2024-12

3・12(日)ウルバンスキ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団

     ミューザ川崎シンフォニーホール  2時

 北ドイツ放送響が、今年からNDR(=北ドイツ放送)エルプフィルハーモニー管弦楽団という名称になった由。
 要するに、ハンブルクに今年1月開館したエルプフィルハーモニーという名のホール(音響設計者は永田音響の豊田氏)を本拠とするようになったので、オケもこの名称に変えたのだとか。

 首席指揮者はトーマス・ヘンゲルブロックだが、今回は首席客演指揮者のクシシュトフ・ウルバンスキとともに来日した。
 プログラムは、ベートーヴェンの「《レオノーレ》序曲第3番」と「ピアノ協奏曲第3番」(ソリストはアリス=紗良・オット)、R・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」。なお、アリスのアンコールはまたグリーグの「山の魔王の宮殿にて」、オーケストラのアンコールはワーグナーの「《ローエングリン》第3幕前奏曲」。

 若手の鬼才ウルバンスキの指揮は、彼が東京響の客演指揮者を務めていた時代に聴いて、舌を巻いたことも一度や二度ではない。そうした気鋭の指揮者が、ドイツの強豪オーケストラと一緒にどんな音楽をやるか━━それが興味の的だった。

 その共同作業は、今回たった一度聴いただけだが、なかなか面白い。ウルバンスキは、前半のベートーヴェンの2曲において、あたかも偉大なドイツ魂といったものを尊重し、併せてこのドイツのオーケストラへの敬意を表すかのように、重厚壮大な音楽をつくり出した。奇を衒わず、真摯に、時には沈思するような表情をもって作品と相対するといった感である(以前、東京響とモーツァルトの「交響曲第40番」を初めて演奏した際、ちょうどこういう音楽づくりだったのを思い出す)。

 そしてそのあと、後半の「ツァラトゥストラはかく語りき」に入るや否や、今度はオレの流儀でやらせてもらうと言わんばかりに、音色、バランス、テンポなどにじっくりと趣向を凝らし、一癖も二癖もある演奏をつくり上げる。こういうところがウルバンスキの面白さだろう。

 特にその前半では、彼は極度に遅いテンポを採った。彼のテンポの遅さは今に始まったことではなく、東京響とのブラームスなどでも何度か驚かされたものだったが、今回の「ツァラ」でのテンポ解釈もかなり極端で、えらく長い曲に思えたほどである。
 といって楽曲が崩壊するなどといった演奏では全くなく、その表情の濃密さと、オーケストラから引き出した色彩感と、荒々しいデュナミークのスリリングな対比は、明確に保たれていたのだ━━今回私が聴いた4階席からの印象では、そうだった(2階席あたりで聴くと、だいぶ印象も違ったらしいが)。

 かつてはシュミット=イッセルシュテットやヴァントら、ドイツの巨匠たちに育まれたこのオーケストラも、最近はヘンゲルブロックや、このウルバンスキという鼻っ柱の強い若者らを指揮者陣に迎えて、かなり変貌して来たと聞く。
 だが、例えば今日のベートーヴェンの作品などを聴くと、そこにはちゃんとドイツのオーケストラならではの強靭な個性が保たれているように感じられる。そこがこのオーケストラのプライドというか、土性骨というか、立派なところなのだろう。

※コメントにつき、「仲裁したらどうですか」という別メールを頂戴しましたが、私はそんな徳のある人間ではないので、仲裁はしません。特に口汚いコメントは削除しておりますが、大体は「なるほど、そういう見方もあるか」と、興味深く読ませていただいております。議論大歓迎、です。
 ただ、単語の一つだけにこだわったり、言葉尻をつかんだりして議論していると、肝心な大筋を見誤るおそれがありますので、そのあたりにはご注意を。

コメント

ハンブルク北ドイツ放送交響楽団

東条先生書かれているように、この名称が、このオケのイメージだが、今彼らが目指すのは、「エルプ」なのだ。「進取の精神」なのか。私が聴いた会は、アンコール含めてドイツ音楽がなかった(7日オーチャードホール)ので、よりその感が強い。縦の線の不揃いなど意に介さず、観客をリラックスさせるのに腐心する。そんな印象。その中で、庄司紗矢香がプロコフィエフを楽しそうに弾いていたが、そのロマンティックとさえ思える音感は、出入りの立ち振る舞いとともに、彼女を一番美しく見せた。

新世界

ツァラが絶賛でこちらに行けば良かったと思います
オーチャードの新世界は平凡でした...

