2018・10・7(日)下野竜也指揮広島交響楽団
広島文化学園HBGホール 3時
午前11時52分発の「みずほ」で広島に入る。「みずほ」の車両に乗ったのは今日が初めてだが、普通車の指定席は東海道・山陽新幹線の普通車とは格段の違いで、2-2の配列である上に、椅子の座り心地も良いのには感心した。
広島駅周辺は赤一色━━というのもオーバーだが、広島カープの最終戦の日とあって、街には一段と熱気があふれているよう。
広島駅から会場に向かうために乗ったタクシーの運転手氏は、広島の観光の現状についていろいろ面白い話をしてくれたのはいいが、話に夢中になるとスピードを大きくダウンしてしまうのと、信号で止まっている間じゅう猛烈な貧乏ゆすりをやるので、クルマが終始ぐらぐら揺れ続けるのには、些か閉口した。
広島交響楽団の方は、音楽総監督・下野竜也の指揮による10月定期。
プログラムは、スメタナの交響詩「ブラニーク」と、カレル・フサ(1921~2016)の「プラハ1968年のための音楽」をそれぞれ最初と最後に置き、中にブルックナー~スクロヴァチェフスキ編の「アダージョ」(弦楽五重奏曲より)と、ドヴォルジャーク~中原達彦編の「わが母の教え給いし歌」を挟むという、かなり渋い選曲。コンサートマスターは佐久間聡一。
このうち、スメタナとフサの作品は、フス教徒の賛歌「汝、神の戦士たち」を引用した愛国の念にあふれた歌ともいうべき音楽であることは周知の通り。そこに「愛」を絡ませるというコンセプトで、いかにも下野竜也らしい、凝ったプログラミングである。下野は広島でも相変わらず凄い企画をやっている━━ということは、東京にも知られて然るべきである。
こんな渋いプログラムで、お客さんの反応はいかがなものなりやと思ったが、いざ始まってみると、俗受けするはずの派手な「ブラニーク」よりも、地味なブルックナーの方が拍手も大きかった。広島のお客さんも、相当したたかだ。
実際、1階席中央で聴いていると、「ブラニーク」では低音域が全然響いて来ないので、音楽の重心が高くなり、シンバルをはじめ高音域の音ばかりが突き刺さるように飛んで来る印象となってしまい、少々耳が疲れたということはある。管の一部にも不安定なところがあったし、それらが興を殺いだということも否めまい。
しかし、それに対してブルックナーの弦楽合奏版では、弦が極めて瑞々しく響き、不思議なことにこの曲では低弦の音も明確に、バランスよくあふれ出て来たのだった。
「プラハ1968年のための音楽」では、下野と広響は渾身の熱演。
ワルシャワ条約軍のチェコスロヴァキア侵犯と、それによる「プラハの春」の民主化運動の壊滅という状況を憤るこの凄まじい音楽の迫力を、余すところなく描き出した演奏であった。ショスタコーヴィチの交響曲「1905年」に似た手法が感じられなくもない作品だが・・・・。
ともあれ意欲的なプログラム、意欲的な演奏で、これは聴きに来た甲斐があったというものである。下野と広響も、快調の様子。
下野はプレトークも行なった。今日は深刻な内容のプログラムであるためか、いつもと違ったボソボソとした喋りで少々聞き辛かったものの、選曲の主旨と作品の内容を解り易く説明したのはいいことだろう。
フサの作品の演奏が終ったところで、「《怒り》で終った曲のまま皆さんにお帰り願うのは忍び難いので、ドヴォルジャークの愛に満ちた曲をもう一度」という趣旨のスピーチを行い、それをアンコール演奏とした。
終演後にも彼は、事務局員、何人かの楽員たちとともにロビーの出口付近で客に挨拶しながら、その最後の1人が帰るまで見送り続けていた。
4時50分頃終演。
私の方は、明日の札幌行きに備え、広島空港に隣接する「エアポートホテル」に宿泊。広島市内からはおそろしく遠い。
