2024-12

2017・3・25(土)広上淳一指揮京都市交響楽団 「千人の交響曲」

      京都コンサートホール  3時30分

 京都市響の創立60周年シーズンの締め括り、第610回定期公演は、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一の指揮で、マーラーの「交響曲第8番《千人の交響曲》」。コンサートマスターは渡邊穣。

 協演は、高橋絵里(SⅠ)、田崎尚美(SⅡ)、石橋栄美(SⅢ)、清水華澄(AⅠ)、富岡明子(AⅡ)、福井敬(T)、小森輝彦(Br)、ジョン・ハオ(Bs)、京響コーラス、京都市少年合唱団。
 合唱団には「ほか」というクレジットがついているが、これは京響コーラスの中に他の合唱団のメンバーも加わっていることを意味するものと思われる。その京響コーラスはオルガン下に、少年合唱はステージの奥に並ぶ。
 ソリストはオケの前に位置したが、石橋栄美(SⅢ)のみはオルガン前に立つ。バンダのファンファーレはオルガン横の、ステージ下手側高所の「箱の中」に並んでいた。

 第一に挙げるべきは、やはり広上淳一の演奏構築の見事さであろう。
 この「千人の交響曲」の第1部は、私は何度聴いても好きになれないのだが、概して放埓な怒号絶叫になりかねないこの曲を、広上はパワーと節度を併せ持った指揮で、巧みに制御して行った。本拠地のこのホールを、実に上手く鳴らしている、という感がある。
 そしてもちろん、第2部では、マーラーの音楽がもつ豊かな起伏感と神秘性が、管弦楽と声楽から、十全に引き出された。このあたりも広上の、無駄な誇張を排した、真摯でヒューマンな指揮の為せるわざであろう。

 京都市響の演奏の水準の髙さも、まさに驚異的である。第2部後半の昂揚個所でさえ、力まず、強引にならず、それでいて力感の豊かな、壮麗な音を響かせる。最強奏の裡に一瞬垣間見える弦の豊麗な音色にハッとさせられたことも、一度や二度ではなかった。つい先日のびわ湖ホールでの「ラインの黄金」でも舌を巻いたばかりだが、今や京響は、日本全国でもベスト3に入る実力を備えているのではないか?

 この京都市響の見事な成長ぶりについて、シェフの広上は「僕の果たしている役割は10分の2くらいの程度」と語っているけれども、それは謙遜が過ぎるだろう。「ゼンマイがかみ合っているだけの話よ」とも控えめに言うが、いいゼンマイであればこそ、うまくかみ合うものである。
 広上淳一と京都市響━━絶好調の名コンビに、祝福を贈りたい。

 京響コーラスも素晴らしい。怒号の個所よりも、弱音で歌う個所でこそ合唱団の実力は明らかになるものだが、第2部で聴かせたその美しく拡がりのある響きは、実に立派であった。ソロ声楽陣も好調、特に女声陣の活躍は聴き応えがあった。
 これは、あらゆる点で優れた演奏だったと言って過言ではない。

 合唱が終り、全管弦楽が頂点を築く最後の大クライマックスでは、このホールいっぱいに轟々と高鳴る京響の美音に法悦感を味わった━━はずなのだが、最後の和音が消えぬうちに下手側後方の客席から甲高い声で狂気のように喚き出した男の所為で、折角の感動に水を差された。壮麗な壁画に泥を投げつけて汚すような、恥知らずの行為である。30年ほど前の東京だったら、十数人くらいの客が集まって吊し上げをやっただろうが・・・・。
     別稿 モーストリー・クラシック6月号 公演Reviews

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