満足する演奏会でした。その一言

アンコールについて

東条様
初めまして。
私は昨日福岡で聴きました。

アンコール曲を聴いたことがなかったものの、音の雰囲気がワーグナーっぽいなと思っていました。
ご教示頂きありがとうございます。ベートーヴェン2曲と合わせて、大好きな曲になりました。

大阪で聞きました。「千秋楽」とあってか、オケは疲労の色が出てたのかなあ。
全体の感想としては、東条さんはお褒めでおられますが、今一だった。
正直、往年の大指揮者達の音楽をなぞらえてやってるようで、まだ彼には未消化な印象を持ちました。オリジナル性が有るようで、無い。
現代音楽のような所で、自分のやりたい事を思いっきりやってるのがウルバンスキには合ってるように思いましたね。
それとアリスさんは何かどんどん裏道に迷い込んでる感じ。まぁお客が喜べばそれでいいのでしょうけれど。

お疲れさまです。もう“素晴らしい”の一言!! 誰で聴いてもあまり印象が変わらないと思われていたこの曲(ツァラ。好きな曲だけれど)から此れ程多彩な音楽を導き出せるとは! まぁ、予想はしていたけれど全編目から鱗、棚から爆弾(引用)の衝撃度!。細かい感想は、東条様が殆ど言って下さってるので繰り返しませんが (私の席は、2階正面でしたが私も同じように感じました)。 ヘンゲルブロックも大好きな指揮者だけれど今回、この組み合わせでの来日を実現させてくれた方に感謝したい(平伏してもいいくらい)!!  私は今回、東京、名古屋、川崎を聴きましたが、東条様に是非もう片方のプロも聴いて頂いて御批評を拝読したかったです。 (コメントの件で)蛇足になるかもしれませんが、指揮者の名誉の為に。東京公演が平凡に聞こえたのは、恐らくホールにも原因があるかと・・・。このホールはこの種の微妙で繊細なニュアンスの演奏を聴くには絶望的です(かといって東京は、これ一回だけだから仕方がない)。名古屋を聴かれていれば、印象は随分と変わっていたでしょう。 二ヶ所だけ挙げると、第二楽章最後は、まるでマーラー:「9番」フィナーレの最後のよう(この指揮者がこの曲を“死の音楽”と捉えていたのは明白)。フィナーレのコーダは、あのチェリビダッケの録音を聴いて以来の衝撃。勿論、生では初めて!! “天才”ですよ・・・天才。

大阪フェスで聞いた。音楽づくりが全然違うにしてもギュンター・ヴァントの頃に比べると随分とささくれ立った響きに感じたのが率直なところ。
簡単に荒れたとは口にしたくはないがオケの能力が落ちてるのかオケの能力を指揮者が引き出せてないのだと思った。
正直そんなに有り難がるような公演には思えなかった。これなら最近の日本のオケ、例えば関西では京響の方が余程聞きごたえある。

