2018・10・26(金)METライブビューイング「アイーダ」
東劇 6時30分
ソニヤ・フリゼル演出、ジャンニ・クアランタ舞台美術によるMET定番の豪華絢爛のプロダクション。
出演は、アンナ・ネトレプコ(アイーダ)、アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(アムネリス)、アレクサンドルス・アントネンコ(ラダメス)、クイン・ケルシー(アモナズロ)、ディミトリ・ベロセルスキー(ラムフィス)、ライアン・スピード・グリーン(エジプト国王)。指揮がニコラ・ルイゾッティ。
今年のMETの開幕公演(9月24日)は新演出の「サムソンとダリラ(デリラ)」だったが、「ライブビューイング」の方は26日にシーズンプレミエされた「アイーダ」が先になった。これは、前者の映像収録が10月20日だったのに対し、後者は既に10月6日に収録されており、しかも題名役にアンナ・ネトレプコが出ていた、ということのためであろう。
そのネトレプコ、さすがの存在感。もともとこの演出は豪壮華麗な舞台の景観を優先し、微細な演技はあまり要求していない傾向があるが、それでもその様式の中で、彼女の演技はひときわ目立っていた感がある。特に第2幕第1場の最後、アムネリスに突き放されて絶望のどん底に陥った瞬間での彼女の歌と演技の見事さには、心を揺り動かされるものがあった。
一方、恋敵役のアムネリスを歌い演じたラチヴェリシュヴィリも、最大の見せ場たる第4幕前半では全力投球の熱演で、責任は果たしていただろう。ただ、悲劇的な緊張感には少々乏しいような。
男声歌手陣の方は、今回は少々冴えない。とりわけ問題なのはアントネンコ。冒頭の「清きアイーダ」など、声がフラフラで、この人、もしかしたら━━と冷や冷やさせられた。ただし第2幕以降は盛り返し、特に第4幕など、アムネリス相手に冷然・昂然たる歌と演技で応酬し、何とか面目を保った感。それでも最後のカーテンコールでは、METでは珍しくブーイングが飛んでいたから、観客も気になっていたのだろう。
歌手には好不調の波があるものだから、それゆえある程度は仕方ない。が、ルイゾッティの指揮の緊迫度の低さには落胆した。確かに昂揚点ではそれなりの盛り上がりもあるし、またオーケストラを綺麗に鳴らすという良さはあるけれども、叙情的な緩徐個所になると、途端に音楽の勢いが弛緩して来る。
のんびり、ゆったりした演奏を聞きつつ、先日のバッティストーニの、少し粗削りではあるが歯切れのいい、燃え立つような意気にあふれた指揮を思い出したのも、一度や二度ではなかった。
しかしともかく、この「アイーダ」で使われているMETの舞台機構には、何度見ても圧倒される━━特にエレベーターを使った舞台の上下。「凱旋の場」冒頭で、前舞台が兵士たちを乗せたまま下降して来て、それが大群衆の並ぶ大神殿前の場面と合体する━━などという大デモンストレーションは、他の歌劇場ではちょっと真似できない大技では?
そういえば、カメラワークにも毎回新たな趣向が凝らされていると見えて、今回はシーリングの位置から捉えた映像も多く使用され、特にバレエの場面では面白さを発揮していた。終映は10時25分頃。
ソニヤ・フリゼル演出、ジャンニ・クアランタ舞台美術によるMET定番の豪華絢爛のプロダクション。
出演は、アンナ・ネトレプコ(アイーダ)、アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(アムネリス)、アレクサンドルス・アントネンコ(ラダメス)、クイン・ケルシー(アモナズロ)、ディミトリ・ベロセルスキー(ラムフィス)、ライアン・スピード・グリーン(エジプト国王)。指揮がニコラ・ルイゾッティ。
今年のMETの開幕公演(9月24日)は新演出の「サムソンとダリラ(デリラ)」だったが、「ライブビューイング」の方は26日にシーズンプレミエされた「アイーダ」が先になった。これは、前者の映像収録が10月20日だったのに対し、後者は既に10月6日に収録されており、しかも題名役にアンナ・ネトレプコが出ていた、ということのためであろう。
そのネトレプコ、さすがの存在感。もともとこの演出は豪壮華麗な舞台の景観を優先し、微細な演技はあまり要求していない傾向があるが、それでもその様式の中で、彼女の演技はひときわ目立っていた感がある。特に第2幕第1場の最後、アムネリスに突き放されて絶望のどん底に陥った瞬間での彼女の歌と演技の見事さには、心を揺り動かされるものがあった。
一方、恋敵役のアムネリスを歌い演じたラチヴェリシュヴィリも、最大の見せ場たる第4幕前半では全力投球の熱演で、責任は果たしていただろう。ただ、悲劇的な緊張感には少々乏しいような。
男声歌手陣の方は、今回は少々冴えない。とりわけ問題なのはアントネンコ。冒頭の「清きアイーダ」など、声がフラフラで、この人、もしかしたら━━と冷や冷やさせられた。ただし第2幕以降は盛り返し、特に第4幕など、アムネリス相手に冷然・昂然たる歌と演技で応酬し、何とか面目を保った感。それでも最後のカーテンコールでは、METでは珍しくブーイングが飛んでいたから、観客も気になっていたのだろう。
歌手には好不調の波があるものだから、それゆえある程度は仕方ない。が、ルイゾッティの指揮の緊迫度の低さには落胆した。確かに昂揚点ではそれなりの盛り上がりもあるし、またオーケストラを綺麗に鳴らすという良さはあるけれども、叙情的な緩徐個所になると、途端に音楽の勢いが弛緩して来る。
のんびり、ゆったりした演奏を聞きつつ、先日のバッティストーニの、少し粗削りではあるが歯切れのいい、燃え立つような意気にあふれた指揮を思い出したのも、一度や二度ではなかった。
しかしともかく、この「アイーダ」で使われているMETの舞台機構には、何度見ても圧倒される━━特にエレベーターを使った舞台の上下。「凱旋の場」冒頭で、前舞台が兵士たちを乗せたまま下降して来て、それが大群衆の並ぶ大神殿前の場面と合体する━━などという大デモンストレーションは、他の歌劇場ではちょっと真似できない大技では?
そういえば、カメラワークにも毎回新たな趣向が凝らされていると見えて、今回はシーリングの位置から捉えた映像も多く使用され、特にバレエの場面では面白さを発揮していた。終映は10時25分頃。