2017・3・5(日)ワーグナー「ラインの黄金」2日目
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 2時
今日は別キャスト。
ヴォータンを青山貴、フリッカを谷口睦美、ドンナ―を黒田博、フローを福井敬、フライアを森谷真理、エルダを池田香織、ローゲを清水徹太郎、ファフナーをジョン・ハオ、ファゾルトを片桐直樹、アルベリヒを志村文彦、ミーメを高橋淳、ラインの乙女たちを小川里美、森季子、中島郁子。
いい配役だ。
青山貴は、前日のヴォータンよりもはるかに立派な神々の長としての風格と声を備えていた。彼のヴォータンを聴いたのはこれが3度目くらいになるが、いよいよこの役柄を完全に手中にしたようである。
また黒田博も、前日の頼りない声のドンナ―とは桁違いに、力のある雷神として雲と稲妻を呼集していた。
前日に可憐なイメージで歌い演じた砂川涼子と対照的に、森谷真理が芯の強い声と感情の動きの激しい演技で美の女神フライアを闊達に表現し、存在感を出していたのも興味深い。谷口睦美も上品な奥様然とした女神フリッカを歌い演じ、前日の小山由美とは全く違ったタイプの「ヴォータンの妻」を表現している。
ミーメの高橋淳は、ベテランの巧さというべきか。この哀れっぽくヒステリックな、しかし腹に一物あるような表現は、もし彼が再来年の「ジークフリート」にも出るようであれば、非常に面白いキャラになるかもしれない。
そしてローゲは━━今日の清水徹太郎も、昨日の西村悟に肉薄するキャラクター表現で注目を浴びた。演技と歌唱にもう少し皮肉とワルの表情が増せば、立派なローゲになれるだろう。
それにしても、この3人といい、昨日の与儀巧といい、性格派テナーに良い歌手が揃っているのは頼もしい。
ハンペの演出については、職業上、2日連続して詳細に観たわけだが、所謂ドラマトゥルギーが無く、単純なト書きのなぞりにとどまるため、「考えさせられる」要素が皆無なので━━正直言って、2回観ると、失礼ながら、少々飽きる。
とはいえ、この演出スタイルが無意味だとか言うつもりは、全くない。むしろ、これで「ラインの黄金」の内容が広い層に理解され、「指環」の続きを来年以降も観に来ようというファンが増えてくれればと、そちらの方に期待を繋ぐ次第である。
東京・横浜以外で「指環」が舞台上演されるのは、もしやこのツィクルスが史上初か? そうであればなおさらのことだ。少なくとも、以前ここでジョエル・ローウェルズが手がけた「策士、策に溺る」的な、捻り過ぎた演出の「ヴァルキューレ」のような路線は、西日本地区初の「指環」には適さないだろう。
そのハンペの、今回唯一の(?)新機軸で話題になったのが、あの「剣」をエルダがヴォータンに与える、という設定だ。地下から半身を現したエルダが、ローエングリンさながらに剣を体の前に立てているのには微苦笑させられる。そして彼女は、剣をヴォータンに直接手渡すのではなく、それを掲げたまま姿を消してしまう。そのあと、ヴォータンのモノローグのさなかに、地下から剣の柄だけがスルスルと姿を現す━━という不思議な新解釈なのだ。
だがこの設定には、大きな疑問がある。
第一に、ドラマ全体から考えても、智の女神エルダと「剣」とは、どうしても結びつくまい。彼女の地下の世界で、こんな「剣」がなぜ作れるのか?
しかも、「呪いの指環の危険から逃れよ」と警告しに来たエルダが、その指環を奪還するための象徴たる「剣」(のちのノートゥング)をヴォータンに提供するはずがないではないか。単なる「お守り」にどうぞ、という意味なら、冗談が過ぎるだろう。
第二に、あそこで管弦楽に輝かしく登場する「剣の動機」は、あくまでヴォータンの胸に浮かんだ「ある素晴らしい考え」を、歌詞抜きに音楽だけが暗示するという、ワーグナーの巧みな「ライトモティーフ手法」なのである。その「考え」とは、次の「ヴァルキューレ」において初めて具体的に説明されるものであり、「ラインの黄金」では未だ「謎━━」にとどめておく、というのがワーグナーの狙いのはずではなかったか?