またお邪魔します。どうも口を挟まずにはいられないタチで。すいません。 「オケの能力」 → ギュンター・ヴァントが振っていた頃と比べればそりゃ落ちるでしょ。自明です。ヴァントは既に亡く、オーケストラの名称も変わりました。比べるのは野暮というものです。 「指揮者が能力を引き出せてない」 → いえ、十分過ぎる程引き出していたと思います(このオケの性格として、保守的で大概はあまり燃えない演奏が多いので、それを思えば)。それに彼はまだ30代のホヤホヤの若手ですよ。晩年の神懸かったヴァントと比べられても困っちゃう。次元が違うでしょ。 あとはホールの問題ですね。何でもホールのせいにしてしまうのも何ですけど、彼は曲全体に於いて音量を普通よりも抑えぎみに調整しています(肝心なところでだけグアッと増幅させる)。ほんとに微妙なニュアンスで聴かせる指揮者なんですね。なのでクラシック専用のホールで尚且つステージからあまり離れ過ぎていない席でないと堪能出来ないと考えています。その点で(今回は聴いていないけど)クラシック専用とは言えない多目的ホールである大阪フェスはね・・・ちょっと疑問ですよ(オーチャードよりは好ましいけど)。別の人は最終日で疲れが出ていたと書いていたし、名古屋、川崎がやはりベストだったと推測しています。 「京響」ですか・・・。東条様も絶賛しておられるので何時かは足を運びたいと思います。兎に角、皆それぞれ自分の耳を信じるしかないわけだから結局は好きなものを聴けば良いというところに落ち着くと思います。  私は、彼は夭折でもしないかぎり、やがてヴァントと同じくらいのレベルに到達すると予言します。   [追記] 彼の肩書きが首席“客演”指揮者であることもお忘れなく(東響でも同じ)。それでアレなら手兵との演奏はどうなることか。日本の聴衆はまだ彼の本領を知らない。

「日本の聴衆はまだ彼の本領を知らない。」――かく言う人間の音楽の聞き方は、まあ想像出来ると言うものです(笑)

>日本の聴衆はまだ彼の本領を知らない。
実際に生演奏が日本でされています。東京や大阪では日本のオケでも何度もやっています。海外での演奏も放送やネットで聞けます。そんな中で言うような言葉じゃないのでは?
そのような用例としては、例えばキリル・ペトレンコになるでしょう。
「日本の聴衆」と、もし日本人の立場で今の時代に言ってるのなら、ちょっと考えを更新した方がいいのではと老婆心ながら思います。

「想像できる」 → そんなに自信がおありなら、どうぞ具体的に仰ってみて下さい。 “褒める”意見に対し、いちいち難癖をつけたがる捻くれた性格の人間の音楽の聞き方も想像できるというものです。許容範囲狭いでしょ? 残念でしたね。

貴方は、その全てを聴いた上で仰ってますか? その全ての感想を是非とも聞かせて頂きたい!!(私はプライヴェート音源も沢山持っています) もしそうでないなら非情な無責任な発言です。 ご自分で「老婆」と書いておられるが、中学生のネットイジメとやってる事の程度は変わらないと思いますよ。

このページの私のコメントに対して文句を言う方は、はっきり言って先ずは御自分の無理解を呪うべきじゃないのか? “貶す”文章に対し反論するならまだしも“褒める”文章に対する非難、難癖は自分が理解出来なかった事への負け惜しみ、欝憤晴らしにしかならない。いい大人が(子供かもしれないが)恥ずかしい。 「“出る杭は打たれる”式 コミュニケーション機能では互いに聞き合う西洋音楽の本質は理解出来ない」(引用)。日本人的気質をよく表わしていると思います。私は他の方々のようにだんまりを決め込んでオサラバではなく、全ての反論にお返事をしておりますので。

コメ見てると、自分の価値観が絶対であり、他人の聴き方を間違ってるような、是が非でも否定するような事を言う人間がいて、どうなんだろうと感じる。
「良い」と言う人もいれば、「良くない」と言う人もいていいはず。極めて当たり前の話。
しかし、最近、そのような視野狭窄的な人が増えてきてるような気がして、怖くなってくる。そう思われませんか、東条先生。

音楽監督を務めるインディアナポリス響との生演奏を体験されてますか?トロンヘイムは?映像だけでは本領はわからないと思います。当然。

お疲れさまです。 本文の追記を拝読させて頂きました。ありがとうございます。 「私はそんな徳のある人間ではないので、仲裁はしません」 → 東条様の人間的一面が垣間見える記述に出会うと嬉しくなります。和みました。

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