午前11時52分発の「みずほ」で広島に入る。「みずほ」の車両に乗ったのは今日が初めてだが、普通車の指定席は東海道・山陽新幹線の普通車とは格段の違いで、2-2の配列である上に、椅子の座り心地も良いのには感心した。
広島駅周辺は赤一色━━というのもオーバーだが、広島カープの最終戦の日とあって、街には一段と熱気があふれているよう。
広島駅から会場に向かうために乗ったタクシーの運転手氏は、広島の観光の現状についていろいろ面白い話をしてくれたのはいいが、話に夢中になるとスピードを大きくダウンしてしまうのと、信号で止まっている間じゅう猛烈な貧乏ゆすりをやるので、クルマが終始ぐらぐら揺れ続けるのには、些か閉口した。
広島交響楽団の方は、音楽総監督・下野竜也の指揮による10月定期。
プログラムは、スメタナの交響詩「ブラニーク」と、カレル・フサ(1921~2016)の「プラハ1968年のための音楽」をそれぞれ最初と最後に置き、中にブルックナー~スクロヴァチェフスキ編の「アダージョ」(弦楽五重奏曲より)と、ドヴォルジャーク~中原達彦編の「わが母の教え給いし歌」を挟むという、かなり渋い選曲。コンサートマスターは佐久間聡一。
このうち、スメタナとフサの作品は、フス教徒の賛歌「汝、神の戦士たち」を引用した愛国の念にあふれた歌ともいうべき音楽であることは周知の通り。そこに「愛」を絡ませるというコンセプトで、いかにも下野竜也らしい、凝ったプログラミングである。下野は広島でも相変わらず凄い企画をやっている━━ということは、東京にも知られて然るべきである。
こんな渋いプログラムで、お客さんの反応はいかがなものなりやと思ったが、いざ始まってみると、俗受けするはずの派手な「ブラニーク」よりも、地味なブルックナーの方が拍手も大きかった。広島のお客さんも、相当したたかだ。
実際、1階席中央で聴いていると、「ブラニーク」では低音域が全然響いて来ないので、音楽の重心が高くなり、シンバルをはじめ高音域の音ばかりが突き刺さるように飛んで来る印象となってしまい、少々耳が疲れたということはある。管の一部にも不安定なところがあったし、それらが興を殺いだということも否めまい。
しかし、それに対してブルックナーの弦楽合奏版では、弦が極めて瑞々しく響き、不思議なことにこの曲では低弦の音も明確に、バランスよくあふれ出て来たのだった。
「プラハ1968年のための音楽」では、下野と広響は渾身の熱演。
ワルシャワ条約軍のチェコスロヴァキア侵犯と、それによる「プラハの春」の民主化運動の壊滅という状況を憤るこの凄まじい音楽の迫力を、余すところなく描き出した演奏であった。ショスタコーヴィチの交響曲「1905年」に似た手法が感じられなくもない作品だが・・・・。
ともあれ意欲的なプログラム、意欲的な演奏で、これは聴きに来た甲斐があったというものである。下野と広響も、快調の様子。
下野はプレトークも行なった。今日は深刻な内容のプログラムであるためか、いつもと違ったボソボソとした喋りで少々聞き辛かったものの、選曲の主旨と作品の内容を解り易く説明したのはいいことだろう。
フサの作品の演奏が終ったところで、「《怒り》で終った曲のまま皆さんにお帰り願うのは忍び難いので、ドヴォルジャークの愛に満ちた曲をもう一度」という趣旨のスピーチを行い、それをアンコール演奏とした。
終演後にも彼は、事務局員、何人かの楽員たちとともにロビーの出口付近で客に挨拶しながら、その最後の1人が帰るまで見送り続けていた。
4時50分頃終演。
私の方は、明日の札幌行きに備え、広島空港に隣接する「エアポートホテル」に宿泊。広島市内からはおそろしく遠い。