2024-12

2021・11・7(日)広上淳一指揮京都市交響楽団 東京公演

      サントリーホール  2時

 京響を国内ベスト3に入るオーケストラに育てあげた常任指揮者兼芸術顧問(現肩書)の広上淳一が、来年3月末を以てついにポストを去る。今回の東京公演は、いわばそのコンビ終了の挨拶を兼ねてのもの、と言ったところか。

 プログラムは、ベートーヴェンの「交響曲第5番」とマーラーの「交響曲第5番」。何とも恐るべき曲目編成だ。先頃、あるトークステージで、選曲の意図はと問われたマエストロ広上が「ぼくの誕生日が5月5日なので」と、わけの解らない説明をしていたが、冗談にしても何にしても、戦艦が2隻一緒にやって来たようなこのプログラムの重量感は、凄まじい。

 「運命」は、両端楽章の提示部反復をしない演奏で、最近ではこのスタイルは珍しい。だがそれよりも、大きなオーケストラ編成で、何の衒いもなく、外連も仕掛けも誇張もなく、ひたすらストレートに滔々と押しながら、見事なほどたっぷりした響きを備えた風格のある音楽をつくり出すという演奏が、最近では珍しい範疇に入るだろう。
 こういう演奏の方がベートーヴェンの音楽の巨大性をより的確に再現するものだと私は思うのだが、その意味でもこれは、いい意味での威圧感といったものを生む。

 マーラーの「5番」でも、広上の獅子奮迅の指揮のもとで、京都市響は文字通り沸騰していた。アンサンブルの緻密さや、マーラーの音楽特有の微細な表情の再現などについては、以前の東京公演で演奏した「巨人」(→2014年3月16日)の方が凄かったと思うけれども、しかし今日の演奏でも、トランペットのソロもホルンのソロも、そしてもちろんホルン・セクションも木管の各セクションも見事であり、また第2楽章と第3楽章での弦楽器群の沸き立つ躍動も壮烈だった。
 東京のファンの中には、京響を初めて聴く人も少なくないだろうが、その人たちにとっても、西日本にはこんな凄いオケが「居る」のだということを知る、今日はいい機会ではなかったろうか。

 広上が京響の常任指揮者に就任したのは、2008年4月のこと。京響においては珍しい長期政権であった。彼が去った後も、京響はこの演奏水準を維持できるだろうか、などと余計なことにまで気をまわしてしまうのが、私の悪い癖だ。
 なお広上は、来年3月にマーラーの「第3交響曲」を指揮してお別れ定期とすることになっている。これも是非聴いてみたい。

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京響さんの底力!

東条先生のおっしゃるように、私も、京響さんは国内ベスト3に入るのでは、と感じます。人を惹き付ける魅力的なオケ。広上さんの魅力も相まって、素晴らしいオケになりました。来年3月の公演は是非拝聴したいです。これからも、魅力的なオケとして、ご活躍を期待しています!

「ベスト3」と端的におっしゃっていただけたこと、京都のファンとして、こころよりうれしく思います。

かつて、「どうか広上監督で、京都のホームゲームを聞いてやってください」
と泣訴(?)したことがございましたが、
http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-542.html
あれから10年、年々京響ファンは幸福な時を過ごせたと思います。

監督退任後の、先の心配ももちろんありますが、今年は(代演ではありましたが)大植英次さんの来演もあり、上々すばらしい出来でしたし、
なにより、アクセルロッドさんの春のブラームス・プロが、精緻で、そして異色でもあり、しかしまた説得力大の力演でもあったことなど思いますと、音楽上のコンディションの面では、まださらに先に大きな期待を持っているほどです。

そこでまた泣訴(?)なのですが、今月下旬には、英雄の生涯ほかでアクセルロッドさんの定期がございます。どうかまたお運びを願えませんでしょうか。

けれども京響にとっていま最大の問題は、興行面にあります。定期会員の命綱を一度切ってしまった代償はあまりに大きく、このことを思うと、現況では暗澹とするほかありません。おそらく在京オケとは比較にならぬほど、と思慮しています。

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