔軟な、過剰にならない哀愁の美しさを湛えた情感豊かな演奏は、広上淳一の卓越した指揮と、現在の札響の実力を最良の形で発揮した快演といっていいだろう。
 第1楽章の前半にはやや力みと硬さが残っていたようにも感じられたが、第2楽章の沈潜、第3楽章の民謡的な哀愁美など、実に快い演奏だった。

 第4楽章での例の「コガネムシ」や「ドライボーンズ」そっくりの愉快な個所での広上の踊るような指揮ぶりには吹き出しそうになったが、終演後の楽屋で彼は「それ、それよ、まさにそういう性格の音楽なのよ、あそこは」と、狙いが当たったとばかりの表情。
 今日の演奏ではトランペットが強力で、胸のすくような演奏を聴かせ、その他の楽器群も快調そのもの。札響の好調さを堪能させてくれた。これ1曲の演奏だけとっても、遠路遥々聴きに来た甲斐があったというものである。

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