昨年の「さまよえるオランダ人」のラストシーンで「すべては舵手の夢でした」として、「愛による救済」というワーグナー生涯の思想を無慚にも吹っ飛ばしてしまった解釈といい、どうも最近のハンペの「新解釈」は、単なる思い付き程度の水準のものに終わるものが多いようである。いっそ、何から何まで「ト書き遵法主義」に徹したほうが、よほど本来のハンペらしくて良いのではないか。
京都市交響楽団。細かいところでは、昨日の方が一段良かったかな、と思うところもないではなく、金管群、特にホルンなど、今日は少し慎重になったか、あるいは意識し過ぎたか、と感じられる個所もあったのは事実だが、しかしやはり、卓越した演奏には違いなかった。立派なオーケストラである。
そして何より、このオーケストラおよび歌手たちを見事にまとめた沼尻竜典の指揮を讃えたい。ある意味で散漫なこの「ラインの黄金」のスコアを、極めて精緻に丁寧に構築した彼の音楽づくりは、「指環」のこのあとの作品で、特に濃密な叙情美においていっそうの良さを発揮することになるだろう。びわ湖ホールの芸術監督としての彼の努力と成功にも、賛辞を捧げよう。
またその賛辞は、この大プロジェクトに踏み切ったびわ湖ホールにも贈りたい。
今日は別キャスト。
ヴォータンを青山貴、フリッカを谷口睦美、ドンナ―を黒田博、フローを福井敬、フライアを森谷真理、エルダを池田香織、ローゲを清水徹太郎、ファフナーをジョン・ハオ、ファゾルトを片桐直樹、アルベリヒを志村文彦、ミーメを高橋淳、ラインの乙女たちを小川里美、森季子、中島郁子。
いい配役だ。
青山貴は、前日のヴォータンよりもはるかに立派な神々の長としての風格と声を備えていた。彼のヴォータンを聴いたのはこれが3度目くらいになるが、いよいよこの役柄を完全に手中にしたようである。
また黒田博も、前日の頼りない声のドンナ―とは桁違いに、力のある雷神として雲と稲妻を呼集していた。
前日に可憐なイメージで歌い演じた砂川涼子と対照的に、森谷真理が芯の強い声と感情の動きの激しい演技で美の女神フライアを闊達に表現し、存在感を出していたのも興味深い。谷口睦美も上品な奥様然とした女神フリッカを歌い演じ、前日の小山由美とは全く違ったタイプの「ヴォータンの妻」を表現している。
ミーメの高橋淳は、ベテランの巧さというべきか。この哀れっぽくヒステリックな、しかし腹に一物あるような表現は、もし彼が再来年の「ジークフリート」にも出るようであれば、非常に面白いキャラになるかもしれない。
そしてローゲは━━今日の清水徹太郎も、昨日の西村悟に肉薄するキャラクター表現で注目を浴びた。演技と歌唱にもう少し皮肉とワルの表情が増せば、立派なローゲになれるだろう。
それにしても、この3人といい、昨日の与儀巧といい、性格派テナーに良い歌手が揃っているのは頼もしい。
ハンペの演出については、職業上、2日連続して詳細に観たわけだが、所謂ドラマトゥルギーが無く、単純なト書きのなぞりにとどまるため、「考えさせられる」要素が皆無なので━━正直言って、2回観ると、失礼ながら、少々飽きる。
とはいえ、この演出スタイルが無意味だとか言うつもりは、全くない。むしろ、これで「ラインの黄金」の内容が広い層に理解され、「指環」の続きを来年以降も観に来ようというファンが増えてくれればと、そちらの方に期待を繋ぐ次第である。
東京・横浜以外で「指環」が舞台上演されるのは、もしやこのツィクルスが史上初か? そうであればなおさらのことだ。少なくとも、以前ここでジョエル・ローウェルズが手がけた「策士、策に溺る」的な、捻り過ぎた演出の「ヴァルキューレ」のような路線は、西日本地区初の「指環」には適さないだろう。
そのハンペの、今回唯一の(?)新機軸で話題になったのが、あの「剣」をエルダがヴォータンに与える、という設定だ。地下から半身を現したエルダが、ローエングリンさながらに剣を体の前に立てているのには微苦笑させられる。そして彼女は、剣をヴォータンに直接手渡すのではなく、それを掲げたまま姿を消してしまう。そのあと、ヴォータンのモノローグのさなかに、地下から剣の柄だけがスルスルと姿を現す━━という不思議な新解釈なのだ。
だがこの設定には、大きな疑問がある。
第一に、ドラマ全体から考えても、智の女神エルダと「剣」とは、どうしても結びつくまい。彼女の地下の世界で、こんな「剣」がなぜ作れるのか?
しかも、「呪いの指環の危険から逃れよ」と警告しに来たエルダが、その指環を奪還するための象徴たる「剣」(のちのノートゥング)をヴォータンに提供するはずがないではないか。単なる「お守り」にどうぞ、という意味なら、冗談が過ぎるだろう。
第二に、あそこで管弦楽に輝かしく登場する「剣の動機」は、あくまでヴォータンの胸に浮かんだ「ある素晴らしい考え」を、歌詞抜きに音楽だけが暗示するという、ワーグナーの巧みな「ライトモティーフ手法」なのである。その「考え」とは、次の「ヴァルキューレ」において初めて具体的に説明されるものであり、「ラインの黄金」では未だ「謎━━」にとどめておく、というのがワーグナーの狙いのはずではなかったか?
昨年の「さまよえるオランダ人」のラストシーンで「すべては舵手の夢でした」として、「愛による救済」というワーグナー生涯の思想を無慚にも吹っ飛ばしてしまった解釈といい、どうも最近のハンペの「新解釈」は、単なる思い付き程度の水準のものに終わるものが多いようである。いっそ、何から何まで「ト書き遵法主義」に徹したほうが、よほど本来のハンペらしくて良いのではないか。
京都市交響楽団。細かいところでは、昨日の方が一段良かったかな、と思うところもないではなく、金管群、特にホルンなど、今日は少し慎重になったか、あるいは意識し過ぎたか、と感じられる個所もあったのは事実だが、しかしやはり、卓越した演奏には違いなかった。立派なオーケストラである。
そして何より、このオーケストラおよび歌手たちを見事にまとめた沼尻竜典の指揮を讃えたい。ある意味で散漫なこの「ラインの黄金」のスコアを、極めて精緻に丁寧に構築した彼の音楽づくりは、「指環」のこのあとの作品で、特に濃密な叙情美においていっそうの良さを発揮することになるだろう。びわ湖ホールの芸術監督としての彼の努力と成功にも、賛辞を捧げよう。
またその賛辞は、この大プロジェクトに踏み切ったびわ湖ホールにも贈りたい。
コメント
関西二期会のリング
西日本初のリング?確か25年前に尼崎のアルカイックホールで現田茂夫指揮で1年おきに関西二期会で演奏したと思います。因みに私は「ラインの黄金」を見ました。当時としても水準の高い公演でした。ヤナーチェック「女狐の物語」もやったりで、これには吉田秀和氏の賞賛の文章もあります。
訂正
手元の関西二期会のプログラムが出てきたので調べると1994.10「ラインの黄金」1997.10「ワルキューレ」でした。あとの2つは未でした。ワグナーでは2000.10「パルシファル」2005.5「タンホイザー」、
トピックスとして1969年大阪フェスでのバイロイト「引越し公演があり語りぐさのビーラント、ワグナー演出、ニルソン、ホッターらの名演を思い出します。
トピックスとして1969年大阪フェスでのバイロイト「引越し公演があり語りぐさのビーラント、ワグナー演出、ニルソン、ホッターらの名演を思い出します。
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